その日。
 町は既にクリスマスムード一色に染まっていた。
 キラキラとイルミネーションが輝き、赤と白を基調とした服を纏う者が跋扈していた。

 ――そう、サンタたちだ。

 しかし、奴等が売るのは夢ではない。チョコレートやケーキといった甘味物だ。
 クリスチャンでもないのに、はしゃぐ国民たちの心理を見透かした企業の僕と化した者ども。

「違う……違うぜ。こんなもんは真のサンタじゃねぇ……」

 男が呟いた。口に銜えられたタバコの紫煙が、天に昇る。
 毎年毎年、この季節が来る度、男が思う事だった。

 その傍を子供連れの親子が通り過ぎる。両親に挟まれ、笑う子供はまさに天使だ。
 同じ子を持つ者として、気持ちは激しく理解できた。
 アルカイックススマイルを浮かべるサンタの着ぐるみから、風船を渡され、喜ぶ子供。
 そして、親子は立ち止まり、子供にせがまれ、特別割引されたケーキを買って行った。

 男は、雪に描かれていく三つの足跡を、優しげな瞳で見送っていた。
 だが、その後、男の目つきは剣呑なモノへと変わる。

 微笑ましい光景なのだろう……。確かに微笑ましい。
 しかし! 今、サンタの着ぐるみは何をしたのか!?
 ――そう、物を売ったのだ!
 子供への風船も! 全ては己が利益がための布石に過ぎなかったのだ!

「違う! ……てめぇ等は間違っているぜ!」

 叫んだ男に群集が一瞬ギョッとする。
 しかし、それは一時的なこと。どよめきの波紋は小さかったようで、然程時間を置かずに収まっていた。
 これが今の日常。
 クリスマスを間近に控えた今、不可解な男に割く時間はありはしないのだ。
 たとえ、その訴えが正当であったとしても……。

「そうか……そういうことなのか」

 天啓を受けた聖者の如く、男は悟った。
 そして、男は懐から、黒光りする物体を取り出し、


「やっぱ、今年も俺がサンタをやらなきゃ、ダメみてぇだなッ!!」


 掛けた。鋭角な羽を持つ蝶のような物体が……黒のサングラスが電飾の光を反射する。
 男の名は――“古河秋生”。
 愛する娘と……サンタを信じてやまない純粋な者のため、彼は立ち上がった。




 ――我、夢配る真のサンタたらんッ! と……。





聖夜に燃えろ! 古河サンターズ!

written by ぴえろ




 12/20

「よって、“古河ベイカーズ”は一時解散! クリスマス限定“古河サンターズ”に衣替えだぜ、野郎どもッ!!」

 教壇の男、古河秋生の口から、熱い魂の咆哮が迸った。

 ここは、古河家のとある離れの一室。妻、“古河早苗”が開く私塾で使っている畳張りの和室だ。
 横長い机が並び、教壇の秋生を除いては、皆、座布団の上で胡坐をかいていた。
 この部屋は、平日の夕方までは塾として使われているが、夜は町内草野球チーム“古河ベイカーズ”のミーティングルームと化していた。

 ちなみに愛娘たる“古河渚”は、現在、早苗に引き付けて貰っている。
 この古河サンターズの会議を聞かれるわけにはいかなかった。
 渚も、サンタを信じる少女の一人だからだ。

「今年もやっぱりやるのかい、秋生さん?」
「当ったり前だろうがッ! 俺様を誰だと思っていやがるんだッ!」

 町内メンバーの一人をビシッと指差し、答える秋生。めちゃくちゃやる気満々だった。
 その熱気に当てられてか、ガヤガヤと町内メンバーたちが、ざわめき始める。
 これからの祭りの準備に浮かれているようだった。
 彼らの全てが、子を持つ者。子供の夢を叶える機会に誰一人として、不満を上げる者は無かった。

 そんな中、最前列に座る一人がおずおずと恐ろしげに挙手する。

「そこ、何か質問かッ!?」

 ビシッと指差す秋生。その気合の入った顔に質問者は一瞬ビクッとしたが、意見を述べ始める。

「あ、あの……大した質問じゃないんすけど。何で、僕達までここに座ってるんっすか?」

 質問者は、汗を浮かべた笑顔を伴って、質問した。
 年配者の揃うこの場に、場違いな金髪と年齢。――“春原陽平”だった。
 その横には、不良仲間の“岡崎朋也”。更にその隣には、“芳野祐介”が座していた。
 二人も、目を半眼にして「何で、俺がここに……?」と、目で語っていた。

「人手」
「漢字二文字で即答ッ!?」

 あまりに簡潔的な理由だった。

「いやぁ、実はよぉ。メンバーの数名が風邪ひいちまってよぉ。
 町内のプレゼントを今の古河サンターズの人数で配りきるのは、結構重労働でな。
 どうにかならねぇもんかと考えた時、俺は思い出したんだよ……」

 腕を組み、目を瞑る秋生。

 そう、それは遡ること、今年の四月の下旬頃。
 “赤い稲妻ゾリオン”という体感シューティング型サバイバルゲームがあった。
 全ては、秋生と引き分けた不良高校生、岡崎朋也との因縁から始まったのだ。
 “敗者は勝者の言うこと何でも聞く”というのがルール。最終的に倒した人数で秋生が勝者となった。
 秋生はその権限を用い、朋也たちに自分と共に隣町の強豪チームと戦うこととそのメンバー集めを強要した。
 そして、揃ったベストメンバー。チグハグでデコボコだったが、最強のメンツ。
 試合の最中、秋生が負傷する等、様々なトラブルを抱えながらも、勝利した。

 ――あん時の感動、今だって忘れちゃいねぇぜッ!!

 万感の思いを込めて、


「隣町の草野球チームと共に戦った……――てめぇ等をなッ!!」


 叫んだ。ちなみにその最高チームは女が多く、男だけ呼ぶと三名しかいなかったのである。

「ちょっと待って下さいよ! 僕たちにだって、都合ってもんがあるんすけどッ!?」
「例えば、どんな?」
「えッ? そ、それはその……可愛い彼女と甘〜い一夜を共にするとか……」
「てめぇ、彼女いねぇだろ?」
「な、何で分かったんすかッ!? ハッ! ま、まさか、あんた超能力者ッ!?」
「春原。お前、カマかけられただけだからな」

 冷静にツッコミを入れる朋也。
 しかし、春原の意見(甘い一夜どうこうでは無く)は尤もだった。

「残念だが、オッサン。俺、その日、テレビのクリスマス特番を見る予定があるんだ」
「すまないが、俺も既に先約が入っている。協力はできない」

 朋也は面倒なので、理由をとってつけただけが、祐介は違う。

 彼には既に“伊吹公子”、改め、“芳野公子”という妻がいる。
 クリスマス当日は彼女と……義理の妹である“伊吹風子”と過ごす予定なのだ。
 いつも倍以上働き、もぎ取った有給休暇は、それだけ貴重なのだ。

「てめぇ等ぁぁ! サンタだぞッ!? 世界中のガキどもが、夢見て止まないサンタだぞッ!?
 その名誉職に就かせてやろうという俺様の好意を無碍にする気かッ!?
 これを断るってこたぁ、言わば、メジャーリーグのスカウトを断るようなもんだぞッ!?」
「すげぇ、名誉職ッ!? サンタって、実はメジャーリーガー並に儲かんのッ!?」
「お前一回、名誉職の意味、辞書で引けな」

 出された緑茶をズズッと啜りながら、朋也はツッコミを入れる。

「兎も角、俺達は付き合わねぇから」

 ひらひらと手団扇を振って断る朋也。便乗するように春原が言う。


「そうそう、若い僕らにそんな“下らないサンタごっこ”に付き合う暇なんて無いよ」


 その一言に秋生を含め、町内メンバーの雰囲気が変わった。……無論、悪い方向にである。
 場の空気が読めず、春原は続ける。

「そもそもさぁ、どの道成長したら、“サンタなんていない”って気づくでしょ。
 こんなのやる意味無いんじゃないの? 気付くのが早いか遅いかぐらいでさ。
 なぁ、岡崎、お前もそう思わない?」

 横を向き、隣の朋也に同意を求める春原。

「(……神様、空気の読めないこの馬鹿を、許してあげてください)」

 朋也は、敢えて頑なに口を噤んでいた。場の空気はそれほど危険な臭いとなっていた。
 内容的には賛同できるが、言い方までは賛同できなかったのだ。
 時折、春原の言い方は、良く言えば、歯に物を着せぬと言えるが、悪く言えば、露骨過ぎるのだ。
 それで春原が顰蹙を100ダース買おうと朋也は一向に構わない。
 が、そんな時に限って、こちらまで仲間扱いするのは、勘弁して貰いたいというのが、朋也の本音だった。

 数秒、妙な沈黙が漂い、朋也は胸を急激に圧迫された気がした。
 空気は澱んでいないなのに、何故か息苦しかった。
 それは町内メンバーの放つ静かなる怒りが原因であることは明白だった。
 そんな中、

「……てめぇ等には、ねぇのか?」

 いきなり、秋生が呟いた。

「「は?」」

 言われた二人も、戸惑わざるを得ない。
 具体的に何が無いのかを言われたワケではないのだから、当然だった。
 秋生は呆けたように口を開けている二人に構わず、言う。



「決して、てめぇのためじゃねぇ……だが、完全に誰かのためでもねぇ……。
 てめぇのためでもあり、そして、誰かのためでもある。
 そんな“気持ち”がよ……――てめぇ等には、ねぇのか?」



 再び、沈黙が暫しの間、その場を覆った。
 おそらく、実際には、然程長い沈黙ではなかったのだろう。
 それは、時計の秒針の動く音が証明している。

  チック タック
   チック タック

 そんな単調且つ正確な音が、幾度鳴ったかは分からない。
 ただ一分……六十回も鳴るのを待つ程、古河秋生という男は気の長い方ではなかった。

「どうやら、ねぇみたいだな。……悪かったな、“下らねぇサンタごっこ”に誘ってよ」

 言葉だけ聞けば、謝罪に聞こえる言葉。そして、

「けど、てめぇ等……淋しい人生、歩んでんだな」

 失望と憐れみがブレンドされた声音と表情。朋也はそれを侮辱と感じた。
 今度は朋也が静かに言い返す。

「確かに今の春原の言い様は酷かったと思う。それはこっちに非がある。
 だが、“サンタはいない”って子供が気付くのは事実じゃないのか?
 結局は、無意味な行動じゃないのか?」

 しかし、そんな朋也の静かで辛辣な言葉を身動ぎもせず、受け止め、秋生は答える。

「……てめぇ等も、腹が減ることはあるだろう? てめぇが言ってることはな、小僧。
 “いずれ、腹は減るから、飯は食わねぇ”、“いずれ、死ぬから、今生きたって意味はねぇ”。
 そう、言ってるのと同じなんだぜ?」

 二度目の沈黙。その後、春原は……

「……よく分からないけど、僕ら、何か負けちゃったみたいだね、岡崎」

 よく理解できないまま、敗北を認めてしまった。

「はぁっ!? 分からなかったのかッ!? 俺様のスン晴らしい喩えがッ!?
 だぁぁぁ〜!! じゃあ、金髪小僧! てめぇの軽い頭でも理解できるように言ってやる!!」

 春原は既に敗北を認めたのに、納得出来ないのか、秋生は続ける。



「良いか!? サンタは確かに実在しねぇ! だがな、存在はしている!
 サンタってのは、空気や心みたいなモンだ! 見なくても、触れなくても、存在はあるッ!
 そりゃ、何時かは子供も気づくだろうがな! 子供はその時の気持ち、嬉しさを忘れねぇ!
 親が子のサンタになり、子が親になった時、またサンタとなる!
 サンタってのは、人物の名前じゃねぇ! 子の夢を守りたいと思う親の愛情表現の一つだ!
 ――そして、それはこれからもずっと、人間が伝えていかなけりゃ、いけねぇことなんだよ!」



 秋生の剣幕に春原はただ圧倒される。だが、それでも、言葉を紡ぐ。

「で、でも、僕達別にまだ親じゃないし……」

 もはや、それは屁理屈だった。
 秋生は一度熱くなりすぎた自らを深呼吸と共に諌める。
 そして、落ち着いた後、今度は諭すように問いかける。



「確かにてめぇにゃ、親の愛情うんたらは理解しにくいかもしんねぇがな。
 だが、てめぇ等も、男だったら、似たようなモンを持ったことがあんだろう?
 見えなくても、触れなくても存在するモンを……――“夢”や“情熱”、“感動”ってモンをよ」



 その一言に、春原は……そして、両者の様子を窺っていた朋也も、ハッとした。

 ………………
 …………
 ……

 ある……あった。自分たちにもそんなモノを持った頃が……。
 それは遠い過去……。
 朋也はバスケットの中で、春原はサッカーの中で……覚えた想い。

 ――最初はただ巧くなれれば、それで満足だった。
 ――しかし、やがて、それは勝利への欲望に変わった。
 ――負けたこともある。いや、むしろ、負けた記憶が殆どだった。
 ――言葉ではなく、実力で己を否定された……あの時の気持ち。
 ――それを認めたくなくて、我武者羅だった……あの日あの時。
 ――勝利のガッツポーズと共に手の中に掴んだ……あの充足感。

 しかし、年を経て、夢が潰え、積み重なる怠惰の日常の中、埋没してしまった想い……。

「……まぁ、マジでやりたくなかったら、別にいいけどよ」

 どこか、ムスっとして見える顔で、秋生はあらぬ方向を向いた。
 おそらく、ホントは期待してくれていたのだろう。

 ――こいつ等なら、手伝ってくれる、と……。

 秋生のそんな想いを察した二人は、

「返事はまだしてねぇだろうが、オッサン」
「そうだよ、僕たちを見くびらないで欲しいね!」

 そう、答えていた。

「いいのか? 完全にボランティアだぞ? “下らねぇサンタごっこ”だぞ?」
「別にいいぞ。どうせ、俺はクリスマスも暇だしな」
「そうそう、第一、サンタが下らなかったら、一体誰が、山を下って子供たちにプレゼント振りまくのさ?」
「それ、上手く言えてるようで、実は全然意味不明だからな」

 秋生は、説得が成功したことに内心、ほくそ笑む。
 そして、次なる標的――芳野祐介に狙いを定めようと首を向ける。
 それとほぼ同時に、

「……失礼する」

 最低限の礼節を言い、祐介は胡坐の状態から立ち上がった。
 迷うこと無く、去ろうとする背中に、

「てめぇは、手伝っちゃくれねぇのか? 小僧二人でさえ、手伝うってのよ?」

 秋生がへっと笑いながら、挑発する。

「下手な挑発はやめた方がいい。それは、自分の品性を貶めるのと同じことだ。
 あんたは、今、万人に誇れることを言った。だが、あんたのその安い言葉が、それを嘘にしてしまう。
 それは、とても空しいことだ。俺も暇があれば、手伝ってやれただろう。
 ――だが、クリスマスには、俺を待つ女性ひとがいるんだ」

 襖の手前、祐介は肩越しに振り返り、言う。

「(ちっ! 小僧どもみてぇにすんなりたぁ、いかねぇか……)」

 心の中で、舌打ちする秋生。

 ――生半可な説得は逆効果だ。こいつは、芯がガッチリしてやがる……。

 直感的に秋生はそれを感じていた。
 それは、犬が別の犬の匂いをかぎ分けられるのに似ている。
 そう、それは、男ならぬ“漢”の匂いだ。

「(だが、こっちも真剣なんでな……。是が非でも、手伝ってもらうぜッ!)」

 秋生は早速、仕掛けた。

「てめぇ、確か“ココ”の旦那だったな」

 秋生の言葉に祐介はバッと体ごと振り返る。過剰なまでに反応だ。

「“ココ”ッ!? “ココ”とは誰だのことだッ!!? まさか、公子こうこのことかッ!!?」
「そうだよ、公子こうこは呼び辛ぇからな。そう呼ばせて貰ってる。勿論、本人の了解済みでな」
「あんた、一体何時の間に公子と知り合いになっていたんだッ!?」
「何時かだとぉ? んなモン覚えてるわけねぇだろが、世間話だぞ?
 確か、早苗と一緒に居るときに俺も混ぜてもらったのが、最初だったのは覚えてんがな」

 パン屋は、パン焼くと後は暇なのだ。秋生が公子と接する機会は祐介の想像以上に多い。
 勿論、その時は必ず、早苗もいるし、付き合いの深さはせいぜい、ご近所付き合いの域を出ない。
 対して、祐介は違う。祐介は朝から人の住み良い町作りに励む者だ。
 二人の旦那が顔を合わせる機会が、今までなかったのも仕様が無かった。

「で、だ。ココには風子っつー妹がいたろ?」

 公子から聞いたこともあるし、何度か連れ歩いているのを見かけたことのある秋生は、問いかける。

「……まず、そのココというのは止めてくれないか?」

 自分が、一体どれ程の時間を掛けて、呼び捨てで呼べるようになったことか……。
 それを考えると、妻の愛称(しかも、自分が知らない)を別の男が軽々と気安く呼んでいると、堪らなく不愉快な祐介だった。嫉妬深いと言うなかれ、未だ二人は出来立てホヤホヤの新婚夫婦なのだから。
 秋生も「わぁーったよ、細けぇ野郎だな。話し戻すぞ?」と返事を返す。

「その妹だって、サンタを信じてるんじゃねぇのか?」
「む……」

 ――思いっきり、信じてそうだな……。

 むしろ、否定したら、激怒されそうなイメージすらある。
 少なくとも、祐介は秋生の言葉を否定しきれなかった。

 そんな心情を見透かした秋生は、

「あ〜ぁ、公子も妹のために旦那がサンタやってくれるって知ったら喜ぶだろうなぁ〜……。
 でも、サンタの衣装なんて、簡単に調達できるモンじゃねぇよなぁ〜……。
 もし、古河サンターズに入ってくれたら、無料で借りれるってのに!」

 ググッと欠伸でもするように背伸びをする秋生。
 わざとらしい……。あまりにわざとらしい言葉がその口から漏れていた。

「……くっ……分かった。入れば、良いんだろう」

 秋生の話術と戦術の前に、祐介は溜め息を吐いた。
 妻のため、義妹のためと言われては、動かざるを得ない祐介だった。

「しかし、良いのか?」
「あん? 何がだよ?」
「俺のような新参者が、子供たちの夢を守る者になっても良いのか?」

 祐介の言葉を聞き、秋生は目を瞑り、腕を組んだ。

「……てめぇ等にゃ、まだ古河サンターズの参加資格を言ってなかったな。
 古河サンターズの参加資格。それに大したモンは必要じゃねぇ……」

 目を開き、秋生は言った。



「愛する者、守るべき者がこの町にいるか? ――ただ、それだけだ」



 優しい……優しい口調だった。
 少なくとも、朋也や春原は秋生がこんなにも優しい口調で言ったのを、聞くのは初めてだった。



「――この町にてめぇの愛する者、守るべき者はいるか、芳野祐介?」
「フッ、愚問だな――」



 秋生の問いかけに、祐介は不敵な笑みを浮かべ、左の握り拳を突きつけた。
 その左手の薬指には、キラリと光る指輪があった。

 ――それが正に“答え”だった。

「……ねぇ、岡崎。もしかして、僕たち、置いてけぼり?」
「……いや、もしかしなくても、置いてけぼりだろう、これは」

 何やら、熱い二人の間に割って入れるほど、人生経験の無い朋也と春原だった。





 12/21

 翌日。
 朋也は、朝から学校へちゃんと来ていた。
 生徒ならば、至極当然の行為も、朋也にとっては異常行動だった。
 しかし、何やら妙に目覚め良く起きてしまい、二度寝に断念した時、仕方なく登校を決意した。
 授業を受けるためではない。教師の睡眠音波を聞くためだ。
 そうすれば、長年に渡って刻まれた条件反応によって、朋也は心地良い眠りに落ちていくのだった。
 そんな眠りの中、四時限目の終了を告げるチャイムが鳴った。昼休みだ。
 さも、ずっと居たかのように教室に現れた春原が、朋也の机にやってくる。

「よし、岡崎! さっそく、聞き込み開始しようぜ!」
「聞き込み、ってか、単なるアンケートだけどな」

 朋也はいつものようにツッコミながら、軽く背伸びして、立ち上がる。

 昨夜の古河サンターズの会議の結果。
 朋也と春原は、校内にて、サンタを信じている少年少女がいないかどうかを確認する係りとなった。
 町内の子供たちは把握しきれているだろうか?という尤もな疑問を秋生に投げかけたが、どうやら、それは回覧板と共にアンケートを回し、既に集計して把握してあるらしい。その時のアンケート欄に「サンタは来て欲しいか?」と云った欄があり、「来て欲しい」と○を記した家にのみ、古河サンターズが現れるという組織システムが、既にこの町に存在するらしかった。
 この町に住んでいるにも関わらず、朋也と春原、そして、祐介ですらも、そんな事実を知ったのは、その時が初めてだった。

「つか、サンタを信じてる奴は探すわけだが、俺たちの年で信じてる奴らはまず、いないんじゃないのか?」
「う〜ん。男は皆無だろうし、女だって、信じてる可能性、低そうだよね」

 尤も、だからこそ引き受けたのだ。
 誰もいないのであれば、雑に調べても文句は言われないだろうと踏んでのことだった。

 だが、二人は知らなかった。
 秋生とて、そんなことは重々承知しているということを……。
 元より、この調査。――何ら計画に含まれていないのである。
 これは「何でてめぇ等だけ、楽をしてんだコラ」と秋生が思い、二人のために取って付けた仕事に過ぎない。

 ――明け透けに言えば、これは二人への“秋生の嫌がらせ”であった。

 しかし、二人には、任された仕事を真面目にこなそうと云う気運が生じていた。
 どの道、学校にいてもやることなど無かったのである。日夜、暇つぶしに励む二人には絶好の機会だった。

「しかし、何だなぁ。よくよく、冷静になって考えてみれば、サンタをするってのは相当恥ずいな……」
「……う、そこまで考えずに勢いで参加しちゃったよ、僕」
「実は俺もだ……」

 だが、秋生にああ言ってしまった以上、途中で抜けることなどできない。
 途中で抜けなどしたら、ゾリオンの時にし損ねた“右目に醤油ベース、左目にゴマシャブの刑”を実施されるやもしれなかった。

「……俺達が、サンタをするってのは、なるべく言わずに聞いて回るか」
「そだね」

 二人して、基本方針を決めた。と丁度その時、

「あ、あの、岡崎君」

 朋也が首を向けるとそこには、クラスの委員長にして、“藤林杏”の双子の妹“藤林椋”が立っていた。

「その……授業、寝てばかりでいるのは、良くないと思います」
「まぁ、そんな日もあるさ」

 そんな日しかないにも関わらず、飄々と言ってのける朋也。

「で、俺に何か用か? 椋?」
「え? あ、いえ、別に用という程のモノはなくて……」

 オドオドとし、椋は少し赤面する。

「だったら、話しかけないでくんないかなぁ! 僕達、これからサンタ――」

  ゲシィッ!!

「――ぐへっ!」
「お前の頭は鳥並かッ! 三秒前に決めたことをもう忘れたのか、アァンッ!?」

 慌てて朋也は、春原を蹴り飛ばして、黙らした。

「だからって、蹴るこたぁ無いだろ!」

 むっくりと立ち上がり、春原は何事も無かったかのように抗議した。
 朋也はかなり本気気味に蹴ったのだが、ダメージを受けることが習慣化している春原の回復力は異常に鍛え上げられていた。

「な、何の話をしていたんですか?」
「いや、これからサンダルを買いにいこうという話をしていたんだ」
「え、でも、今、冬ですよね? 寒くないですか?」
「勿論、春原だけ履くんだ」
「履かないよッ! つか、それ以前に買いませんッ!」

 何で、最後だけ丁寧語なんだ? 朋也は思った。

「(あ、そういえば……)」

 サンタを信じてる少年……は流石にいないだろうが、少女ならいそうではないか。
 今、目の前に。そして、その他にも。

「(そうだな。あいつらだけでも、聞いておくか)」

 渚は秋生が担当するだろうし、風子は祐介が担当するので、除外してもいいだろう。
 よって、他の面々だけ聞き、それをこの学校のサンタ信者数として、報告しよう。
 朋也はそう、一人で決定した。春原の発言力など所詮、大波に向かって投げつけられた小石以下だった。

「ところで、椋。お前、サンタクロースっていると思うか?」

 朋也は単刀直入に問いかけた。
 これから、何人か……そう、知り合いの女の子に聞いて回るのだ。
 一人一人、遠回しに聞くのは、まどろっこしいし、手間がかかり過ぎる。

「え、サンタですか? 子供の頃はいると思ってましたけど、流石に今は……」
「そうか。春原」
「うん、分かってるよ」

 朋也の声に春原がそう答えると、何やら手帳(部屋を捜索した結果、発掘した物)を取り出し、

「藤林椋、該当せず、っと」
「え、え!? 何がですか!? 何が該当しないんですか!?」

 何やら、調査めいたことを実行されていたことに気付き、涼は焦りだした。

「大したことじゃないんだ。気にしないでくれ」
「き、気になります! サンタを信じてないと何かされるんですかッ!?」
「いや、むしろ、逆にサンタを信じてる方が何かされるんだ」

 のらりくらりと朋也は椋の問いかけを躱していった。
 と、その時、

「椋〜、いる〜?」

 教室のドアを開き、“藤林椋”の双子の姉“藤林杏”が入ってくる。
 朋也と椋、そして、アホ一名が閑談しているのを目にし、自分も加わろうと朋也の机に歩み寄る。

「何々? 何の話?」

 会話に首を出してきた杏に、春原が問いかける。

「杏はさぁ、サンタクロースっていると思う?」

 春原が問いかけると、唐突にサササッと距離を取る杏。
 その顔は汚いモノでも見るような顔だった。

「……え、何で離れるの?」
「あんた、インフルエンザに罹って、熱でも出たんじゃないの?」
「ひいてないよ! つか、それじゃ、学校来れるわけないだろ!?」
「そうだぞ、杏。春原がインフルエンザに罹るわけないだろ? 馬鹿なんだから」
「それもそうね。インフルエンザにだって選ぶ権利はあるわ」
「だろ?」
「僕って、細菌以下ッスかッ!?」
「何言ってんの? そんなの当たり前じゃない」
「それとインフルエンザは細菌じゃなくて、ウイルスな」
「あんた等、マジ似た者夫婦ッス!」

 既に御なじみとなった二人のコンビネーションに、春原は涙した。

「……で、どうなんだ、杏? お前、サンタクロース、信じてるか?」
「え? どうしたの、あんたまで……春原のバカが移った?」
「いいから。真面目に答えてくれ」
「う〜ん、昔は信じてたけど、今はねぇ〜」
「そういえば、お姉ちゃん。小さい頃は『サンタさんが来るまで、起きてるんだから!』とか言ってたよね?」
「よ、余計なこと言わないでよ、椋ッ!」
「うっわ、ウザッ!」
ア゛ァ゛ッ! 何か言ったッ!?

 鬼如き形相で、失言を漏らした朋也を睨む杏。

「い、いえ、おそらく気のせいでいらっしゃることでございますでしょう」

 もはや、何を言っているかも分からない。ただただ恐れ多い口調で誤魔化す朋也。
 ともあれ、サンタを信じていない部類に当たるので、

「春原」
「応ッ! 藤林杏、該当せずっ、と」

 書き書きと春原は、手帳に記した。

「……何、書いてんのよ」
「お前の名前」
「……該当せずって何よ」
「残念ながら、該当しなかったんだ」

 このままでは、朋也は平行線を保ち続けることを悟った杏は、

「春原ぁ〜♪ コークスクリューと低空ドロップキック、どっちがいい〜?」

 標的を変えた。杏の猫撫で声に春原は、

「ひいぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!!」

 蛇の前に晒された蛙よりも尚、震え上がった。

 ――マズい! このままでは、春原がゲロする!

 朋也はデキの悪い脳をフル回転させた。

 本物を――吐瀉物を吐くのは……まぁ、いいだろう。俺に掛からなければ。
 しかし、事実を吐かれると色々とマズい。
 何せ相手は、藤林杏。俺たちがサンタをやる等ということを知ったら……。

「あんた達がサンタぁッ!? あははははははは!
 あんたたち、よっぽど暇なのねぇッ!! 朋也がサンタなら、春原がトナカイ!?
 じゃあ、まず、鼻血で鼻を真っ赤にしないとねぇッ!!」

  ボグッ! グシャ! メキメキメキ!


 ……おそらく、春原が死ぬだろう。
 いやいや、そうではなくて、俺が恥ずかしくて死にたくなる。

 朋也は、さささっと春原に近づき、耳元で囁く。

「春原、何があっても口外するな。――死ぬぞ」
「えぇ、何で!?」
「相手が杏だからだ」
「そ、そうだね! 相手、杏だもんね!」

 何ら詳しい説明も無しに、春原は朋也の言葉を信用した。
 正に、刷り込まれた絶対恐怖が為せる業だった。

「ほら、早く選びなさいよ……答えないってのは、両方ともってこと?」

 ゴゴゴゴッと何故か、徐々に奇妙な効果音が、杏の背後から立ち昇る。

「お、岡崎ッ、どうしよう!? 早く選ばないと僕、死んじゃうかも!?」
「春原は悩み果てた挙句、Bスーパーイナズマキックを選んだ」
「より強力な技、選ばんで下さいッ! つか、Bはありませんよねぇッ!?」
「いや、今の杏なら出来かねない。何てたって、気力150で、丁度、藤林姉妹が揃っているからな」
「あれ、実の姉妹じゃ、ありませんよねぇ!?」

 コソコソと声を潜めながらの漫談という器用な真似をやってのける二人。
 いつまでも、答えを出さない春原に杏は業を煮やし、

「男なら即断しなさいよ!」

 牙を彷彿とさせる掌底が春原の顔面に迫る。

「(ま、まさか、ゴッドフィンガーかッ!?)」

 朋也が解説する。しかし、その手は……

  ガシッ!

 春原の顔面を掴み、

      ギュンギュンギュンッ!

 肩をグルグルと回し、十分な遠心力を蓄え、

               ガゴンッ!

 床に叩き付けた。

「メ、メキシカンタイフーン……」

 朋也の背に戦慄の悪寒が走った。予想を遥かに上回る荒技、古に忘れ去られた大技だった。

「お、お姉ちゃん? ちょっと、やり過ぎな気がします……」

 ひび割れた床と春原の頭らしきものを見て、椋は涙を溜めていた。

「大丈夫よ、春原だもの」

 あまり慰めになっていない言葉だった。
 しかし、校内の極々一部の者たちには、それだけで意味が通じる。

「今度はあんたの番かしら♪」

 杏は花も恥らう……というよりも、花も種子に還りそうな笑顔を朋也に向けた。

「実は今度のクリスマスで、俺達は町内の子供たちのために、サンタをすることになったんだ。
 今、俺たちに与えられた仕事は、校内で“サンタを信じる奴”がいないかどうかを調査すること。
 とりあえず、俺たちは他に信じてそうな知り合いを訊ねるつもりだ」

 朋也の舌は、実にスラスラと饒舌に動いてくれた。おまけとして、今度も予定まで付け加えていた。

「あんた、口外するなって言ってましたよねぇッ!? つか、後半の部分、僕も今知ったんだけどッ!?」

 早くも復活を果たしていた春原。既にその回復力は人外の域に達している。

「俺は平和主義なんだ。知らせなかったのは、ついさっき、俺会議で決定したばかりだからだ」
「僕は、お前の部下かッ!?」
「はは、馬鹿だなぁ、春原。ようやく、気付いたのか?」
「微笑ましげに肯定ッ!?」

 こうして、結局、古河サンターズに入った事実は、藤林姉妹にバレてしまったのだった。

   ※

「ふ〜ん、あんたたちがねぇ……」

 馬鹿笑いすると思っていた二人だったが、予想外にも杏は真摯に受け止めていた。
 いつもの頤に手を当てるポーズで、しばしの間、考え込んでいる。
 そして、杏が口を開く。



「――あ、あたしも手伝ったげよっかなぁ〜、なんて?」



 照れ臭そうに、はにかみながら、杏は言った。

 ………………
 …………
 ……

「あれ? 幻聴かな、岡崎? 今、杏から「手伝う」って聞こえた気がしたんだけど……」
「ははは、幻聴かだって、春原? 幻聴に決まってるだろ? だって、杏だぞ、杏。藤林杏だぞ?」
「意味ありげに名前を連呼しないでよッ!!」

 顔を真っ赤にして、杏が叫んだ。

「いいじゃない! それとも、女がサンタしちゃいけないっての!?」
「い、いや、そういうわけじゃないが……」

 思いの他、押しの強い杏にたじろぐ朋也。

「今や、看護婦は無くなって、看護師!
 男のスチュワーデスだっているし、男の保健の先生だっている時代よッ!?
 だったら、女のサンタがいたって、いいじゃない!」

 まるで女性の地位向上を望む啓蒙家の如く、杏は叫んだ。

「えぇ! 今、日本って、そんなことになってんのッ!?」
「お前、世間、知らなさ過ぎな」

 どうせ、部屋でボンバヘッばっか聞いてるからだろ?
 と、自分の案外似たり寄ったりな生活を棚に上げ、朋也は思った。

「……まぁ、決定権は俺にはないが、オッサンは許すと思うぜ。人手足りないみたいだし」
「オッサン? オッサンって、まさか、あのオッサン? 草野球の?」
「そう、渚の父親でもあり、ゾリオンの覇者たるあのオッサンだ……」
「町内の子供たちのためにサンタを、か。……確かにやりかねないわね、あのオッサンなら」

 更生すべき時に更生し損ねた悪ガキのような……見た目以上に年を取っている男が、杏の脳裏に浮かぶ。
 あの秋生が関わっている。ただそれだけで、朋也と春原が選ばれた理由を察することができた。

「ま、今日の夜も会議あるから、渚ちゃんの家に行けば良いと思うよ」
「俺たちは、他の連中にも聞いてくるから。じゃな」
「渚の家? ちょっと待って、あたし行ったことないんだけど?」

 教室を去ろうとして、後ろ髪を引かれるように振り返る二人。

「あれ、そうだったっけ? じゃあ、岡崎、お前案内してやれよ」
「は? 何で、俺なんだよ。お前がやればいいだろ?」
「だって、僕、杏の家知らないんだぜ?」
「奇遇だな、俺も知らねぇ」

 ………………
 …………
 ……

 更に両者は、如何に自分が相応しくないかを証明するために、口を開こうとした瞬間。

「あのさ。あんたたちで決めようとすると、どうしようもなく不毛で、際限なく長引く予感すんのよね、あたし」

 正鵠を射るような杏の意見が二人の耳に入った。
 いや、意見というよりも予見に近く、おそらく、的中率100%だった。

「じゃあ、どうしろと?」
「あたしが選ぶわ。――朋也、あんたに決定ッ!」

 朋也の問いに杏が逆指名権を主張すると同時にビシッと指で文字通り指名した。

「何ぃッ!? おい、杏ッ! そりゃ、些か理不尽過ぎねぇかッ!?」
「え〜、だって、あんたの方が信頼できるもの」
「ぐッ……」

 何か言おうにも褒め言葉である以上、何も言えない朋也だった。

「じゃ、一旦、家に帰ってから、楽市通り前で集合ね♪ 約束約束ぅ〜」

 楽市通り前とは、この辺りの商店街の入り口のことである。

「一方的な約束って、守る価値があるのか……?」
「破ったら、百科事典、縦にして食わすから♪」
「絶対に行かせて頂きますッ!!」

 強制的に朋也は誓わされ、二人は教室を出て行った。
 おそらく、五時限目が始まってから帰ってくるだろう。

「お姉ちゃん、どうして手伝おうと思ったの?」

 静観していた……というか、会話のテンポが速すぎて、中々上手く入れなかった椋は、姉に訊いた。

「あ! もしかして、椋もサンタ、やりたかった?」
「あ、ううん。私は……その、クリスマスには用事が……」

 涼は真っ赤になって俯いた。

「あぁ、そういえば、椋には勝平がいるか。ヒュ〜、ヒュ〜、熱いね、ご両人♪」

 もはや、中年オヤジと変わらぬ声調で、椋を冷やかす杏。
 それに対し、涼は全く杏の期待通り、熟れたリンゴのようになった。

 看護婦になりたいと云う夢を、空想としてでなく、既に現実として椋は追っていた。
 本格的な始動の一環として、椋は病院でバイトをしている。主に病院の雰囲気などを知るのが目的らしい。
 そして、そのバイト先の病院で知り合った男と、所謂、イイ関係になったとのこと。
 その事実を知った時、杏は驚きを以って迎えた。

 ――そして、それは同時に胸に秘めた想いの再覚醒の刻でもあった……。

「わ、私のことはいいの! そ、それで、何でサンタの話、手伝おうと思ったの?」

 何とか姉の冷やかしから逃れるため、強引に話を戻す椋。

「朋也は兎も角、春原はカンッペキトラブルメーカーだもの。絶対、子供の夢を壊すわ」

 将来、保母になりたいと云う夢を抱く杏として、それは絶対に許されざることだった。
 もし、目の前でやったら、きっと殺す気でシャイニングウィザードをブチかますだろう。
 しかし、それは確かに嘘ではなかったが、建前でもあった。

「それに……ことみあたりは、サンタ信じてそうだし。
 聖夜にサンタのカッコした朋也と二人きりだなんて、ヤバ過ぎるシチュエーションだわ……。
 それだけは、絶対阻止しなきゃね……」

 それが杏の本音である。
 モソモソと頤に手を当てて言ったため、椋には聞こえず、

「え? お姉ちゃん、何か言った」
「え!? あ、ううん、何でも無いわよ♪」

 杏は繕うように誤魔化した。





 朋也と春原は、ある教室の前にやってきていた。プレートには『2−B』と記されている。
 目の前の教室の中に、“坂上智代”がいるはずだった。
 朋也はドアを指差し、春原に命じた。

「よし、春原。いつものように智代を豪快に呼び出してくれ。後、ついでに蹴飛ばされろ」
「何、さりげに不吉なこと言ってんのさッ!?」
「無性に宙を華麗に舞うお前が見たくなったんだ」
「舞ってんじゃなくて、舞わされてんですけどッ!?」

 二人が……というより、春原が廊下でギャーギャー騒いでいると、教室のドアがスライドした。

「相変わらず、騒々しいな、朋也。教室の中まで丸聞こえだぞ?」

 智代の方から現れてくれた。
 渡りに船というか、ロープで無理やり引っ張ってきたようなものだったが、好都合だった。

「よぉ、智代。相変わらず、忙しいか?」
「当たり前だ。私は生徒会長だからな、忙しいに決まっている」

 辛そうでもなければ、疲れていそうでもなく、智代は誇らしげだった。

 智代はこの学校の生徒会長である。それが当初、編入してきたばかりの彼女の夢だった。
 今現在、彼女は夢を叶え、日々、全校生徒のために奔走している。
 顔も知らない不特定多数のために、自らの時間を割くと云う思考回路は朋也にはとても理解できない。
 だが、真剣に取り組む姿勢を崩さない智代の姿は、朋也にとっても、見ていて気持ちが良かった。

「それに私が忙しいということは、それだけ生徒の生活が改善されているということだ。とてもいいことだろ?」
「……あぁ、そうだな。頑張るのもいいが、たまには休めよ?」
「分かっている。私は生徒会長だが、全校生徒の一人でもあるんだ。
 その私がダメになったら、元も子もない。だが、心配してくれてありがとう。
 ……朋也、お前はいい奴だな」
「ま、言葉だけの応援ならいくらでもしてやるぜ」

 智代が生徒会長に立候補した時も、直接的に朋也は何か行動を起こしたわけではない。
 だが、そんな智代を応援したいという気持ちは偽りではなかった。

「……あのさ。もしかしてなんだけど、智代、僕の存在忘れてない?」
「? 誰だ、お前は?」
「根本的に忘却ッ!?」

 この場だけでなく、記憶から消去されていることに春原はショックを受けた。

「冗談だ。おまえのような男は忘れようがない」
「ははっ、そうだろね。僕は記録じゃなくて記憶に残る男だからね!」
「そう、春原は俺たちの記憶の中で永遠に生き続けるんだ……」
「勝手に殺さんで下さいッ!」

 そんなやり取りはさておき、

「ところで、智代。もうすぐ、クリスマスだよな」
「あぁ、そうだな。朋也はどうするんだ? クリスマス」
「ん? ……あぁ、一応、先約があるんだ」
「そうか……」

 何故か、少し残念そうな表情をする智代。

「まさか、そいつと二人っきりで過ごすのか?」
「それだけは、マジ勘弁して下さい!」

  ザザッ!

 朋也は、光のスピードで床に額をこすりつけて、土下座した。

「あっはっはっは! 女の前で土下座って、カッコ悪すぎだぜ、岡崎ぃ〜!」

 春原は偉そうに腰に両手を当て、しゃちほこばって哄笑する。

「って! お前、土下座する程、僕のことが嫌いなのか!!?」

 ワンテンポ遅れて、真実に気付く春原。

「そんなことは無いぞ。ランキング的には、ゴキブリ以上シロアリ以下だ」
「害虫レベルっスかッ!?」

 まずは哺乳類まで、レベルアップする必要がある春原だった。

「ま、兎も角だ。智代、お前はサンタクロースを信じてるか?」

 朋也は質問の核心を述べた。

「随分と藪から棒だな、どうしたんだ?」
「いいから、さっさと吐きやがれッ!」

 まるで時代錯誤な取り調べをする刑事のように詰問する春原。
 スタンドライトがあったら、智代の顔を存分に照り付けていただろう。
 尤も、そんなことをすれば、ただでは済まなかっただろうが。

「サンタクロースか……それを信じてると凄く女の子っぽいな」

 智代の顔が柔らかく綻ぶ。
 しかし、それはサンタの実在を信じている発言ではなかったため、

「春原」
「はいはい。坂上智代、該当せず、っと」

 手帳にそう記された。そして、春原は続けて言う。

「ま、こんな怪力女が信じてるわけないさ。サンタが来ても、寝相で蹴り殺しそうだもんね!」
「春原、センタリングパスッ!」

 春原の発言直後、朋也が間髪入れずに叫ぶ。
 手を差し伸べる朋也に、春原は閉じた手帳をフリスビーのように投げた。
 春原も元はサッカーのスポーツ推薦で来る程の選手だ。
 その名残で、サッカー用語を聞くと反射的に反応してしまうのだった。
 朋也は手帳を素早くキャッチし、その安全を確保する。
 そんな動作の最中にも、智代の足が春原の顎に迫り、

  どぐしっ!

「あべしっ!?」

 春原は重力の束縛から解放された。
 重力は執拗に春原を連れ戻そうとするが、

  どぐしっ! どぐしっ! どぐしっ! どぐしっ! どぐしっ!
     どぐしっ! どぐしっ! どぐしっ! どぐしっ! どぐしっ!

 智代の百裂脚が、それを許さなかった。

「トドメだっ!」

  どぐしっ!!!

 一際、強く蹴られた春原は、天高く舞い上がり、

        ゴガッ!!

 天井に後頭部を強かに打ち付け、

             ドサッ!

 廊下に伏臥した。

 ………………
 …………
 ……

 いつまで経っても、春原はピクリとも、動かなかった。
 パラパラと少し欠けた天井の破片が舞い落ちて、降り注いでくる。

「勢い余って、殺してしまったかもしれない……」

 自ら犯してしまった所業に、智代は胸に手を置いて、不安げに眉を寄せた。



「智代……仕方ねぇよ、今のは不可抗力だ。生徒会長も楽な仕事じゃねぇんだろ?
 強がっててもさ。どこか、ストレス溜まってたんだよな。それがちょっとした拍子に出ちまっただけさ。
 大丈夫だ……って言ってやりたいけど、最悪“過剰防衛”になっちまうかもしれねぇ。
 でもさ、もし、お前の心無い噂、聞いたらよ。――俺が、そいつらをはっ倒してやるよ」



 朋也はあまり自分に優しさが無い人間であることを自覚している。
 しかし今、なけなしの優しさをかき集め、一人の少女のため、舌に乗せて贈った。

「……朋也」

 ジワッと胸に暖かなモノが宿るのを智代は感じた。

 ――穏やかで暖かい時間だった。今だけでいい。
 ――少しだけ……止まれとまでは言わない。
 ――しかし、その流れが緩やかにならないだろうか……。

 そう、智代は望んだ。

「つか、死にかけの僕、ほったらかしてラブラブモード入んないでよッ!?」

 だが、空気の読めない春原の復活により、泡沫の幸福は一気に弾け飛んだ。
 どうやら、打たれれば打たれるほど春原は強くなるようだ。……肉体の回復力だけは。
 不機嫌のあまり、起き上がったばかりの春原に前蹴りを見舞おうかと、智代は考えたが、あまり朋也の前で女の子らしくない行為を見せたくはなかったので、やめておいた。

「しかし、一体何故、そんなことを訊ねて来るんだ?」
「……あぁ、いや。別に大したことじゃないから、気にしないでくれ」

 智代なら知っても、笑わないだろうが、気恥ずかしいことには変わりない。
 よって、適当に言葉を濁した朋也だったが、

「そうか……。言いたくなかったら、別にいいんだ。
 誰でも訊かれたくないことはあると思うから。私だって、朋也に昔のことは訊かれたくはない」

 悲しげに少し俯く智代。そう言われて、何やら罪悪感が芽生える朋也。
 自分はただ気恥ずかしいから言いたくないだけだが、智代のそれは違う。
 智代も昔は荒れており、夜な夜な、人様に迷惑をかける連中を退治していたらしいことを朋也は知っていた。

 ――そんな壮絶な過去と比べられてもなぁ……。

 正直、そんな心境だった。だからこそ、

「いや、草野球で先発ピッチャーしたオッサンがいただろ?
 あのオッサンが、自分の草野球チームを“古河サンターズ”ってのに変えてな。
 風邪で病欠したメンバーの代わりに俺たちが呼ばれて、今度サンタすることになったんだ」

 最初の基本方針も何処へやら、事実を口にしてしまった。

「朋也たちが、サンタ? 本気なのか?」
「……らしくねぇだろ? 笑えよ」

 カァっと火照ってきた顔をプイッとあらぬ方向に向ける朋也。
 子供のような反応をした朋也を、妙に可愛く思い、智代はクスリと微笑んだ。
 しばし、智代は考えて、



「――なぁ、私にも手伝えることはないか?」



 朋也に古河サンターズへの参加を希望した。
 まさか、杏以外にもそんな風変わりな少女がいるとは思わなかった朋也は、

「……正気か、サンタだぞ? この年ですることじゃないだろ? バイトでもないのに」

 目を丸くして言った。

「正気か、とは酷いな。お前たちだって、やるんだろ?」
「まぁ、そうなんだけど。僕たちは勢いで参加しちゃったしねぇ……」
「もし、途中で抜けたら、あのオッサンに何されるか分かんねぇしな……」

 フゥ〜……と、二人して溜め息を吐いた。

「お前たちは、お世辞にも素行が良いとは、言えない。
 だが、今、お前たちは人のために何かをしようとしている。
 私はそんなお前たちに心を動かされたんだ。こんな理由じゃ、ダメなのか?」

 真っ直ぐな智代らしい発言だった。

「それに同じ夜の活動にしても、夜な夜な、不良退治するよりは……ずっと夢がある……」

 フフ……と少し疲れているのか、智代の口元に傍目から見ても、恐ろしい作り笑いが浮かぶ。

「(……ヤバイ……もう、そろそろ撤退するぞ、春原)」
「(う、うん、そだね。キョンシ、危うきに近寄らずってね)」
「(お前の知ってるキョンシーは、ヘタレか)」

 小声で漫談するという器用なことをする両名。

「まぁ、マジで参加したいと思うなら、今日の夜、オッサンの家で会議あると思うから、そこに来てくれ」
「分かった。だが、私はあの人の自宅を知らないんだが……朋也、そこまで案内してくれないか?」

 朋也は少し悩んだが、どの道、杏も自分が案内しなければならない。
 一人が二人に変わった所で、大した手間の差はなかったので、

「じゃあ、一旦家に帰ったら、楽市通り前に来てくれ」

 軽く引き受けた。
 こうして、また一人、古河サンターズに加わることとなった。





 次に岡崎と春原は、資料室にやってきていた。
 普段から人気の少なく、全校生徒に忘れ去られたような場所に、一人の少女がいる。
 不良と世間から蔑まれるような人種と平気で付き合う少女――“宮沢有紀寧”と云う名の少女が。
 この進学校にて、異色的な不良、朋也と春原にとっても、有紀寧のいる資料室は来やすかった。
 朋也は、何の迷いもなくドアに手を掛け、スライドさせる。

   ガラガラ

「うぃーっす、有紀寧。いるかぁ?」
「はい。いらっしゃいませ」
「とりあえず、コーヒーくれ。後、迷惑じゃないなら、ピラフも」
「はい、かしこまりました。でも、少し時間がかかってしまいます」
「あぁ、いいよ。いくらでも待つから」

 椅子を引いて座り、机に頬杖をつく朋也。
 ここには有紀寧が勝手に持ち込んだ調理道具がある。更に冬になって、ストーブまで追加されている。
 既に資料室は実質上、有紀寧の私室と化していた。
 調理器具を操る有紀寧を見ながら、

「あんだけ上手いピラフがただで食える。これぞ、まさに不良の特権だな」

 声だけで、隣に同意を求める。が、返事がない。

「?」

 振り向いても、春原はいなかった。

「春原? 春原ぁ〜!? ま、まさか、存在がいくら小石並だからって、ホントに消えちまったのかッ!?
 そうか! あの金髪はカツラを兼ね備えた石ころ帽子だったのかッ!?」
「いるよ、ここにぃッ! それに僕の髪は石ころ帽子じゃねぇッ!!」

 春原はまだ入り口に突っ立ていただけだった。

「あ! 俺もコーヒーとピラフ宜しくね、有紀寧ちゃん!」
「はい、かしこまりました」

 朋也の隣の椅子に移動しながら、要望を伝える春原。

「何かさっきの有紀ちゃんとお前の会話って、夫婦みたいじゃね?」

 春原は、いつものこめかみに汗を貼り付けた笑顔で言った。

「実は事実婚なんだ……」
「えぇッ!? マジかよッ!? 同棲してんの、お前らッ!?」
「てか、今の分かったのか、春原ッ!?」

 春原が意味を正確に理解していることに、逆に驚かされる朋也。
 もしかすると、単細胞生物なので、学習能力がズバ抜けているのかもしれない。
 もしくは、目を離していた時に、別人にすり替わっているとか……。

「失礼な奴だなぁ! そんくらい、僕だって分かるさ!」
「じゃあ、俗に云う“無実の罪”とは?」
「はっ、知ってるぜ! “援交”だろッ!」

 ビシッと親指を立てた握り拳を突き出すナイスガイポーズで、思い切り間違う春原。

 ――良かった、やっぱり、春原だ。

 朋也は素直に安堵した。
 どうやら、女が絡むことになると詳しいだけのようだった。

   ※

 ジャージャーと何かがフライパンで焼かれる音がする。
 そして、いつしか、資料室には香ばしい匂いが漂い始めていた。もちろん、有紀寧が作るピラフの匂いだ。
 二人はあまりに暇なため、まじない百科事典を開いていた。

「よし! 春原、これやってみようぜ!」
「何々? どんなまじない? 変なのじゃないよね?」

 任せろ、と朋也は無責任に答えて続ける。

「え〜とだな。まず、自分よりデカイ物体に抱きつけってよ」
「え? 本棚でいいのかな?」
「理想的には抱き閉められるのがいいらしいけど、最悪、引っ付いてもいいんだと」
「うんしょっと、これでいいの?」
「あぁ、それで力の限り抱きしめるんだ」
「ふんぐぐぐッ!」
「そしたら、最後にサヨナラテンサンサヨナラテンサンサヨナラテンサンと三回言うと終了だ!」
「サヨナラテンサンサヨナラテンサンサヨナラテンサン……って、岡崎、これって、何のおまじない?」

 朋也がペラッとページを捲り、読み上げる。

「スゲッ! “三分後に自爆する”おまじないだってよ!」
「うぇぇぇッ!? それ、まじないじゃなくて、呪いじゃんかッ!?」
「あぁッ! 今この時に、カップラーメンがあればッ!!」
「僕の命のタイムリミットは、アラーム時計と等価値かぁぁぁッ!?」

 相方の理想とするボケを汲み取り、ツッコミを入れるという高等技術を見せる春原だった。

「(相変わらず、仲がよろしいですね)」

 クスリと後ろの二人に対して、有紀寧は口を綻ばせた。

   ※

 そんなこんなで遊んでいた二人。正確には、遊ぶ者と遊ばれる者だったが。
 しかし、二、三回すると、春原で遊ぶのにも、朋也は倦んできた。
 手持ち無沙汰も手伝って、朋也は有紀寧の背中に問いかける。

「……有紀寧はサンタを信じてるか?」

 春原も心得たもので、サッと懐から、手帳を取り出していた。

「サンタさんですか……。サンタさんは……いません」

 少しの間、調理する手を止め、少し俯きながら、有紀寧は答えた。

「宮沢有紀寧。該当せず、っと。……ちょっと、残念かな」
「……いや、一応、該当って書いとけ」

 一瞬、朋也に怪訝そうに片眉を顰めたが、「分かったよ」と言って、春原は言われるがままに記した。

「朋也さん、春原さん。ピラフ、できましたよ?」

 何処か母親めいた印象のする声で、二人に呼びかける有紀寧。
 ピラフを盛った皿を二つ。二人の前に置いた。

「サンキュな、有紀寧」
「サンキュ〜、有紀寧ちゃ〜ん」

 其々に礼を述べる朋也と春原。

「あ、すみません。コーヒーを入れ忘れていました」

 有紀寧はインスタントコーヒーを入れたカップを持って、パタパタと急ぎ足で、ポットに向かった。
 そして、ポットの頭を押すが、

「えい……あれ? えい……あれあれ?」

 ゴブゴブと音は立っているが、お湯が出てこない。頭を押した時の抵抗感もいつもより軽い。
 よく見ると給水ランプが点灯していることに、有紀寧は気付いた。

「あ〜、別に僕等は、コーヒー無くてもいいよ。有紀寧ちゃ〜ん」

 ――勝手に決め付けるな、コラ。
 と、言ってやりたいが、実際無くても良かったので、朋也は何も言わなかった。

「そんなワケにはいきません。お客様はきちんともてなさないと。
 私、買ってきます。どうぞ、お二人は先に召し上がっていて下さい」

 引き止める間もなく、有紀寧は急ぎ足で資料室を去って行った。

「あ〜、行っちゃったよ。有紀寧ちゃん」

 春原が、スプーンを咥えながら、残念そうに呟いた。
 ――その時だった。

「よっこらしょっと……」
「出たぁぁあぁぁぁあッ!!」

 窓から窮屈そうにのっそりと現れたガタイの良い男――荒井に、春原は幽霊でも見たかのように絶叫しながら、椅子もろとも後ろに倒れこんだ。

 一目で明らかにこの高校の者でないことが分かる、黒の学ランとズボン。
 ボタンの存在を否定するが如く、前を全開してるため、赤いTシャツを着ているのが分かった。
 黒髪を芝のように短く刈ったような髪型に、厳つく角ばった顔。
 目鼻立ちは悪くないのだが、太い眉と吊上がった目が、本人の意思とは無関係に粗暴に見せる。
 つい最近、一戦ヤラかしたのか、右眉には絆創膏が一枚、左頬にはシップが一枚張られていた。
 何を食べれば、そうなるのだと言いたくなる程、その上半身は見事な逆三角形で、まさに筋骨隆々だった。
 朋也たちを悠々と見下ろせるので、軽く190cm台はあるだろう。

 ――それが、窓枠から進入してきた男、荒井の風貌と容貌だった。

「アァ? っんだとコラ? ゆきねぇのトコに俺が来ちゃダメなのかよ、オォ?」

 同じ高校生とは思えぬ程、ドス太い声で春原を恫喝する荒井。

「い、いえ、全く。カム カム ウェルカムです!」
「それ思いっきり、日本語英語だからな」

 ピラフを貪りながら、忘れずにツッコミを入れる朋也。
 荒井は、ポケットに両手を突っ込み、やや猫背で、威圧感たっぷりにガンを飛ばしながら、のっしのっしとこちらに歩み寄り、二人と対峙するように椅子にどっしりと座り込んだ。
 荒井は何も言わず、覗き込むようにして、しかし、上目遣いでこちらを見ている。
 女の子にやられたなら、嬉しいその仕草も、不良がやっても恐怖しか感じなかった。

 しばらくの間、荒井はその姿勢のままだった。
 腰は痛くないのだろうか?朋也はふと思った。
 静寂の中、春原は『食べたら殺される』と根拠無き恐怖を抱いていたため、朋也だけが黙々とピラフを攻略していた。

「……おめぇ等、クリスマスに何かやんのか?」

 唐突に荒井が訊ねてきた。

「えっ! な、何でそのコトを!? ま、まさか、あんた超能力――」
「あ、もうそれ一回やったから。いい加減、学習しろな」

 食べ終わったピラフの皿に、手を合わせながら、ツッコミをいれる朋也。
 続いて、荒井に問いかける。

「あんた、一体何時から、あそこにいたんだ?」
「よく聞こえなかったが、おめぇ等のサヨナラうんたら辺りからだ」
「結構、前じゃんかよッ!?」

 春原の悲しい芸人本能が、相手を選ばず、ツッコミをいれた。

「アァッ!? そんなに悪いのか? タイミング計るのがッ!?」
「いえ、ベッド タイミングだったと思いますッ!」
「ベスト タイミングと間違えるにしても、それ、何か卑猥な」

 今度、杏にブッ太い英和辞典をブチ当てて貰えないか、頼んでおこう。
 春原のための新しい勉強法を考え付く朋也。

「てか、ピラフ食えよ、春原。冷めたら、勿体無いだろ?」
「え? あ、あー、うん。そうだね」

 スプーンを手に取り、春原もピラフの攻略を始めた。
 春原の中で、『岡崎、ピラフ食って大丈夫』=『僕も大丈夫』という方程式が出来上がったためだった。

「何やんだよ、クリスマスに?」
「サンタを少々……まぁ、自由参加的な町内の催しモンだと思ってくれれば」

 何故か、お見合いのような物言いで、朋也は答えた。

「サンタか……まさか、ゆきねぇのトコにも来てやろうって魂胆じゃねぇだろうな」
「めっほうもほふぁいまふぇん!(滅相もございません!)」
「あ〜、春原。お前、ちょっと黙って食ってろ」

 呆れたように耳ほじりながら朋也が言うと、春原はピラフを頬張ったまま、コクコクと頷いた。
 朋也は、隣が黙ったのを見計らって、言う。

「一応、有紀寧の所にも行く予定だけど……ダメなのか?」
ダメだ。許さねぇ。ぶっ殺す……

 恐ろしい三段活用だった。隣の春原が喉を詰まらせ、胸を叩いて、もがき苦しむ。
 何と言うべきか、黙っていても五月蝿い男だった。

「何でダメなんだ? 何か理由があるんだろ?」

 そう訊ねると、荒井は口をほんの少し突き出すような感じで噤み、朋也を視界から外した。
 大きな体と厳つい顔つきのわりに、反応は拗ねた子供のようだった。
 朋也が言葉を紡ごうとした時、荒井は口を開いた。



「――ゆきねぇのサンタは、和人だけだ」



 朋也にとって聞き覚えの無い名前だった。

「一体誰なんだ。和人って人は?」
「……ゆきねぇの死んだ兄貴だ」

 そして、荒井は宮沢有紀寧と云う名の少女について語った。

 それは二人の兄妹の話。二人は正反対の生き方をしていた。

 その家の両親は厳しかった。
 妹はただ両親の言われるがまま、習い事をし、礼儀正しく生きていた。
 しかし、兄は、自由を求め、親に理解されぬ苦しみから乱暴になり、家の両親よりも外の友達に安らぎを覚え、帰宅することは少なくなった。実際、勘当同然だった。世間的に言えば、いつしか、その兄は不良と呼ばれる枠に嵌められていた。だが、それでも、妹とは仲は良かった。その兄にとっても、その妹にとっても、互いの存在は特別に大切だった。
 しかし、その兄は死んだ。――友人を庇っての死だった。

「その友人って……いや、悪りぃ。続けてくれ」

 朋也はすぐさま、謝罪し、それ以上の追求はしなかった。
 その友人が荒井自身か、もしくは、その周辺人物であることは明白だった。
 それを無粋にも、言葉で訊ねるのは、あまりに人をコケにしていた。

「……続けんぜ」

 荒井は言葉少なく、呟いた。

 その後、妹は兄の葬式で涙を流す兄の友に……。
 恐ろしげに映っていた不良たちに興味を持つようになった。
 そして、いつしか有紀寧のいる資料室は、不良たちの心の憩い場と化していったのだと云う。

「『家は最悪だけど、外は楽しくて仕方がない』。あいつはいつもそう言ってたぐれぇだ。
 和人は家に帰りたがるこたぁ、なかった。帰るにしても、不定期だったしよ。
 でもな、そんなあいつが決まって必ず、家に帰る日があったんだよ」
「それが、クリスマスだったってことか?」

 朋也が問いかけた。

「いや、正確には日じゃねぇな。時期だ。クリスマス明け。26日〜28日ぐらいのな」
「んん? 何で、そんな微妙な時期なのさ?
 きっちり、クリスマスかイヴに帰って上げた方が有紀寧ちゃんも喜ぶんじゃないの?」

 春原も疑問を投げかける。どうやら、ピラフは食べ終えたらしい。

「普通に考えて、クリスマスは両親がいるだろうが!
 んでもって、和人と両親は仲が悪かったっつったろうが、オォ?
 自分が行ったら、喧嘩でクリスマスがブチ壊しになんの、分かってて行く馬鹿がいるわけねぇだろがッ!」

 ダァンッ!と荒井がテーブル叩いて凄む。紙の皿が驚いたように跳ねた。
 すると、春原はやはり、

「ひぃッ!? 調子乗って、敬語やめてスミマセンッ!」

 と微妙に反省する点を間違えながら、縮み上がった。
 そんな春原を無視して、荒井は続ける。

「そん頃の有紀寧は、クリスマスにケーキを食べなかったし、プレゼントだって望みはしなかった。
 親からすりゃ、変な娘だっただろうな。だが、当然と言えば、当然だ。
 有紀寧にとっちゃ、それはクリスマスじゃねぇからな」

 頭の後ろで手を組み、椅子に凭れ掛かる荒井。


「――和人ってサンタがいねぇと……ゆきねぇのクリスマスは、始まらなかったんだよ……」


 荒井は、そっぽを向いたまま、悲しげに……しかし、そっと宝物でも愛でるように呟いた。
 それは、この男にとっても、大切な友人の……否、マブダチの記憶だからだろう。

「ゆきねぇとって、サンタは特別だ。だが、あいつはもういねぇ。
 あいつが死んだ次の年から、ゆきねぇのサンタは来なくなっちまった。
 誰もあいつの代わりなんて、できねぇ……。
 だったら、俺たちができることは……唯一つしかなかった。
 クリスマスみてぇなことでもして、ゆきねぇの寂しさを紛らわすぐらいしかできねぇんだ」

 そんな荒井の様子を朋也は見、聞いた話を踏まえた上で、敢えて言った。



「――あんたさ。有紀寧のために、サンタやらないか?」



 そう、提案した。

「……おめぇ、さっきの話、聞いてたよな?」

 元々、重低音な声が尚のこと、低く重いモノになる。そして、

「喧嘩売ってんのか、コラァッ!?」

 ガタンッ!と椅子が音を立てて、倒れる。
 表情を獰猛に歪めた荒井は、机に身を乗り出し、朋也の胸倉を掴み、無理やり立たせるように引き寄せる。
 その巨体通りの膂力に、いとも容易く朋也自身の意思を無視して、体が中途半端に立つ。

「ちょ、ちょちょちょッ! 待ってッ! 落ち着きませんッ!?」
「おめぇは、黙ってろッ!!」
「はいぃぃぃッ!」

 荒井の威喝に、春原は軍曹に命じられた二等兵の如く、直立不動の“気をつけ”をしてしまった。
 最初から、春原の制止は期待していなかった朋也は、言葉を綴る。

 荒井の瞳を見る。
 睨み返したわけではない。しかし、脅えの一切無い、真摯な眼差しだった。



「あんたは……いや、あんたたちは、知ってるんだろ?
 有紀寧と同じ、その“和人”って人を失った苦しみって奴をな……。
 だったら、尚のこと、あんたたちが有紀寧のサンタになってやれよ。
 寂し過ぎるだろう? 心の中でしか、サンタに会えねぇなんてよ。
 苦し過ぎるだろう? クリスマスが来る度、死んだ兄貴のことしか思い出せないなんてよ。
 一人のサンタを失った悲しみなんかよ……。
 ――あんたたち、全員が力合わせたら、拭えるんじゃないのか?」



 朋也に魔法でもかけられたように、まばたきをすることすら忘れて、荒井は動きを止めていた。
 驚きのあまり、ほんの少し、目を見開いて、止まっていた。
 荒井は、朋也の胸倉を掴む手を突き放すように解放し、浮かした腰を再び椅子に下ろした。

「……おめぇは、知らねぇだろうが。和人がどんだけスゲェ男だったか」

 頬杖をつき、やはりこちらを見ずに言った。

「あぁ、知らないさ。多分、だから、言えたんだろうな」

 朋也は乱れた服装を整えながら、言った。

 ………………
 …………
 ……

 その場にいた者全てが、ただ完黙していた。
 あった変化といえば、気をつけをしていた春原が、遠慮がちに椅子に座り直したことぐらいだった。
 その寂然とした雰囲気を、



「……自由参加っつったな。――そりゃあ、一体何処に行きゃいいんだ?」



 荒井の一言が破った。

「勘違いすんなよ、まだ参加するとは決まっちゃいねぇ。……他の連中にも、相談してみるだけだ」

 頬杖をついたまま、ケッと吐き捨てる荒井。
 どうも、朋也に“乗せられてやろう”としている自分が気に食わないようだった。

「そういや、あんたの名前。まだ聞いてなかったな、俺は岡崎朋也だ」
「………………“荒井あらい剛毅ごうき”だ」
「あ、僕、春原陽平ッス。もし、ラクビー部に襲われたら、助けて下さい」

 便乗するように自己紹介し、いきなり頼る春原。勿論、朋也と荒井は無視する。

「なるほど、名前からして、強そうだ」
「ははっ、ホント、“瞬獄殺”とかできそうッスね」
「アァッ!? ナメてんのか、おめぇはッ!?」
「ひぃッ! 褒めたのにッ!?」

 どうやら、春原は褒めたつもりらしかった。

  ※

 そして、朋也は荒井に古河家へ向かうように伝えた。無論、荒井はそこまでの道順を知らなかった。
 そのために、

「そうだ、春原。お前、案内してやれよ」

 春原に任した。

「えぇぇぇぇぇッ!?」

 クルッと顔を向けて言った朋也に、春原は悲鳴を上げた。
 何とか、一緒に案内しようと春原は食い下がったが、朋也は杏と智代を連れて行かねばならないし、一緒に案内しようにも、荒井も他の仲間を呼ぶ時間がいるために、どうしても時間が合わないようだった。

「うぅ、分かったよ。……岡崎、もし……もしもね。僕が死んだら、僕のボンバヘッ全曲上げるよ」
「あ、悪りぃ。全然興味ねぇや!」

 よって、春原はしぶしぶ了解せざるを得なかった。

「じゃあ、春原がいる学生寮……って知らないか。やっぱ、この学校の前に集まってくれ」
「あぁ、分かっ――ッ!!」

 荒井は言葉の途中で、突然立ち上がり、巨体に似合わぬ素早さで窓枠から去っていった。
 いきなりの行動に朋也と春原が戸惑っていると、ガラガラと資料室のドアが開き、

「ん? お前たち、ここで何をしている?」

 この高校の教師が入ってきた。
 どうやら、荒井はこれに感づいたらしい。まさに野生動物ばりの勘だ。

「先生こそ、こんなトコに何しに来たんすか」
「これを置きに来た」

 春原が問うと、スーツ姿の教師は手に持っている物をスッと見せた。
 その表紙には何やら、馬鹿でかい大刀を担いでいるオレンジ色の髪をした黒装束の少年が写っていた。
 この資料室は、生徒が無断で持ち込み、没収された漫画がある場所でもあった。

「まさか、お前たちも学校に漫画なんぞ、持ってきちゃおらんだろうな?」

 単行本を適当に投げ捨てながら、スーツ姿の教師はギロリと目を光らせた。

「はは、んなワケないっすよ」

 春原が軽く答えた。どのみち、そんなモノを買い揃える金は無かった。
 教師の用は本当にそれだけだったようで、サッサと資料室を出て行った。

 そして、数分後。
 ようやくのこと、有紀寧が帰ってきた。

「すみません……ミスを犯してしまいました……」

 申し訳なさそうに、有紀寧はしょんぼりとしていた。
 どうやら、スチール缶ではなく、紙コップのコーヒーを買ってしまったとのこと。
 それを両手に持ち、且つ人ゴミの中、零さないとなると、走るなど到底できなかったらしい。
 有紀寧は、他者に誇れる程の運動神経は持ち合わせていなかったのである。
 朋也と春原はそのコーヒーの代金を渡し、飲み干した後、ピラフの礼言を残して、資料室を後にした。

   ※

「つか、古河サンターズの参加人数、どんどん増えてくね」
「別にいいだろ? 人手が多い分には」
「ハッ! 仲間が増えてくって、まさかこれって、RPGの本道行ってんじゃないッ!?」
「お前はクリスマスに、魔王でも倒しに行くのか」

 廊下をテクテクと二人は歩きながら、雑談していた。
 朋也が先頭、春原はその後方に続いている。職業をつけるなら、“勇者”と“遊び人”が妥当だっただろう。


 しかし、朋也はこの時の自分の言葉を苦い想いと共に振り返ることとなる。
 ――それほど、的外れな発言じゃなかった、と……。





  キーン! コーン!
    カーン! コーン!

 甲高く耳障りな、昼休み終了のチャイムが鳴った。
 おそらく、幾人かの生徒は今頃、慌てふためいて、教室を目指しているだろう。
 しかし、所謂、不良である朋也と春原には、昼休み終了のチャイムはあまり意味が無い。
 どの道、授業内容は、既に二人の理解の範疇外にあるのだ。
 ならば、授業を受ける時間を調査に回した方が、余程有意義だった。

 そして、今、二人がいるのは、旧校舎の図書室の前。

 ここに“一ノ瀬ことみ”がいるはずだった。
 ことみは、この学校において、朋也たちと異質と云う意味では似たような存在だった。
 さりとて、成績不順の不良というわけではない。むしろ、それは逆で、優秀過ぎるのだ。
 彼女は、この学校に成績優秀者として推薦で入学した程の頭脳を持っており、全国模試で全教科トップ10に入る天才児なのだ。極めて優秀な彼女には、“授業に出なくても出席扱い”と云う特権が与えられている。
 朋也たちのように、“授業についていけない”のではなく、“授業がついていけない”のである。

「やっぱ、ここは最後にしておいて、正解だったな」

 朋也が呟く。
 不良の朋也たちは兎も角、他の者は授業を受ける義務がある。
 だが、ことみにはない。必然、ことみは調査の最後に回された。
 無論、一生徒である以上朋也たちにもその義務はあるのだが、そんなモノは今頃、宇宙の彼方だ。

「え、最後? 渚ちゃんと風子ちゃんは、聞いてかないの?」
「あいつらは、あの人たちがやるから、聞くまでもないだろ」
「それもそっか。んじゃ、もう該当せず、って書いとくよ」
「あぁ、有紀寧のサンタも、荒井たちがするだろうから、消しとけ」
「はいはい、分かりましたよっと」

 朋也の注文通りに手帳にバッテンを記していく春原。

「あれ? 何か一人も該当者がいないんですけど?」
「……そうか」

 何だか、ホントにやる意味があるのか、疑問に思い始める朋也だった。

  ※

 それらの作業が終わると、朋也と春原は、図書室の引き戸を開け、中に入った。

 背の高い書棚と閲覧席が、整然と並んでいる。
 そこから、更に向こう側。窓際に一人の人影がある。
 子供っぽい髪飾りをした物静かな雰囲気を纏う女生徒がいた。――ことみだ。
 そのすぐ傍の床には、巾着袋が転がっており、分厚い本が積み重なっていた。
 上履きを脱ぎ、お尻にクッションを敷き、ペタンと地べたに座り込んで、床の本に視線を向けていた。

 ――これが、彼女の読書スタイル。

 しかし、本来ならば、靴下まで脱ぎ、真っ白な素足を曝け出すのだが、流石に冬はそこまでしない。
 そのくつろいだ姿とは裏腹に、ことみの視線は真剣だ。真剣に本にかじりついていた。

「あ、ダメだね、こりゃ。あれはもう、幾ら話しかけたって、聞こえやしないよ」

 やれやれと肩を竦める春原。
 春原は一度、ことみに存在を気付いて貰おうと、書棚の本をブチ撒けたことのある。
 その春原が言うと、嫌に説得力があった。

「あぁ……そうだな」

 本の世界にのめり込んだことみは、生半可なことではこちらの世界に帰ってこない。
 言わば、今のことみは、神事を行うシャーマンに似ている。精神がトランス状態にあるのだ。
 そんなことみを呼び戻す方法は少ない。そう、少ないだけであって、ただ一つだけ方法はあった……。

 ――や、やらなくてはいけないのだろうか……?

 調査のため、こちらの世界に帰って貰う必要がある以上、言わなければならないのだろう。
 ……死ぬほど恥ずかしい“あの言葉”を。

「……春原、耳を塞げ」
「え? 何で?」
「俺は今から、ザラキ級の言葉を言わねばならないからだ……」
「そ、即死呪文ッ!? マ、マジかよ、そんな言葉が現実にあんのッ!?」

 ――ザラキ。
 数多のRPGプレイヤーを苦しめてきた……そして、これからも苦しめ続けるであろう伝説の呪文。

「……あぁ、あるんだ。この世界には、そんな言葉が……本当に」

 深刻な表情で朋也は告げた。
 正確には、その対象となるのは、朋也一人であり、“メガンテ”と言った方が正しかったりするのだが。

「つか、こよみちゃんを殺す気か、お前はッ!?」

 真実を知らぬ春原は叫んだ。無論、ことみの耳には聞こえていない。

「いや、これはショック療法みてぇなモンだ。
 こんくらい衝撃的な言葉じゃないと、ことみは帰ってこねぇ。
 ぶっちゃけ、任務のランクはAランク。
 あの朝寝坊の鬼才、水瀬名雪を完全覚醒させるのと同程度の難易度だぜ」

 その口元にへへっと自嘲を浮かばせ、出てもいない顎の汗を拭う朋也。

「え、誰、その女? 岡崎の友達?」

 聞いたことの無い名前にふと疑問を覚える春原。
 しかし、何故だろう? とても、近しい人な気がした。

「いいから、耳塞げ。――死にたかったら、別に構わねぇけど」
「塞ぎますッ! 塞がせて頂きますッ!」

 慌てて、耳に人差し指を突っ込む春原。
 目を瞑れとまでは言っていないのだが、春原はギュッと瞑っていた。
 好都合だったので、朋也はツッコミを入れず、ことみの隣に歩を進める。
 その場で、オホンオホンと二度咳払いをし、更に深呼吸を加え、精神防壁を可能な限り築き上げる。
 ……そして、言った。



「――こ、ことみちゃん」



 照れ臭さ満載の朋也の一言。そして、その直後、こよみに変化が現れる。
 こよみは、何処かしら、ぽ〜っと浮世離れした表情のまま、傍にいる立つ朋也を見上げる。

「……朋也くん?」

 言ってから、こよみは小首を傾げた。

 ――いつからいたの?

 実にそう問いかけたがっているように思えた。

「さっきから、いたぞ? 相変わらず、本に夢中になってたのか?」

 朋也の言葉にコクっと、ことみは座ったまま頷いた。
 同い年なのだが、何処か彼女の仕草は子供っぽかった。

「ホント、この分厚い本の何が面白いだろ? 僕には、一生理解できないね」

 春原もこちらの世界に戻ってきたことみに、話しかけるが……。

「???」
「まさか、僕のこと、忘れてないよね……? すんごいデジャムなんですけど」
「どんなジャムだ。謎ジャムか?」

 禁断のツッコミを犯す岡崎。恐れ知らずな高校三年生だった。
 ことみは、その広大なる知識の泉から、春原の容姿を探すが……。

「……?」

 もう一度、小首を傾げた。

「やっぱり天丼ですかッ!? そんなこったろうと思ってたけどねッ!!」

 ショックのあまり、後退る春原。リアクション芸人まっしぐらである。

「つか、――僕のこと、忘れないで下さい……」
「お前、気付かずに超名言、パクッてるからな」

 涙をるーるーと流す春原に、朋也は、北のたいやき少女の名誉のためにツッコミを入れておいた。
 ひとまず、茶番はここまでにしておき、

「こよみ、お前、サンタクロースっていると思うか?」

 朋也は、こよみに本題を訊ねる。



「サンタさん……クリスマスにプレゼントくれる人……」



 まるで思い出を抱くように、胸に両手を当てて、ことみは言った。

「春原」
「OKOK、一ノ瀬ことみ、該当っと。つか、やっと一人目かよっ!?」

 手帳の中のバッテンの入った名前の、何と多いことか。

「最初で最後の一人だったな……」
「僕もう、女子高生で信じてる奴はいないと思ってたぜ……」
「あぁ……そうだな。だが、俺たちはついに見つけたんだ……。
 随分、遠回りをしてしまったけれど、本当はいつもここにいたんだな……。
 これで、俺たちの仕事は終わりだな……この後、計画が成功するかは他の皆次第だ……」

END

「つか、終わりそうなこと言うなよッ! 僕、びっくりしたよ、今ッ!」
「いや、たった今、第一部『サンタ信者を探せ編』が終わったんだ。これから、第二部だ」
「二部形式ッ!?」
「『それは舞い散る桜のように、けれど輝く夜空のように』みたい感じのな」
「それって、二部はやらねぇってことじゃんかよッ!? やれよっ!」

 朋也の発言に、今まで最も驚く春原だった。

「……??」

 そんな二人を怪訝そうに、ことみは座ったまま、見上げていた。

「(さて……第二段階か)」

 初めてであるが、もし、見つかった場合は秋生から、こう言われていた。

 曰く、何が欲しいか?
 曰く、住所は何処か?
 曰く、両親または保護者の連絡先は何処か?
 曰く、ベランダは東西南北どの方向にあるか?
 曰く、犬などの吠えるペットは飼っているか?

 など等、その他、存外事細かに訊いてくるように言われたのである。
 また、事細かであったがため、二人はこの調査――仕事が“秋生の悪戯”と気付かなかったのだ。

「もし、サンタクロースが来たとしたら、ことみは何が欲しい?」

 ペタンと座ったままのこよみに、視線を合わせるようにしゃがみ込み、問いかける朋也。
 言ってから、朋也は、言行がまるで小さい子供に問いかける父親のみたいだな、と微苦笑した。

「上海太郎舞踏公司Bさんの“交響曲第5番『朝ごはん』”と云うCDが欲しいの」

 ………………
 …………
 ……

「春原、コレはまず、どこからツッコミを入れるべきなんだ?」
「無難なトコで、作曲者の名前からかな?」

 プレゼントの希望を聞き、朋也と春原は顔を見合わせた。全く聞き覚えのないCDだった。

「ことみ。一体、それはどんなCDだ?」
「三人家族の朝食の様子を交響曲第5番でクラシック調に面白く描いているの。とてもタメになるの」

 にこりと野原のたんぽぽが咲いたような笑顔を見せることみ。
 ヴァイオリンとお笑いの勉強に勤しむことみにとって、一挙両得なCDであるようだった。

「でも、どこも売り切れてて、手に入らないの……」
「……そ、そうか。うん、まぁ、分かったよ」

 ――本当に売れてんのか? 有名なら、俺も知っていておかしくないのに……。

 おそらく、マイナーなので然程に在庫を仕入れず、しかし、その割に人気があるため、言ってみれば、需要と供給のバランスが崩れてしまっているのだろう。
 何にせよ、こよみの望む物は分かった。朋也が次なる質問を投げかけようとした瞬間、



「――でも、今年はサンタさん来ないから、手に入らないと思うの……」



 ことみが、悲しげに目を伏せ、寂しげに口にした。

「……どういうことなんだ?」

 朋也は訊ね、ことみは説明をし始めた。

 ことみの両親は学者である。
 幼い頃、ことみの両親は仕事の都合上で海外に旅立ったのだが、次の年からサンタはこなくなった。

 ――真実は、その両親が事故死したためだったが、ことみはそれを朋也には語らなかった。

 よって、ことみはそれ以来、何時もクリスマスは独り寂しく迎えていた。
 だが、両親の学者仲間の一人が、それを哀れに思い、ことみを自宅に呼ぶようになったのだ。
 ことみも、当初は、頑なに家を離れることを拒んでいたのだが、その学者仲間が「もしも、来てくれたらなら、サンタに会える」と言ったので、それに釣られて行くようになったのが、数年前。
 明け透けに言ってしまえば、ことみは寂しかったのだ。

 ――パパとママに会えないなら、せめて、サンタさんに会いたい。

 そう、ことみは考えたのである。

「で、何で……いや、もし良かったら、その人の連絡先、教えてくれないか?」

 直接、ことみ自身に聞くよりも、その人物に訊ねた方が詳しく分かりそうだった。

 ことみが、朋也の言葉にコクっと頷く。
 はさみを手に取り、その手にある貸し出し本の何も書いていない部分をジョキジョキと切り取り始めた。

「……岡崎。ことみちゃん、思いっ切り、借りモンの本のページ切ってるように見えんですけど?」
「……まぁ、気にするな」

 汗をこめかみに浮かべて笑う春原に、朋也はただそれだけを言った。
 ことみは、切り取った紙に自分の知りえる、両親の学者仲間の個人情報を網羅した。
 氏名、役職、自宅の電話番号、携帯電話の電話番号、住所、勤め先、郵便番号、学歴、取得資格、過去の病歴、家族構成、家系図、女性遍歴、座右の銘、etc...

 ………………
 …………
 ……

 正直、ここまで必要無い。まるで一流スパイの報告書でも見ているような気分になった朋也。
 しかし、彼女の頭脳からして、まず、誤りはないだろう。

「サ、サンキュな、こよみ」

 朋也は礼を述べながら、蛇足たっぷりのメモを受け取り、立ち上がって、図書室を去ろうと踵を返した。
 そんな朋也の様子に、こよみは「あ……」と小さく呟いて、ズボンの裾を弱弱しく掴んだ。

「行っちゃうの?」

 ペタンと座ったまま、うるうると瞳を潤ませ、朋也を見上げることみ。
 捨てられるのを恐れる子犬のような瞳。

「うぐぅ……」

 思わず、伝説の呻き声を漏らす朋也。途方も無い罪悪感だった。
 朋也は春原を手招きで呼び寄せ、こよみに聞こえぬよう、耳元で囁いた。

「(春原、少しの間、ことみの相手してやってくれ)」
「(え……マ、マジで? 何でさ?)」
「(ちょっと、メモの人に電話する間だけだ。時間稼ぎしとけ)」
「(む、無理だって、あんな気まずい雰囲気で、間を持たせるなんてできないよッ!)」
「(頼む! ――お前にしか、俺の背後は任せられないんだッ!)」

 その一言に春原はやたら感銘を受けてしまい、

「(分かったよ、岡崎ッ! やれるか分からないけど、やれるだけはやってみるよッ!)」

 そう答えた。
 次に朋也は、ズボンの裾を掴むことみを何とか、宥め賺して手放させる。
 図書室から退出するため、足を向かわせ、引き戸の取っ手に手を掛ける。
 そして、



「ことみ……サンタは必ず来る。――だから、信じて待っていてくれ」



 背後で寂しげな表情をしたことみに、そう言い残した。

  ※

  プルルル
      プルルル

 一人の男の携帯電話が鳴った。品の良い眼鏡を掛けた中年男性だ。
 男は携帯電話を取り出す。ディスプレイの番号を見るが、見たことがない番号だった。
 電話登録した者ではないので、当然、名前の表示も無い。
 仕事の忙しさと警戒心から、一度目は鳴り止むまで放っておいた。

  プルルル
      プルルル

 しかし、すぐさま、二度目が鳴る。仕方なく男は出ることにした。

『もしもし、高橋さんですか?』

 声が年若い少年であることに、男はやや驚いた。しかし、名前は確かに自分のことを指していた。

「誰だね、君は?」
『岡崎朋也と言います』
「……誰かの電話番号と間違っているのではないのかね?」

 あまり、自分が青少年と接する機会が多い方ではないため、男はそう聞き返した。

『いえ、多分間違っていないと思います。ことみから、あなたのケータイ番号を聞いたんですから』
「! 君はことみ君の友達かね?」

 それは先ほど以上の驚きだった。
 まさか、あの一ノ瀬夫妻の子、ことみに友達がいるとは思っていなかったのである。

 ――そうか、ことみ君がな……。

 一瞬、品の良い眼鏡を掛けた中年男性――高橋は、優しげに眉尻を緩めた。

 高橋には、子供はいない。娘がいたことはあったが、離婚の際に親権を取られてしまったのだ。
 仕事に入れ込み過ぎた自分が悪いのだと理解していた。
 だから、元妻が再婚すると聞いても、驚かなかったし、何より相手は自分よりも遥かに家庭人だった。
 故にすっぱりと諦めることができた。しかし……いや、だからこそだったのだろう。
 事故死した一ノ瀬夫妻に娘がいると知った時、えも言われぬ想いに囚われた。

 何くれと構おうしたのは、そんな経緯があってのことだった。

 寂しげなことみを、クリスマスに誘っているのも、その一環である。

「(いや……寂しいのは、私の方か)」

 フッと小さく、高橋は自嘲した。

『もしもし? ちっ……電波、悪りぃのかな?』
「あぁ、いや、すまない。で、この私に何の用かね?」
『いえ、今度のクリスマス。ことみが“サンタは来ない”と言っているんですけど、それは何故なんですか?』
「まぁ、一言で言うなら、私の不徳の成すところだな……」

 高橋はその理由を朋也に語った。

 自分も学者で、学会の発表のため、海外に飛ばねばならない。
 だが、その日がよりにもよって、クリスマス・イヴと重複してしまったのだ。
 何とかタイムスケジュールを調節し、夕食まで共にできるが、夜には日本を離れねば、間に合わない。
 ことみは確かに子供っぽいが、その就寝時間までは、そうではない。
 彼女が寝静まる頃には、自分は機上の人となっているであろう。

 ――故に、ことみのサンタにはなってやれないのだ、と。

『そうなんですか。一つ提案があるんですけど……その役、俺たちに任せてくれませんか?』
「何? 一体、どう云うことかな、それは?」
『実は――……』

 朋也は高橋に“古河サンターズ”の活動の旨を知らし、その許可を与えてくれるように頼んだ。
 流石に見ず知らずの人物に“古河サンターズ”と云うフレーズは怪しさ爆発なので、控えておいたが。

「……ふむ、良いだろう。いや、是非、引き受けてくれないだろうか?」

 実際、高橋も当惑していた。
 サンタを信じていることみの純真さを利用し、クリスマスに自分の家に来させる程度の社会性を再び呼び起こしたはいいが、所詮、自分には、そこまでが限界だった。

 ――この少年に委ねてみようか……

 高橋は、そう考えたのだった。

「ところで、こちらも、一つ聞いてもいいかね?」
『はぁ、何ですか?』
「これからのことについて、重大な事項なんだ。――真剣に答えてくれ」

 高橋の落ち着きの払った声に真剣味が加味される。
 電話越しに高橋は、朋也が唾を飲み込む音を耳にし、言った。

「ことみ君と朋也君は、本当にただの友達かね? 実は言いにくいだけで、恋人ではないのかね?」
『はぁっ!? 聞きたいことって、それっすかッ!? 違いますッ!』
「まさか、他に意中の人がいるのかね?」
『い、いえ、別にいませんけど……』

 戸惑いの色が隠せない朋也の声音。その意図が全く分からない。

「なら、ことみ君はどうかね。彼女は一途だし、料理も上手で、美人でスタイルも頭も良いぞ?」
『アンタは娘の嫁遅れを心配する親バカかッ!』
「しかし、“好きか嫌いか”と問われれば、“友達以上恋人未満”と答えるだろう?」
『答えが二択じゃなくなってるッ!?』
「だが、好意はあるのは事実だろう? でなければ、ことみ君のサンタをしよう等とは思わないはずだ」
『い、いやまぁ、そうですけど……俺たち、ホントにそういう関係じゃないですよ?』
「ほぅ、“まだ”そういう関係ではないのかね?」
『カマかけようとせんで下さいッ!』

 どうやら、電話越しの青少年は思いの他、頭がキレるようだ。

「いや、からかうような真似をして、すまなかった。サンタの件は了承した。用件はそれだけかね?」
『いえ、それとちょっと聞きたいことがあるんですけど――……』

 朋也は、計画のための情報――住所やその他諸々を聞き出し、高橋と密やかな打ち合わせをした後、通話を切った。

  ツー……
      ツー……

 高橋は、通話の切れた携帯電話を畳み、ポケットの中に仕舞いこむ。
 そして、ニヤリと口元を歪めて、



「男女の“友情”など、キッカケがあれば、幾らでも“恋愛”に変質する。
 ――ならば、私がそのキッカケを作り、二人の仲を発展させてやろうではないか」



 フッフッフ……と怪しげな笑みを浮かべた。恋のキューピッドにあるまじき邪悪な笑いだった。

 ――このまま、二人をクリスマスに会わせるのは、容易い。
 ――保護者たる私が許可を出し、内通しているのだから、当然だ。
 ――親しい男友達が、サンタの格好でやってきて、プレゼントを渡す。
 ――確かに、何も知らぬことみ君にとっては、心躍るイベントだろう。
 ――しかし、それだけではまだ“ドラマ”が足りぬ!

「彼等に必要なのは……そう、“障害”だッ!!」

 もはや、高橋は、学者ではなく策士……いや、或いは“姫を牢縛する魔王”と変貌していた。





 一人の少女が、電柱に凭れかかって、待ち人を焦がれていた。――名を藤林杏と言う。
 ここは、楽市通り前。この町の商店街の入り口である。
 既に辺りは、西日が差し始めており、杏の顔も赤く染めていた。

「(ったく、何やってんのよ、アイツは? 一体何時まで、待たせるつもりなのよ?)」

 心の中で悪態を吐きながら、しかし、その表情は楽しげである。
 どうやら、赤く染まっているのは、夕陽のせいだけでもないようだ。
 蹴り飛ばした小石の中にも、“苛立ち”ではなくて、“嬉しさ”が込められていた。

 杏は学校が放課後を迎えると、足早に家路に着いた。
 逸早く帰宅しなければならなかった。――オシャレに時間を掛けるためにだ。

 だが、二人が行うのは決して“デート”等と云う甘美なモノではない。
 赴く先は友人宅であって、映画館でもなければ、遊園地でもない。
 しかし、“朋也と何処かで待ち合わせ、何処かに共に赴く”と云う行動そのものに杏は喜びを見出していた。
 勿論、“二人っきり”という点も重要である。

 ――そう、これは杏にとっては、“擬似デート”。

 たとえ、擬似であったとしても、“デート”と云うフレーズに恋する乙女は心ときめくのだ。

 だからこそ、俄然、メイクにも力が入った。
 しかし、それは華美に見せるための類ではなく、健康そうに見せるためのナチュラルメイクだ。
 ……多分、気付かないだろう。案外鈍い所がある。岡崎朋也と云う男には。
 いや、勿論、気付いてもらえれば、それはそれで嬉しいが、気恥ずかしくもある。
 制服から私服へから変わったからなのだろうか? 少しメイクを施したからなのか?

 ――今なら、少しだけ、素直になれる気がした。

「(って、あたし、何考えてんだろ?)」

 朋也が遅いせいで、色々と余計なことを考えてしまっていることに気付き、頭を振る杏。
 期待と不安が等しくせめぎ合い、しかし、昂揚感に足が浮き立つようだった。
 何やらキャーキャーとその辺りを転がり回りたい衝動に駆られていた。
 と、その時。

「お〜い、杏〜!」

 最も渇望する声が聞こえ……

「――朋也ッ!」

 顔を上げて……

「………………」

 沈黙した。高まった感情値にマイナスが掛かり、一気に負のベクトルへと反転する。
 そう、黒のセーターに白のロングスカートを穿いた銀髪の少女――智代を視界にいれたことで……。

  ※

「(おぉう……何だ? この背後から感じる圧迫感プレッシャーは……?)」

 冬夜の到来は早い。辺りは既に暗く、電柱の光が所々、スポットライトのように路地を照らしていた。
 結局、三人で古河家に向かうこととなったのだが、朋也は背後から異様な空気を感じていた。
 しかし、道順を知っているのは、自分だけなので、先頭を歩かねばならなかった。

「(何であんたがここにいんのよ?)」
「(もちろん、朋也たちの手伝いをするためだ)」
「(そうじゃなくて、あんた一人で渚の家行けば良いじゃない)」
「(それを言えば、あなたもそうだろう)」
「(あたしは渚の家知らないのよ)」
「(奇遇だな、私も知らないんだ)」

 ちなみに二人は言葉を用いず、アイコンタクトだけで会話をしている。
 ……その鋭い視線同士がぶつかり、火花が散っていそうなのはここだけの話。

「「うふふふふ……」」

 二人の笑みが重なった。しかし、ちっとも仲が良さそうに思えない。

「(あぁ……何故だ? 今、凄く胃が痛い……)」

 両手に花ならぬ、両手に剣とも云うべき状況で、朋也は何故か酷い不安感を抱いていた。





 その頃。
 春原は朋也以上の不安感に襲われていた。

  ブルォンッ!!!
     ブルォンッ!!!

 そんな爆音が遠くから、幾重にも重なって奏でられ、迫ってきた。
 ここは学校前。そう、春原と有紀寧の不良友達たちの集合地点だ。

 ――そして、彼等は……“荒井と愉快な仲間たち”は一斉に現れた。

 ライトをギラギラと光らせ、道路を蛇行しながらの参上だった。

「待たせたな」

 荒井が、漆黒の機獣に跨ったまま、ニッと口元を歪める。当然の如く、ノーヘルだった。
 ドッドッドと重低音に響くアイドリング音がまるで、猛獣の太い嘲笑のようだ。

「え、えと、スゲェ、イカすバイクっスね」

 とりあえず、荒井におべんちゃらを述べる春原。下っ端モード全開である。

「当たり前だ。俺の“砕九龍サイクロン”は最高の相棒だぜ」

 フフンッと得意げに荒井は笑みを深めた。よく見るとバイクの横腹にも、そう書かれていた。
 荒井のオートバイは、オートレーサーが本場のレースで使う程の代物だった。
 まさに“より速く、ただ速く”。そのために生み出された機械。

 それが一台ではない。何度数えても、十台あるようだった。
 白、水色、青、紫、赤、橙、黄、黄緑、緑、黒……色とりどりのバイクがそこにあった。

「つか、絵の具セットかよッ!」
「「「「「「「「「「アァンッ!?」」」」」」」」」」
「ひぃぃッ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃッ!」

 思わず、ツッコミを入れてしまった春原は、その場で土下座して、謝った。
 朋也&杏の『アァンッ!?』などとは、比較にならない本場の恐ろしさだった。

「あのお兄ちゃん。何かカッコ悪い」

 一人、場違いな声が春原の耳に届いた。明らかに声変わり前の小学生のモノだ。
 春原は顔を上げ、確認すると、バイクに跨る一人の不良の後ろに小学生が抱きついているのを見る。
 彼だけは、交通法に則って、正しくヘルメットを装着していた。……尤も、二人乗りの時点で違反だったが。

 それを見た瞬間、スッと春原は立ち上がり、

「おいおい、ボウヤ。僕たちがこれから、何をしに行くのか分かってんの?」
「知ってるよ! サンタの会議に参加しに行くんだろ! だったら、僕も行く!」
「はは、ボウヤがサンタに? サンタってのは、そんな楽な仕事じゃないんだぜ?
 帰って、ママのミルクでも飲んでた方がいいんじゃないの?」

 肩を竦める春原。自分より弱い者には強気だった。

「アァッ!? 勇を馬鹿にすんじゃねぇぞコラァッ! てめぇ、川に沈みてぇのかッ!?」
「ひぃぃ! すみませんッ!」

 春原は、再び地に額を着けた。弱肉強食の摂理にあまりに忠実だった。

「勇も歴としたゆきねぇの……俺たちの仲間だ。んなコタァいいから、早く案内しやがれ」

 クイッと顎で春原に後ろに乗って、二けつになるよう命じる荒井。
 春原は命じられるがままに、荒井の背後に回り、黒のバイクに跨る。

「しっかり掴まってろよ? 俺の“砕九龍サイクロン”は暴れ馬だからな。
 ――潰れたトマトみてぇになっても、知らねぇぞ」

 肉の壁の向こう側から、恐ろしい助言が聞こえた。

「ひぃぃッ!?」

 全力で荒井の腰にギュッと抱きつく春原。
 もし、朋也がいれば、「お前、ひぃひぃ言い過ぎな」とツッコミを入れてくれただろう。

「あん? それで掴まってるつもりか? 力ねぇなぁ、おめぇ」
「はい……ずみ゛ま゛ぜん……」

 もはや、鼻声交じりの涙を流しながら、答える春原。しかし、内心では思う。

 ――アンタに比べりゃ、大半の男が力無しッス!

 そんな時、ふと春原は今日やった“あること”を思い出した。

「サヨナラテンサンサヨナラテンサンサヨナラテンサン……」
「あ? 資料室でも言ってたが……何だぁ、その呪文は?」
「……消えてなくなりたい時に、唱えるおまじないッス」

 恐怖のあまり、春原は本当に消し飛んでも構わないと思った。





 そして、夜の古河家。
 そこにて、町内メンバー、芳野祐介を含む全員が集結を果たしていた。

「ったくよぉ、小僧。てめぇの連れて来る連中は何で毎度毎度、こう規格外なんだぁ?」

 教壇の秋生が言った。
 台詞自体は迷惑そうだが、その表情は悪戯を思いついた悪ガキと同様、ニヤニヤと楽しげだった。
 言行不一致とは、まさにこのことである。
 秋生の古河サンターズには、彼の知らぬ間に、珍妙な連中が加入していた。
 女子高生2名。不良10名。小学生1名。総勢13名のメンバーが新規参入していた。

「(まさか、あんなテキトーな仕事がこんな結果になるたぁな……やっぱり、偉大だぜ、俺様!)」

 秋生は一人含み笑いする。
 正確には、このメンバーの急増は、朋也の功績だったりするのだが、朋也に命じたのは秋生。
 ならば、その功績は俺に帰するはずだ、というのが秋生の論理。

 まさに“お前の物は俺の物。俺の物は俺の物”。――ジャイアニズム全開だった。

 それは兎も角として、新問題も色々と発生する。
 新たな素材を加えれば、同時に加えたことによる歪みを補正せねばならないのだ。
 素直に喜ぶには、それらを解決してからだった。

「少し、いいだろうか?」

 かつて、草野球にて派手な場外ホームランでグランドスラムを達成した銀髪の少女が挙手をした

「おうっ、何だ智ちゃん?」
「智ちゃんはやめてくれ……」

 親しみを込めて付けた秋生の愛称を、げんなりと智代は拒否しながら、意見を述べ始める。

「何故、こんな奴らがここにいるんだ?」

 指差す先には、有紀寧の不良友達がいた。
 どうやら、早速、チーム内のイザコザと云う問題が発生したらしい。

「アァンッ? 何だと、このアマァッ!? 」
「そうやって、凄めば誰も竦むと考えているところが、私は嫌いなんだ」

 智代は嫌悪感と侮蔑感を隠しもせず、両眉を寄せて、剣呑な流し目を送る。
 過去に夜な夜な、不良退治をしていた智代としては彼等の参加は、甘受できなかった。

「ヤんのか、てめぇ!? 俺は喧嘩売ってくんなら、相手が女でも容赦しねぇぞッ!」
「いいだろう、相手になってやる」

 スキンヘッドで、眉無しの恰幅の良い男が立ち上がるのに、智代も応じるように悠々とした余裕を持って、立ち上がった。竜虎相打つような場景だった。
 しかし、

「(黒のカチューシャ、銀髪、違和感の無い男言葉……ま、まさかッ!?)」

 荒井の脳裏に閃きが走り、叫んだ。

「やめねぇか! 蛭子!」
「アァンッ!? 止めんじゃねぇよ、荒井ッ! 大丈夫だ! 病院送りにゃしねぇよッ!」
「馬鹿野郎ッ! このままじゃ、おめぇの方が病院に送られるっつってんだよ!」
「アンだとッ! コラァッ!? てめぇ、この俺がこんなアマにヤられるってのかッ!?」

 いきり立つ蛭子に、荒井は決定的な忠告をした。



「――そいつぁ、『闇夜に吹く銀嵐ナイトオブシルバーストーム』だッ!!」



 その一言に蛭子は瞠目し、言葉を失った。

「ま、まさか……こいつが……?」
「間違いねぇ! 俺もおめぇが『千のかさぶたを持つ男』と呼ばれる程のタフなコタァ知っている!
 だがな! そいつにかかれば、流石のおめぇでも、一撃でKOされるぞッ!」

 荒井の必死の言葉に、蛭子は青褪め、冷や汗を顎から滴らせながら、座り直した。
 ……何故か、正座で。

「つか、智代。お前、実はこの町で最強なんじゃない?」
「……知らなかった。私はそんな恐ろしげな二つ名で呼ばれていたのか……」

 春原が言い、智代は悲しげに胸に手を置いた。彼女自身知らなかったようである。

「そうか、知らなかったか。
 だが、他県の暴走族『デッドオアアライブ』がこの町に迫ったあの日のことを……。
 和人と俺たちが駆けつける前に、総勢500名を一人で壊滅させたことまで、忘れたとは言わせねぇぜ。
 ありゃあ、凄まじい光景だった……。生きて、あの世の地獄を見ているような気分だった……」

 遠い目をした荒井に不良たち一同も同じく、遠い目をした。
 何やら、そんな智代には、彼等も関わった武勇伝があるらしい。

「兎も角、俺たちは何も迷惑をかけるつもりで、ここに来たワケじゃねぇんだ。
 頼む。俺たちの参加は不快かもしれないが、許してほしい」
「……そう云った言い方は卑怯だ。断れば、私が悪者になってしまうじゃないか」

 荒井の真摯な態度に、拗ねたように智代は眉を顰めた。

「あぁ〜……何か知らねぇが、解決したんだな? 話、進めて良いんだな?」

 耳をかっぽじって聞いていた秋生。最後にフッと耳カスを吹いて飛ばす。
 自分が出てこない話は一切興味がなかったのだ。流石に殴り合いになるなら止めただろうが。

 そして、まだまだ山積みの問題点を解決すべく、秋生は口を開き始めた。

「坊主よぉ……ちゃんと親に言ってきてるか? 心配させてんじゃねぇだろな?」
「大丈夫だよ。ちゃんと言ってきたよ?」
「うむ、そうか。なら、問題ねぇな。だが、坊主よ。てめぇは、一人だと危ねぇから、常に誰かと一緒にいろよ」
「うん! 分かってるよ!」

 古河サンターズに年齢制限など設けていない。
 前述した通り、愛する者がこの町にいれば、それで十分なのだ。
 誰が加わろうと、秋生は気にしない。むしろ、今は、人材不足なので進んで受け入れる。

「問題はサンタ服だなぁ……」

 秋生は呟いた。
 町内メンバーは標準的な体格の者ばかりだ。いや、多少の誤差はあるが大したモノではない。
 しかし、杏や智代のような女性用の物は流石に無い。
 加えて、有紀寧の不良友達のような大柄な男たちでは、予備のサンタ服は小さ過ぎた。
 勇にいたっては、小学生で大き過ぎた。むしろ、勇はまだサンタを信じてる側の人間であるべきだった。

 秋生は思案していると、

「なぁ、あんた。こんなモンがあるんだけどよぉ……」

 荒井が発言した。
 何やら、ゴソゴソと横長な机の下で手を動かし、四角い箱を机に置いた。
 大きさと形は、まんじゅうのそれと酷似していた。
 荒井がその箱を開くと、そこには畳まれた服らしき物が入っており、それを秋生に見せた。

「これは、俺たちがクリスマスに着る奴なんだが、こいつをサンタ服代わりに使っちゃイケねぇか?」
「……そ、そいつはまさか、――特攻服かッ!?」

 俗称で、そう呼ばれる物が、荒井の手にあった。

「マジかよッ! スゲェもん持ってきやがったな、てめぇ!」

 秋生は爛々と目を輝かせた。
 その反応はもはや、トレーディングカードのレアカードを持つ友人を羨む小学生のそれだ。

「ちょっと貸してくれ! 高校時分、一回、着てみてぇと思ったんだ!」

 何故だか、秋生がそう言っても、然程驚かない面々だった。

「あぁ、別にいいが……汚すなよ」

 幸い、それは過去、有紀寧の兄、和人がクリスマスに着ていた物であり、丁度サイズは秋生に合っていた。
 荒井は和人専用クリスマス特攻服を手渡し、受け取った秋生はしげしげとそれを眺めた。

 下地は鮮血で染め上げたような真紅。
 右胸には“餐多上等サンタじょうとう”。左胸には“斗仲威命トナカイいのち”。
 そして、背後にはモミの木に絡んだ金襴の昇り竜をバックに、“久璃守魔主クリスマス”と刺繍されていた。
 ちなみに刺繍の糸は白金プラチナ色。豪奢な……どう考えても職人技にしか見えない代物だった。

 秋生はそれに右腕を通し、左腕を通し、襟元を正した。

「おぉ……こいつはスゲェ……」

 思わず、秋生は感嘆の呻きを漏らしていた。
 握り拳を作り、両腕を懸垂でもするかのように持ち上げ、



「――勝てる! たとえ、どんな奴が相手であろうと負けるワケがない!
 たった今、俺は宇宙最強のパワーを手に入れたぁぁぁぁー!!」



 バッと両手を開いて、叫んだ。

「アンタ、ピッコロっスかッ!?」

 春原がすかさず、ツッコミを入れた。

「あぁ、ダメだ! 抑えきれねぇ! おいっ! てめぇ等のバイク、誰か貸しやがれ!
 さもねぇと、行き先も分からぬまま、盗んだバイクで走り出すぞッ!?」
「今度は、尾崎豊ッスかッ!?」
「アァンッ!? 俺の青春時代のイエス・キリスト、馬鹿にしてっとブン殴るぞッ!!」
「ひぃぃぃッ!?」

 春原は秋生の殺気じみた熱気にたじろいだ。思いっ切り、尾崎豊世代の秋生だった。

「じゃあ、俺の貸してやる。黒い奴だ。……盗むなよ」

 言いながら、荒井は黒のキーを放り投げた。
 秋生はそれを手でキャッチし、

「サンキュー、トランクス!」

 そんな感謝を述べた。もはや、今の秋生に禁句タブーの二文字は無い。

「三十分だ! 三十分だけ俺を自由になれた気にさせてくれッ!」

 元から自由奔放に生きている癖に、そう言い残して、秋生は部屋を飛び出した。

「ま、まさか。本当に行くつもりなのか……?」
「行きそうね。あのオッサンなら……」

 朋也の疑問を杏は否定するどころか、同意した。
 そして……

「ハッハーッ!! バリバリだぜぇーッ!!」

ブルォンッ!! ブルォンッ!!

 部屋の外からそんな声と音が聞こえた。
 ……どうやら、秋生は特攻服により、一時的に分別付かぬ程、精神がハイになったらしい。

  ※

 きっかり三十分後、秋生は帰ってきた。
 帰ってきたその表情は、実に満足気であった。
 その肌も、一流のエステティシャンに掛かったかのようにピチピチのツヤツヤになっていた。
 ただでさえ、見た目若いと云うのに、更に五、六歳ばかり若返ったようにすら見える。

「いやぁ〜……スゲェぜ……人間って、マジで風になれるんだなぁ……」

 帰ってきて、そうそう、秋生は教壇で感慨深げに漏らした。
 ちなみに特攻服の方は、余程気に入っているのか、まだ脱いでいない。

「あんたはリーダーなのだろう? そのあんたが公私混同して、会議中に脱走とはどう云うつもりだ……」

 ヤレヤレ、といつもの上下揃ったジーンズ姿の祐介が、腕を組んで抗議した。
 大人として、あるまじき、ハッちゃけぶりであった。

「何だと、芳野祐介ッ!? てめぇも、コレ着てみやがれ! 俺の気持ちがよく分かるぜッ!!」
「誰が着るか……そんな物。大人の男が着るもんじゃない」

 興味無いね、とばかりに祐介は肩を竦める。

「フッ、笑止だな、芳野祐介ッ!!」
「……何だと?」
「試してもみねぇで、決め付ける! そんな偏見を持ってる奴が、果たして大人の男と言えるのかッ!?」
「むっ……!?」

 秋生の弁論に一理を見出してしまう祐介。

「いいだろう、着てやる。そして、教えてやる。――大人の男とは、常に冷静な者であると云うことをな……」

 すっくと祐介は立ち上がり、秋生からクリスマス特攻服を受け取る。
 秋生同様、右腕を通し、左腕を通し、襟元を正した。
 ――そして、次の瞬間。

「うっ! こ、これは……!?」

 祐介の手がガタガタと震え始めた。やがて、それは全身へと行き渡っていく。
 それはまさに、死火山から活火山へと変わり始めた兆候であった。
 マグマのプールの深淵。
 その底から、本当の自分・・・・・が、まるで酸素を求めるが如く、急浮上してくるのを感じる。
 “理性と常識”で必死にその頭を押さえ込もうとするのだが、浮上の勢いは止まらない。

「ぐお……おぉ……おぉぉぉ……!」

 己の肩を抱き、必死に耐える祐介。しかし……。



「――俺にも、バイクを貸せぇぇぇ!」



 耐え切れなかった。

  ※

 そして、また荒井からバイクを借り、今度は祐介が会議中に脱走した。
 しかし、秋生とは違い、三十分もせず、五分程度で帰ってきた。
 ただし……。

  タンッ!

 開け放たれた襖。そこには当然、祐介がいたのだが……



「――俺の歌を聴けぇぇぇッ!!」



  ギギュイ〜ンッ!!

「ま、まさか! 歌う気なのかッ!?」

 朋也が叫んだ。
 そう、祐介は爽快感を求めて、バイクを借りたのではない。
 一旦、家にギターを取りに帰っただけなのである。
 彼の真の目的は、“熱唱すること”にあった。

 ――そう、彼は“原点”に……“ミュージシャン芳野祐介”に立ち戻ってしまったのだ!

「てめぇ、歌う気なのかッ!? ――よっしゃ、歌えぇぇぇ!」

 ダダダッと足早に壇上から退散し、祐介が歌うスペースを作る秋生。

「いやいや、それは流石にマズイだろッ!?」

 朋也の常識的な忠告など一切無視し、壇上に移動する祐介。
 そして、ギターを激しくかき鳴らす前奏曲を弾奏し始めた。

歌い始めた頃の 鼓動揺さぶる想い!
何故か何時か 何処かに置き忘れていた!
生温い毎日に ここで『サヨナラ』言うのさ!
そうさ! 誰も! 俺の! 熱い想い止められない!

DYNAMITE! DYNAMITE! DYNAMITE EXPLOSION! once again!
DYNAMITE! DYNAMITE! DYNAMITE EXPLOSION! once again!
DYNAMITE! DYNAMITE! DYNAMITE EXPLOSION! once again!
DYNAMITE! DYNAMITE! everyday! everynight! everywhere!

終わらない旅なのさ 今を感じていたい!
もっと強く 激しく心向くままに!
走り続けるワケが この大地に無いのなら!
そうさ! 遠く! 銀河の果てまで! 飛び続けよう!

DYNAMITE! DYNAMITE! DYNAMITE EXPLOSION! once again!
DYNAMITE! DYNAMITE! DYNAMITE EXPLOSION! once again!
DYNAMITE! DYNAMITE! DYNAMITE EXPLOSION! once again!
DYNAMITE! DYNAMITE! everyday! everynight! everywhere!

信じ続ければ たどり着くはずさ oh!

歌い始めた頃の 夢は幻じゃない!
それを何時か 何処かで確かめたいのさ!
行き着く先に 何があろうと 構いやしない!
そうさ! 今が! 俺の! 旅立ちの瞬間なのさ!

DYNAMITE! DYNAMITE! DYNAMITE EXPLOSION! once again!
DYNAMITE! DYNAMITE! DYNAMITE EXPLOSION! once again!
DYNAMITE! DYNAMITE! DYNAMITE EXPLOSION! once again!
DYNAMITE! DYNAMITE! everyday! everynight! everywhere!


 まるで、祐介の今の心境をそのまま歌詞にしたかのような曲だった。
 いつしか、部屋は“ミュージシャン芳野祐介”のミニライブコンサートの会場と化していた。
 男たちの誰も彼もが、彼の神懸り的な演奏と熱意の篭った歌声に魅了され、熱狂していた。

「馬鹿ばっかだわ……」
「あぁ……正直、これについていくのは辛いな……」

 そして、その場にて、男ではない者たち――杏と智代はげんなりと呟いた。

「あら? フフ、随分楽しそうですね」

 と、暑苦しい空間の中では場違いなほどゆったりとした声が二人の耳に入る。秋生の妻、早苗だった。
 どうやら、離れの一角とは言え、騒がしいので様子を見に来たらしい。
 夕方は自分の教室であるこの場所が、ライブコンサートの会場と化していても、驚かないのは流石だった。

 ――そのくらいでなければ、秋生の妻は務まらない。

 秋生に関しては、何をしても、何が起こっても不思議ではないのだ。
 もし、明日の朝「俺は世界制服することにしたぜ、早苗ッ!」と言っても、早苗は驚かないだろう。

「あら、女の子もいるのね。そうだわ、今、クリスマスケーキの試作をしているのだけれど、意見聞かせて貰えないかしら」

 そう言って、早苗は杏と智代を“男フィールド”から“女の子フィールド”へと移動させるのであった。
 当然、男たちはそんな早苗のフォローに気付くワケもなく、『芳野コール』を行っていた。

「「「「「「「よ・し・のっ! よ・し・のっ!」」」」」」」
「アンコールありがとう……」

 手を上げ、答える祐介。それに呼応し、男の聴衆たちが雄叫びを上げる。

「次の曲は俺が愛し、そして、俺たちに最も相応しいであろう曲だ……。――聞いてくれ」
「うぉぉ! マジでコンサートみてぇ! 何か僕、燃えてきたよ、岡崎ぃぃぃッ!」
「気持ちは分からないでもないぜ、春原ぁぁぁッ!!」

 本来、「お前、他人に流され過ぎな」と冷静にツッコミを入れるべき所で、朋也は同調してしまった。
 CDから聞く単なるステレオタイプな音と生声の違いを、今、朋也は実感していた。

 ――そう、魂の篭り方が違い過ぎるのだ。

 何故、たかだか一グループのために、馬鹿高い入場料を払って、コンサートを見に行く聴衆がいるのか?
 その疑問が漸くのこと、氷解した朋也だった。
 先程の熱さと勢いに任せる曲から打って変わり、美しい響きなのだが、何処か物寂しい曲が奏でられる。


偶然 あの日二人は出会い 物語は始まった……
遠い過去に約束された 愛というプログラム……
だけど 期待と不安の中 君を襲う現実……
理想は砕かれ 夢は消えても その手だけは離さないで……
奇跡は起こる 自由な夜に 道を照らし出せ! レジスタンス!
夜空光る! 星が交わり! 朝日を導くよ!

君の瞳に映る未来を その手に掴むために!
この愛の全てを賭けて 守りたい君の明日を!
justice for true love! 君だけの為に……

君は 鏡に映る影に 本当の姿を捜す……
だけど 抱えきれないメモリー 捨て去る勇気もない……
だから 確かな物見つけたい この世にたった一つの
燃える夏も吹雪の夜も 寄り添えるリアルな愛を……
奇跡は時間の魔法の中 突然愛の謎が解ける!
見詰め合って! 触れ合うとき! 安らぎ導くよ!

君の瞳に映る未来を その手に掴むために!
この愛の全てを賭けて 叶えたい君の夢を!
justice for true love 君だけの為に……

約束された恋人達 安らかな眠りの中で
いつも願い続けてるのは 目覚めた朝 君がいること……

幾つモノ星が流れて 数え切れない夢も消え……
この手に残されたものは かけがいのない真実!

愛の名に懸けて誓う!

君の瞳に映る未来を その手に掴むために!
この愛の全てを懸けて 守りたい君の明日を!
justice for true love! 君だけの為に……


 それは朋也、春原、秋生、そして、歌った祐介自身でさえ、共感できる曲だった。
 朋也はバスケットに……春原はサッカーに……秋生は舞台俳優に……祐介はミュージシャンに……。
 夢の潰えた男にしか共感できえない曲だった。
 夢を失ったとしても、忘れてはならない、捨ててはならないモノがあるのだ。
 そう、強く訴える曲だった。



「――最高だぜ……芳野祐介」



 自他共に最高の男と認めていると云うにも関わらず、秋生は思わず、呟いてしまった。

「おっしゃぁぁぁッ! 野郎ども、今夜は宴会だぁぁぁッ!」

 リーダーの秋生の呼号に、男衆は同調し、戦国時代の鬨の声のような喚声が響いた。

「楽市通り前の『たけなか酒屋』の竹中さんッ! 酒の用意、頼んだぜッ!!
 勿論、未成年の小僧どものために、ノンアルコールも忘れずになッ!!」
「応ッ! 何か説明臭い呼び方だけど、気にせず持ってくるよ!」

 そして、楽市通り前の『たけなか酒屋』の竹中さんは、部屋を飛び出した。



 その日の夜は会議のこと等、放ったらかしだった。
 新旧古河サンターズメンバーの親睦会、と云う名目で何とか治めた。
 もはや、修正しきれぬ程、場の空気が脱線し過ぎたためであることは、明白であった。






 12/22

 その日の夜、再び古河家にて、会議が行われた。

「てめぇ等ッ! 昨日は馬鹿みてぇに遊んじまったがなッ! 今日は真面目に会議すんぞ、コラァ!」

 教壇の秋生が叫んだ。

「いや、そもそも脱線したのは、あんたが特攻服で異常にハイになったせいだからな」

 朋也は常識的なツッコミをした。

「いや、仕方がない。――あれは、良い物だ」

 脱線の原因その二、芳野祐介が腕を組み、ウンウンと秋生を庇い立てた。
 昨日は余程楽しかったのか、余韻に口元が緩んでいた。
 しかし、本当に今日は真面目に会議を行うつもりのようだった。

「よしっ! まず、これを見やがれッ!」

 バンッ!と黒板に張られたこの町の全体マップを、秋生は叩いた。
 そして、秋生は基本的だが、重要な要項を皆に伝えた。

 曰く、サンタに来て欲しいと望む家の各所。
 曰く、それぞれの担当地域。
 曰く、子供がサンタのために書いたメッセージカードの存在とその返答の義務。

 など等の事項だった。
 きちんと後で把握できるように、数枚のプリントにして全員に配布すると云う徹底振りだった。

「サンタに来て欲しいと望む家は、大概片親で、その日帰れねぇ方たちばっかだ!
 だから、泥棒と勘違いされねぇように、寝ているガキたちに絶対気付かれねぇように“お邪魔”しろよ!
 入る時は、一つだけ鍵が掛かってねぇトコがある! それはプリントに書いてるからよく見とけ!
 後、退散する時にゃ、ちゃんと鍵閉めてけよ! 閉めた後の鍵は親御さんたちが指定した箇所に返せ!」

 どうやら、古河サンターズには、実はかなりのスキルが要求されるらしかった。

「あ、そうそう、小僧。てめぇが見つけてきた“ことみちゃん”ってのは、てめぇが行けよ」

 結局、秋生は、朋也の増やした仕事は朋也自身に処理して貰うことにした。

「分かってるよ」

 元より、誰にも任せるつもりのなかった朋也は、そう了解した。

「へっ、こんな程度の範囲なら、俺一人でも楽勝だぜ」

 有紀寧の不良友達の一人が、侮るようにして、言った。

「あん? てめぇ等、まさかあのバイク使うつもりじゃねぇだろうな?」
「はぁ? 当然、使うに決まってんだろ? そっちの方が効率良いし」
「馬鹿野郎が!」

 秋生の怒号が響いた。

「アァン!? 誰が馬鹿だって!?」
「てめぇだよ、てめぇ! てめぇ等のバイク、ありゃ、明らかにマフラー切ってるだろ!
 んなモンで、町中、走ってみやがれ! その爆音でガキどもが起きる可能性があるだろうが!
 今のてめぇは“暴走族”じゃねぇ! ――ガキどもの夢を守る“サンタ”である自覚を持ちやがれッ!」
「う……」

 秋生の尤もな発言に、有紀寧の不良友達の一人が呻く。

「つか、昨日、あんたもノリノリで爆走してったような……」
「アァッ!? 俺はちゃんと峠走ってきたぞ!」
「てか、あんた、そこまで行ったのかよッ!?」

 町のことを考えて、そこまで行った秋生を、感心すればよいのか、呆れればよいのか、春原と朋也は微妙な気分だった。

「兎に角、てめぇ等のバイクは使用禁止だッ!
 どうしても、乗りモンに乗りたいなら“マウンテンバイク”にしやがれ!」
「「「「「「「「「マ、マウンテンバイクッ!?」」」」」」」」

 彼等の知るオートバイとは、程遠いバイクだった。しかし、確かにこれなら、騒音は出ないだろう。

「っざけんな、てめぇッ! 俺たちからバイク取り上げんのかよッ!?」
「……やめろ、田嶋」
「てめぇ、何言ってやがるんだ、荒井ッ!? バイクは俺たちの魂だろうがッ!?」
「だが、あのオッサンの言っていることは確かだ。そして、俺たちは今、手伝わせて貰う立場にある。
 言わば、俺たち全員、今だけあのオッサンの舎弟みてぇなモンだ。
 ――おめぇ、“ヘッド”の命令が聞けねぇのか?」
「ぐっ……分かった。俺等の中で、最も誇り高いてめぇが従うなら、俺も従おう……」

 有紀寧の不良友達たちは、しぶしぶ『オートバイ』から『マウンテンバイク』への変更を了承した。

「ところでさぁ、あたしたちのサンタ服の件はどうなったの?」
「応っ、それなら、ちゃんと手を打ったぜ、杏ちゃん!」
「杏ちゃんはやめなさいよ……」

 親しみを込めて付けた愛称を、やはり、杏は拒否した。

「もう、そろそろ来るはずなんだがなぁ……」

 ――そう、秋生が呟いた瞬間だった。

  タァァンッ!

 襖が凄まじい勢いで開け放たれ……

「話は聞かせて貰ったよ! キャプテンアッキー!」

 黒の長髪で、二十台前半の細面の美形なのだが、何やら暑苦しい男が参上した。
 男の姿を見た町内メンバーが、ガヤガヤと騒ぎ始める。

「ミ、ミッキーだ……」
「呉服屋のミッキーだぞ!」
「秋葉原から帰ってきたのか!」

「ご、呉服屋のミッキー? 秋葉原? 何なんすか、あの人?」

 春原が不意に登場した男に、戸惑うように口にした。
 言ったのは、春原だが、それは町内メンバー以外の者全てが思ったことだった。

「そうさ、彼は『呉服屋のミッキー』こと、幹原くんだ。
 著名な呉服屋の長男として生を受けながら、“コスプレ道”に堕ちてしまった……。
 その事が原因で、家を追放され、この町に流れ着いたのさ。
 昼は呉服屋の主人、夜はコスプレ店の店長と二つの顔を持つ男だ。
 ちなみに、我々、古河ベイカーズの正捕手であり、秋生さんと幹原くんはベストバッテリーなんだ」

 楽市通り前の『たけなか酒屋』の竹中さんが、説明を施した。
 ミッキーこと幹原は、アッキーこと秋生に歩み寄る。

「隣町の強豪チームとの草野球の時はすまないことをしたね、キャプテンアッキー。
 思いもよらぬ苦戦を強いられ、敗北したそうじゃないか……。
 全ては僕が、とあるサークルからの嘆願で“コスプレ道の何たるか”を教授しに行ったばかりに……。
 もし、僕がいたら、伝説の魔球『アッキースペシャル』を思う存分投げれただろうに……」

 ――そんな魔球、持ってたのかっ!?

 草野球に強制参加させられたメンバーは、思わず、心の中でツッコミを入れてしまう。
 しかし、秋生が仮に持っていても、全く違和感を覚えない面々だった。

「君よりも見ず知らずのサークルを選んでしまった僕を……君は果たして許してくれるだろうか……?」
「フッ、俺がてめぇを責めてると思ってやがるのか?
 てめぇのコスプレに対する熱意は、誰より俺が理解しているぜ!」

 ビシッ!と親指を立てた握り拳を幹原に見せる秋生。

「アッキー!」
「ミッキー!」

  ガシィィンッ!

 右腕同士を固く組み合わせる秋生と幹原。実際に、そんな機械音が聞こえそうだった。

「今日、呼んだのは他でもねぇ、こいつ等のサンタ服をてめぇに見繕って欲しいんだ」

 そう言って、秋生は新規加入したメンバー……杏と智代、そして、荒井と愉快な仲間たちの面々を親指で指差した。

「ほほぅ……これは中々に異彩を放つ素材たちじゃないか」

 スゥ……と目を細める幹原。まるで哀れな獲物を見つけた猛禽類のようだった。
 その目に映る。女子高生2名、不良10名、小学生1名の総勢13名たち。

「クックック、今から仕上がりが楽しみだよ……特にその二人の女の子なんか、レベル高いからねぇ……」
「な、何かヤバい格好させるつもりじゃないでしょうねッ!?」
「その時は、全力で身の貞操を死守するぞッ!?」

 幹原の纏う妖しげな雰囲気に、思わず我が身を抱いて、後退する杏と智代。

「まぁ……安心して身を委ねたまえ。全く見事なサンタガールに仕立てて上げるからさぁ……」
「「嫌ぁぁぁぁッ!!」」

 言い知れぬ恐怖に、二人の絶叫が部屋に木霊した。





 12/24

 時刻は22時。良い子は既にご就寝してしまっている時間。
 古河サンターズの面々にも、家庭はあるため、パーティなどを済ませてからと云うことになると、こんな時間帯に集合と相成った。無論、子供たちが就寝していると云うのも、理由の一つである。
 だが、ついに古河サンターズが出動する日がやって来たのだ。
 23日は担当地区の確認、侵入方法の伝授と錬度の上昇、幹原の特注サンタ服の裾直し等などの所謂、下準備の煮詰めに費やされた。やるべきことは全てやった。後は実行するだけである。

  タンッ!

 襖が開き、秋生が入室してくる。既に普段着からサンタ服に着替えていた。

 サンタ服の下地は、秋生の情熱をそのまま写し取ったような深紅。
 その裾や襟元は、白い毛皮が装飾されている。
 秋生の頭には、その赤っぽい髪とよく似た、生地の柔らかな赤のナイトキャップ。
 腰には、黒のバックルで留められた黒革のベルト。
 手は、ロックシンガーが着けていそうな黒のオープンフィンガーグローブ。
 足には、軍人が履きそうな黒のコンバットブーツ……を履く予定だ。流石に室内では履かない。
 その足元には、サンタの必需品。子供一人は楽に入る程度の“サンタ袋”が転がっていた。
 そして、当然の如く、その顔には、鋭角な羽を持つ蝶のような黒のサングラスが掛けられていた。

 秋生は壇上に上がり、目の前に揃うメンバーを……“古河サンターズ”たちに激励の言葉を贈る。



「待ちに待った時が来たぜ! 多くの下拵えが無駄ではなかった事を……!
 証のために! 再びガキどもにサンタの夢を見させるために!  計画の成就のために!
 ――クリスマスよぉ! 俺たちは帰ってきたぁぁぁー!!」



 熱い魂の咆哮が、部屋の一人一人の耳に伝わり、

 オォォォォォオォォオォッ!!!

 呼び交わすように喚声を返した。

「よっしゃぁぁぁ! 行け、野郎どもッ!!」

 そして、古河サンターズは出動した。――この町に夢を配るために……。





「(……やれやれ、まさか俺がこんな馬鹿げた企画に参加するとは……)」

 フゥ……と、長身の男が陰鬱な嘆息を吐いた。名を――芳野祐介と言った。

 何故、参加してしまったのか?
 それは勿論、愛する妻と義妹のためとしかいいようがない。
 断じて、あの男の言葉に乗せられたワケではない。

 ――自分の意思で参加したのだ。

 と、祐介は自らに言い聞かせていた。

 そんな考えを抱きながらも、その家の中、衝突することもなく、歩みを進める。
 この家の廊下の証明の位置は完全に把握しているし、無くてもある程度、物の位置は分かる。

 当然だ。――ここは自分の家なのだから。

 祐介は、ゆっくりとした歩調で、風子の部屋へと向かった。

  ※

 ドアノブを握り、そっと回す。祐介は、音も無く風子の部屋に入った。
 そして、風子の寝静まるベッドへと近寄る。流石に差し足抜き足忍び足などはしなかった。
 下がカーペットであることが幸いして、そんな歩法は必要なかったのである。

「(やれやれ……よく眠っているようだ)」

 祐介は、風子の寝姿にフッと小さく口元を綻ばせた。

 が、よくよく顔を覗き込んで、少し引いた。

 眉は困ったように八の字。しかし、瞑った目は和らげであり、頬を赤らめていた。
 風子の寝顔はまさに、“ほわ〜ん”としていた。

「(まさか、夢にまでヒトデを見ているのか……?)」

 祐介は一瞬、頬を引き攣らせた。

「(いや……今、俺はサンタだ。
  ――そう、星降る聖夜に形無き夢と……愛を配るサンタ。
  風子のような純粋な子供にこそ、夢を受け取る資格があるんだ……)」

 いつもの陶酔ポーズをして、気を取り直し、ベッドの支柱にかけられた靴下を見る。
 中には、四角い紙があった。二つ折りされたメッセージカードだ。
 祐介は、夜の帳の下りた中、ペンライトで文面を照らす。




サンタさんへ。
風子、“彫刻刀”が欲しいです!
ヒトデさんの顔を彫ろうとしたら、お姉ちゃんに、
「ナイフだと危ないよ、風ちゃん」と言われてしました!
心外です! 風子の国宝級の彫りテクニックを侮辱されました!
でも、お姉ちゃんは風子の大切な人です!
だから、ナイフでヒトデさんの顔を彫るの、やめます!
けど、風子、ヒトデさんの顔彫りたいです!
きっと、ギガラブリンです!
お姉ちゃんも「せめて、“彫刻刀”だったらなぁ〜」と言ってくれました!
だから、“彫刻刀”下さい! 安物でもいいです!
最低1万円ぐらいの物で妥協して上げます!
サンタさん、よろしくお願いします!

P.S. 祐さんの工具セットもついでに頼みます。キングボロ過ぎです!




「(キ、キングボロ過ぎ……)」

 祐介は義妹の精神攻撃に、心が罅割れる音を聞いた気がし、四つん這いで挫けていた。
 長年、愛用してきた工具。既に手垢がつき、油に黒く汚れ、所々傷がある。
 確かに否定できない程に、ボロいと言えばボロい。しかし、それで、今まで飯を食ってきたのだ。
 祐介にとってみれば、それは言わば、武士にとっての刀だった。
 それをまさか、身内から貶されるとは不意打ちの辻斬りとしか言いようがなかった。

  ※

 風子の靴下の中に、プレゼントの彫刻刀を入れると、祐介は心の傷が癒えぬまま、リビングでとりあえず、一杯やろうとした。飲まずにはやってやれなかったのである。
 ダイニングルームの冷蔵庫から、缶ビールを取り出そうとする。
 と、その時、

「……祐君? もう帰ってきたの?」

 背後から、聞き覚えのある声を聞く。――公子のモノだ。

「あぁ、いや、実はこれからだ。まずは風子を済ませてからと思ってな……」

 もしかすると、子供たち全員に配り終えた頃には、ヘトヘトになっているかもしれない。
 故に、優先順位の通り、風子を一番初めにもってきたのだ。
 尤も、そのおかげ(せい?)で、思わぬ精神ダメージを負い、出鼻を挫かれてしまったわけなのだが。

「でも、ホント驚いた。祐君が古河さんのお手伝いでサンタするだなんて」

 ちなみに公子が言う“古河さん”とは秋生のことである。流石に早苗のように“秋生さん”とは呼べるわけもない。

「……言わないでくれ。自分でも、何故引き受けてしまったのかと思っている所だ」
「でも、古河さんも人手不足が解消されたって嬉しがってたし、良いことよ」

 まるで教師が生徒を褒めるような言い草だった。……いや、確かに数年前はそんな関係だったが。

「まぁ、ヒトデ・・・なら、風子の部屋に有り余っているがな」
「え……?」

 公子は一瞬キョトンとした。

 ………………
 …………
 ……

 しかし、次第にその意味が浸透し、口元に手を当てて、必死に忍び笑いで抑えようとする。
 だが、我慢しきれないのか、徐々に肩が震え、笑い声が漏れ始める。

「フフッ! フフフッ! アハハハ!」

 何やらツボに嵌ったらしく、公子は顔を赤らめ、身を曲げるまでになっていた。
 笑ってくれるのは自分としても嬉しいが、ここまで馬鹿笑い(といっても下品ではない)をされると、逆に笑わせようとしたこちらが恥ずかしくなってくる祐介だった。

「そ、そこまで面白くはないだろう?」
「だ、だって、そんな、フフッ! 祐君、キャラじゃない! 親父ギャグ、フフフッ!」

 もはや、一単語づつでないと会話できない程公子は笑っていた。

「あ〜、面白かった。今日は、本当に楽しいね。あんなコトもあったし……」

 涙を拭いながら、公子が言った。
 公子の言葉に、微苦笑とも本当の苦笑いともつかない笑みが、祐介に浮かぶ。

「シャンパンを開けるのは、大人の風子の役目ですっ!」
「そんなに言わなくても、させてあげるから……ちょっと貸してくれないかな、風ちゃん」
「ダメです。そんな嘘に風子、騙されませんっ! これは風子が開けるんですっ! 行きますよぉぉっ!」
「だからね。シャンパン開ける時は、ナプキン被せないと……」

  ポンっ!
        ボグゥっ!

「――ぐはっ!?」
「事件ですっ、お姉ちゃん! 祐さんが射殺されました!」
「だ、大丈夫っ!? 祐君っ!?」

 祐介は思い出して、頬を撫でた。まさか、あんなベタなことになるとは思わなかった。
 しかし、確かに賑やかで楽しかったと云えるだろう。

 ――今までのような一人身では、味わえぬ幸福感だった。

「あ、お酒、飲むの? だったら、つまみ用意するね」
「……いや、必要ないよ」
「え?」

 小首を傾げる公子。



「俺はもう酔っている。――……君たちの愛に」



 祐介は目を閉じ、いつものナルシストポーズで、あまりにも恥ずかしい言葉を言った。
 その口元には、小さな微笑が浮かんでいた。





 秋生は、最も多くの担当を持ったにも関わらず、早くも全てを終了させていた。
 毎年やっていることなので、手馴れているし、頼んでくる家もそう変わらないため、ルートも固定されているのだ。

  ガラガラ

 そして、ここが最後の家。その窓からお邪魔した。お邪魔したというのは誤用に思えるが違う。
 ここは古河家。即ち、自宅なのだから、正確には帰宅したというべきかもしれない。
 しかし、今の秋生は秋生であって秋生ではない。
 ――敢えて、言うなら“アッキーサンタ”と命名すべきか。
 よって、やはり“お邪魔した”なのだ。断じて“侵入した”等という犯罪めいた行為ではない。

「(って、何で、自宅で言い訳してんだ、俺は?)」

 頭の中で呟き、黒のサングラスを掛け直す秋生。
 早苗の協力を事前に得ていたため、廊下の電灯などは灯っている。
 こけるようなマヌケなヘマは絶対にしようがない。
 秋生は、一直線に愛娘……もとい、サンタを信ずる純な少女の下へ向かっていた。
 そして、部屋の前。ドアノブをそっと回し、開くと音も無く入室する。
 室内は真っ暗だった。ここからは、懐から取り出したペンライトを頼りに進む。
 一条の光が、闇を引っ掻き回す。愛娘の寝姿はすぐに見つかった。

「(ふっふっふ。一体、どんな顔で寝ておることやら)」

 例年の如く呟き、布団で心安く眠る愛娘の寝顔を見た瞬間、

「(んん〜ッ! お前にレインボーゥッ!! 最高だぜ、渚ぁッ!!!)」

 例年の如く叫んだ。勿論、心の中で。
 そして、ベッドの傍に吊り下げられた靴下に目をやる。
 その中には、メッセージカード。例年どうり入っている。

「(あん? 何だ、このマフラーは?)」

 靴下が置かれたすぐ傍にはマフラーがあった。しかし、さして気にも留めずに秋生は、純白のサンタ袋を放置し、胡坐を組んで床に座り、手にしたメッセージカードをペンライトで照らす。

「(さて、マイフェイバリットドゥータ渚ッ! ちゃんと“だんご大家族”のぬいぐるみは用意してきてるぜッ!)」

 既に妻、早苗から渚の要望を伝え聞いている秋生にとっては、メッセージカードに“どんな要望が書かれてあるか”よりも“どんな風に書いているか”に関心があった。何やら、娘の日記でもこっそり見るような気分だった。
 ちょっぴり罪悪感。しかし、大いなる好奇心がそれに勝る。

 ――そして、この男がその好奇心を抑えるワケが無い。

「(何々? サンタさんへ。私は団子家族のぬいぐるみが欲しいです」

 何も考えず、素読しはじめる秋生。
 そう、ここまでは、全てが例年通りだった。しかし……。

「何だとぉッ!?」

 驚きのあまり、声を出して叫んでしまった。
 叫んだ自分自身にも驚き、慌てて口を押さえて、秋生は渚に振り返る。

「Zz……Zz……だんご……さ……ん」

 胎児のように身を丸めながら、渚はギュッと枕を抱きしめた。
 寝静まっている渚にホッと溜め息を吐き、秋生はもう一度、メッセージカードに目を通し始めた。




サンタさんへ。
私は団子家族のぬいぐるみが欲しいです。
と、最初は思いました。
けれども、もっと欲しいものができました。それは“新しいレジ”です。
私の家はパン屋をしています。
私はパンは焼けませんので、レジ打ちの手伝いをしています。
でも、このレジは少し壊れてきているみたいです。
時々、会計の途中で引き出しみたいな所が出てきてしまいます。
だから、“新しいレジ”が欲しいです。
あ、でも、サンタさんもそんな大荷物、持ち運びが大変だと思います。
なので、やっぱり、“ニコレット”と云う禁煙用のガムにして下さい。
私のお父さんは、タバコを吸います。
いつか病気になるんじゃないかと心配です。
サンタさん。お父さんの健康のためにも、宜しくお願いします。

P.S. 夜は寒いと思うので、マフラー編みました。使って下さい。




 ………………
 …………
 ……

 読み終わった瞬間、

  ぶわっ!

 そんな擬音と共に秋生の瞳から、滂沱たる涙が溢れ出てきた。

 ――何故、こんなにも涙が溢れてくるのか?
 ――我が家の、新たなレジすら買えぬ貧しい経済事情にか?
 ――それとも、自らの健康を心配してくれてるからか?
 ――それとも、文字通り、赤の他人であるサンタすら気遣う優しい娘に育ったからか?

 いや、もはや全てであろう。全ての意味において、秋生は涙していた。

「(つーか、どうすんだよ! この団子家族はぁぁっ!?)」

 純白のサンタ袋に入っている真ん丸くて、柔らかな物体の処理方法に、秋生は頭を抱えた。

「(……フッ、何だ。簡単じゃねぇか。……来年に取っておこう)」

 何とか来年のプレゼントはその方向に誘導していこう。早くも、来年の抱負が一つできた瞬間だった。

「(ってオイ、プレゼントするサンタがマフラーをプレゼントされるってどうよ……)」

 何故か、もう一度、泣きたい気分になりながら、マフラーを巻く秋生だった。

 ――ちくしょう、暖けぇじゃねぇか……。

  ※

「はぁぁああぁ〜! 終わった終わった、っとぉ!」

 サンタ帽子を取りながら、秋生は居間にどっかりと胡坐をかいて、座り込んだ。

「はい、お疲れ様でした」

 早苗が、既に用意していたのであろうビールとつまみを持ってきていた。

「おっ、すまねぇな!」

 軽く言って、秋生は遠慮なく、それを呷る。

「くはぁぁ! 仕事の後の一杯は堪らねぇなぁ、オイ!」
「一銭の得にもなりませんから、仕事じゃないですけどね」

 帰りがけのサラリーマンのような秋生の言葉に、早苗の痛烈な一言が差し込む。

 ………………
 …………
 ……

「……まさか、怒ってねぇよな?」
「はい、全然」

 ニコリと早苗は笑った。

「だよなぁ〜……いやぁ、しかし、今回は小僧のせいで、前準備から疲れたぜ、ハッハッハ!」
「そうですね。全員のプリント代も、杏ちゃん智代ちゃんたちの衣装代も、ウチが少し持ちましたもんね」

 ………………
 …………
 ……

「……やっぱ、実は怒ってるだろ?」
「いえ、全然」

 もう一度、ニコリと早苗は笑った。
 何故か、それ以上続けては家庭崩壊の危機を感じた秋生は、押し黙った。

「今頃、朋也さんたちも、サンタさんをやっている頃ですね」
「ん? あぁ、そうだな」

 早苗から話を逸らし始めたので、好都合とばかりに秋生は続ける。

「まぁ、大丈夫だろ。若いだけあって、飲み込み早かったしよぉ」
「でも、練習と実際は大分違うものですし……」

 心配気な早苗を安心させるように秋生は言う。




「あいつ等は、俺様ほど“完熟”じゃねぇ。だが、“未熟”ってワケでもねぇ。
 しいて云うなら、“半熟”だ。
 ――半熟者は半熟者らしく気張りゃ、自然と良い結果が出るもんだぜ?」



 ビールを呷り、ジョッキをテーブルに置いた秋生の口元には、ニッと皮肉めいた笑みが浮かんでいた。
 決まったと秋生は思っているのに、何故か早苗はクスクスと笑みを零し始めた。
 訝しげに秋生が眉を潜めていると、早苗が告げる。

「おヒゲ、付いてますよ?」

 ヒゲを蓄えていない秋生に、白いヒゲがついていた。無論、ビールによるものだった。
 だが、秋生は慌てて拭うような青臭い男ではない。むしろ、それすら、利用して言う。



「――この町の聖夜にサンタあれ」



 ………………
 …………
 ……



「……全然、決まりませんね♪」
「……みてぇ、だな」

 秋生は気恥ずかしげにゴシゴシと袖で拭った。





 その頃、怪しげな一団が、闇の中、一軒の家を目指していた。
 ギラギラとライトを……自走発電のライトを灯しながら、猛スピードで風を切る一団だった。

 ――荒井と愉快な仲間たちである。

 彼等は、秋生の言いつけ通り、バイクからマウンテンバイク――自転車に乗り換えている。
 厳しい顔をした連中が、サンタの格好をし、自転車に乗り、逆三角形の陣形で道路を所狭しと埋めて、立ち漕ぎで走って来る。……実際は、凄まじくシュールな光景だった。

「はぁー、はぁー、ちっ! 何か中坊の頃の通学を思い出してきやがった!」
「はぁー、はぁー、へっ! 俺はもうそん頃から、バイクに乗ってたがな!」
「それって、あんまり自慢になってないよね?」

 不良たちの会話に、ツッコミを入れるちびっ子サンタ、小学生の勇。
 一人、荒井の後ろ(荷台を装着)に二人乗りしながらなので、一人だけ楽である。

「おめぇ等、くっちゃべってねぇで、漕ぎやがれ! まずはゆきねぇのトコへ向かうぞ!」
「「「「「「「「お、応〜……」」」」」」」」
「応ぉぉ!」

 久方ぶりの自転車の全力走行に、気力を振り絞って、応じた。ちびっ子サンタ、勇だけが元気だった。

  ※

 そして、『宮沢』の表札のある家の裏側。その二階の部屋が有紀寧の部屋だった。
 電気が付いている点から、まだ起きているのだろう。有紀寧は、荒井たちとは違って、成績優秀な生徒だ。
 クリスマスの日も、案外勉強しているのかもしれない。

「おい、おめぇ等、大丈夫か?」

 ゼーハーと肩で息をし、自転車のハンドルに肘を突き、草臥れる連中に問いかける荒井。

「ア、アァン……? だ、誰に、モノ、言って、やが、るんだ?」
「……バテバテじゃねぇかよ」

 呆れたように半眼になる荒井。

「って、いうかよ。な、何で、荒井……てめぇ、平気なん、だぁぁ?」
「俺はおめぇ等と違って、タバコ嫌ぇなんだよ。後、早寝早起きが健康の基本だ」

 不良の癖に意外と健康に気を使っている荒井だった。

「ち、ちくしょ……やめる、今日限り、タバコやめんぜ。クソッタレがぁぁ……」

 不良の一人が呻いた。

 荒井は暫く全員の息が落ち着くのを待ち、その辺りの足元を見回す。
 一つ。手ごろな小石を見つけ、それを手の中で上に飛ばして、弄ぶ。
 それを投げて、有紀寧に存在を知らせるつもりだった。
 玄関のチャイムを使えば、それに越したことはないのだろう。

 しかし、自分たちは、有紀寧の両親に嫌われていた。――息子の命を奪った者として。
 そんな者たちを両親が、「ハイどうぞ」と快く迎えてくれるワケがなかった。
 だから、ジャンケンの勝者一人が有紀寧を呼び出す役目を担い、いつもこんな風に呼び出して、後で別の場所で合流していた。

 ――そして、騒ぐのだ。和人の墓の前で。

 無論、住職に無許可なので、バレれば、罰当たりな者として、怒号が飛んでくるだろう。
 しかし、和人を欠いて有紀寧の……自分たちのクリスマスは在り得ないのだ。

「(ま、今年はちょいと事情が異なるが……なッ!)」

  ビュンッ!!!

 心の中で思いながら、小石を窓に向かって投げつける荒井。

       バリィィンッ!!

 脆く透明な物体が壊れた。

「「「「「「「「「「あっ」」」」」」」」」」

 その場にいる……投げた荒井も含めた全員が、思わず、言葉を漏らした。

「おい、荒井ぃぃぃ! 馬鹿か、てめぇはッ! 何ガラス割ってやがるんだッ!」
「うっせぇ! 弱過ぎっと気付かれねぇと思ったから、30%の力で投げたら、割れたんだよっ!」
「はぁぁっ!? 戸愚呂かよ、てめぇはッ!?」

 ギァースカと騒ぎ立てる外見サンタ、中身不良の自転車集団。

  ガラガラ

「皆さん……どうしたんですか? その格好……?」

 有紀寧は気付いてくれた。当然と言えば、当然である。
 だが、勢い余ってガラスを割ってしまったことに罰が悪いのか、荒井たちは言い澱んでいた。
 そんな荒井たちの様子を有紀寧は察して、

「あ、すみません。まだ全然用意してなくて……今すぐ――」
「ち、違うんだッ!」

 焦ったように一人が叫ぶ。
 しかし、口火を切ってしまったことに戸惑い、口を噤む。
 奇妙な沈黙が漂った。

 ………………
 …………
 ……

「(お、おい、お前言えよ)」
「(ハァッ!? 何で、俺なんだよッ!? てめぇが言やいいじゃねぇか!)」

 そんな小声の会話があちこちでされる。
 気まずい雰囲気を打ち破るキッカケが欲しかったが、誰一人言い出すことができなかった。
 彼等に勇気が無いわけではない。少なくとも、頭文字に“ヤ”の付く連中にだって、喧嘩を売れる程度はある。
 しかし、今必要とされる勇気は、全く別種のモノであり、彼等には馴染みの薄い勇気だった。

 そんな中で、ただ一人。再び口火を切ることのできる者がいた。

「今日は、ゆき姉ちゃんに言いたいことがあるんだぁぁッ!」

 小学生の勇だった。その名に恥じぬ勇気を持って言った。
 そして、勇が叫ぶとそこからは、連鎖反応だった。便乗するように綴る。

 ――それぞれの想いを……。

「ゆきねぇ、俺たちに手袋編んでくれたろ! アレ、俺のだけ、ほつれてやがったんだぜ!」
「温けぇおしるこも食わしてくれたの、覚えてるか! 辛党の俺にゃあ、甘過ぎだったがなぁ!」
「クリスマスに食ったケーキ美味かったぜ! そん時、ゆきちゃん一人だけ、サンタだったよなぁ!」
「恥ずかしかったろ! だからよぉ、全員で考えたんだ!」
「今度は、俺たちが、ゆきねぇのためにサンタをやってやろうってよ!」
「でもなぁ! この衣装、貸してくれたオッサンに条件、突きつけられてよぉ!」
「ちょっとばかし、今年のパーティーの開始、遅れっかもしんねぇんだッ!」
「でも、俺たち、絶対に和人の墓に行くからよッ!!!」
「だからよぉ、ちょっとだけ……ちょっとだけでいいんだ! 待っててくれ!」
「ゆきねぇも、言ってたろ! 人のためも、自分のためも、同じことだってさ!」
「揃いも揃って、俺ら全員、馬鹿だからよぉ! 意味、履き違えてるかもしんねぇけどなぁッ!」
「この衣装を借りるためによ! 俺たち、この町のサンタやるぜ!」
「俺たち、全員足しても、ゆきねぇの一番の和人サンタにゃ、勝てねぇかもしんねぇ!」
「でも、ゆき姉ちゃんに、これだけは覚えておいて欲しいんだぁぁぁッ!!!」

 まだサンタを信じる側にいるべき小学生……勇が、声変わりもしていない声を力の限り、張り上げる。

 ――せ〜の! 

 そう、小さく声を揃えて、



「「「「「「「「「「「俺たちだって、ゆきねぇのサンタでいてぇんだッ!!」」」」」」」」」」」



 彼らは叫んだ。

「ムカつく野郎がいたら、言ってくれ! オレがタコ殴りにして、川に投げ捨ててやらぁ!」
「寂しい時は絶対言えよ! 単車カッ飛ばして、駆けつけてやんぜ!」
「けど、辛い時ばっかじゃなくてよ! 嬉しい時だって、呼んで欲しいんだ!」
「子猫が生まれたとか! 朝顔が咲いたとか! そんなんでも全然いいんだ!」
「皆よぉ! ゆきちゃんのことが、大好きなんだからさッ!!」
「ゆきねぇが喜ぶ時も、怒る時も、哀しい時も、楽しい時も! 一緒にいてぇんだぜッ!!」

 ――それは、偽ざる彼等の真意だった。

「荒井さん……溝口さん……須藤さん……蛭子さん……藤堂さん……。
 榎本さん……大塚さん……草刈さん……深沢さん……田嶋さん……勇くん……」

 ――全員の名前を呟くのが精一杯だった……。
 ――胸の中がいっぱいになり過ぎて、言葉が出てこなかった……。
 ――皆のサンタ姿を、もっとちゃんと見たいのに……。
 ――視界がボヤけて、何も見えなかった……。



……嗚呼、私はなんと云う果報者なのだろう……




  ※

  バリィィンッ!!

「な、何っ!? 今の音ッ!?」

 寝室のベッドで、一人の女性が跳ね起きる。その様子に気付いたのか、その隣で寝静まっていた男性もゆっくりと身を起こした。

 ――有紀寧の両親である。

 有紀寧の母――有香奈は慌てて、窓際に近寄り、カーテンを開け放つ。
 そして、家の裏側の路地、そこに多数の男たち――息子を……和人を殺した連中を目撃し、愕然とする。

「あいつらッ! 何でここに……――まさか!」

 母、有香奈は直感した。
 彼等が未だ自分たちと関わっていることを。
 息子の和人だけでなく、今度は有紀寧までその魔手が及んでいることを。

「け、警察! 警察に通報しないとッ!」

 恐慌した表情で、駆け出そうとする有紀寧の母、有香奈。
 しかし、何時の間にか同じく窓際に寄って来ていた有紀寧の父――和彦が、その腕を掴んで引きとめた。

「……もう少し様子を見よう」
「でも、貴方、有紀寧がっ!」

 弾けたように有香奈が和彦を見やるが、腕を掴む手を緩めることはなかった。

「今日はゆき姉ちゃんに言いたいことがあるんだぁぁッ!」

 小学生の叫びが耳に届く。そして、有紀寧の両親は聞いた。

 ――今まで、蔑み、否定してきた者たちの思いの丈を……。
 ――娘を只管に想う彼等の純粋な願いを……。

「「「「「「「「「「「俺たちだって、ゆきねぇのサンタでいてぇんだッ!!」」」」」」」」」」」

 しかし、そんな想いを聞いても、やはり有香奈は納得・・できなかった。

「あいつ等、窓を割ったわ! 今なら、器物破損罪で、警察に――」
「……やめておきなさい」
「貴方ッ!? どういうつもりですかッ!?」

 和彦の言葉に有香奈は、動揺を禁じえなかった。

 彼らは息子を奪った張本人なのだ。
 息子とは確かに仲が良くなかった。だが、それは必死だったからだ。
 必死に悪の道に走ろうとする息子を引き返したかったからだ。
 いつか……いつかは、息子も自分たちの思いを分かってくれると信じていたのだ。
 だが、息子は親よりも先に、帰らぬ人となった。――あんな連中を庇ったがために!
 許せるわけがなかった。許しようがなかった。

 確かに彼らは息子の葬式で涙した。――だが、だから、どうなる!

 それで、息子は帰ってきただろうか!?
 それで、息子は自分たちの気持ちを分かってくれただろうか!?
 友達ならば、何故……息子を危険な目に遭わせたのか……?

 有紀寧の母、有香奈は彼らの長所を見る度……彼等の人となりを理解・・する度に納得・・できなかった。
 しかし、夫は言葉を綴る。

「もう……やめようじゃないか」
「え……?」
「お前だって、本当は分かっているだろう?
 和人の死に対する責任が、彼らにばかりあるわけではないことに……」
「あ、貴方……何言って……」

 和彦は有香奈の腕を掴む手をそっと離し、静かに吐露する。



「そもそもの発端は、我々が和人を厳しく育て過ぎたことだ……。
 何から何まで、私たちが道を定め、レールを敷き、私たちは和人にその上を歩くことだけを強要した。
 何故なら、それが最も安全な道のりだったからだ。
 何故なら、それが最も私たちが心配しない道だったからだ。
 だが、もしかすると、私たちは“和人のために”と思いながら……。
 その実“自分たちのために”和人を厳しく育ててしまったのではないのかね?」



「…………」



「和人の死は、私たちの心を大きく傷ついた。
 だが、彼らも同じだけの傷を背負ったのではないのかね?
 彼らと私たちでは年齢が違う。だが、時の流れる早さは、同じはずだ。
 彼らもまた、私たちと同じだけ、和人を失ってからの日々は続いていたはずだ。
 しかし、今はどうだ?
 彼らは今、有紀寧のため、町の人の貢献することにあんなにも必死になっている。
 ――自分たちが、サンタとなることでね。
 だが、省みて、私たちはどうだね?
 未だに彼らに和人の死の全責任があると思い、あまつさえ、彼らを警察に突き出そうとしている」



 そして、最後に言った。



「――私にはもう、どちらが“本当の大人”なのか、分からなくなってきたよ……」



  ※

「……おい、おめぇ等、賭けねぇか?」
「あん? 何をだよ、荒井?」
「プレゼント配り終えて、一番に和人の墓に着いた奴は“一週間ヘッドになる”ってのはどうだ?」
「へっ、面白そうじゃねぇか。乗ったぜ、その話」

 我も我もと参加の言葉が出てくる。

「バイクじゃあ、てめぇに勝てねぇがな、荒井! チャリなら、話は別だぜ!」
「はっ! ナマ言ってんじゃねぇよ、タコがッ! 俺のドラテクはチャリになっても健在なんだよッ!」
「だが、チャリ乗り回すにゃ、てめぇはデカ過ぎだぁ! すぐにバテるに決まってるぜ!」
「タバコでヤニだらけの肺持つおめぇ等にゃ負けねぇよ! ハンデに勇、乗せてても余裕勝ちだな」
「その言葉、後悔させてやんぜッ!! 勇、合図頼んだぞ!」

 言って、皆スタート姿勢を取った。

「よ〜い……どんっ!!」
「「「「「「「「「「オラァァァァァーッ!!」」」」」」」」」」


 勇ましい咆哮と共に、荒井たちは夜の町へと消えていった。
 爆音を撒き散らすためではない。夢をふり撒くためにである。
 そして、何より――有紀寧のために……聖なるこの夜、彼等は町を疾走するのだった。





「(多分、この辺りなんだが……?)」

 朋也が心の中で、呟いた。
 慣れないながらも、全ての担当を済ませ、次が最後の担当だった。――そう、ことみだ。
 しかし、行き先はことみの自宅ではない。ことみの両親の学者仲間、高橋の所だ。
 ことみは、数年前からクリスマスは、高橋の自宅で迎えているのだ。
 予め、ことみの両親の友人、高橋から聞いていた住所や地理的な特徴を頼りに、路地を辿る。
 その辺りは高級住宅地だった。敷地の広い屋敷が道の左右に並んでいた。
 一つ一つ、表札を確認しながら、進んでいくと、赤く異様な人影を二つ発見する。
 小走りで近寄ると、その人影の正体が誰であるかに気付いた。

「何やってんだ、杏? それに智代まで?」

 二人がそこに立っていた。

「遅いかったな、朋也。待ち草臥れてしまったぞ」
「は? 待ち草臥れた?」
「予想よりも早く済んだもんだから、あんたの手伝いでもしてやろうと思ったのよ。感謝しなさいよねぇ〜♪」

 それは決して嘘ではなかったが、同時に真実でもなかった。
 実際には“早く済んだ”のではなく、“早く済ました”のだ。
 何のためかと言えば、勿論、“朋也とことみを二人っきりにしないため”である。

 尤も、それは杏だけであり、智代は純粋に朋也の手伝いをしようと思って、待っていたのだが。

「てか、その格好、寒くないのか? ……まぁ、俺は目の保養になるから良いけど」

 スッと指差す朋也。二人の格好はあからさまに寒そうだった。
 基調は勿論、赤と白。赤い下地に裾辺りに白ウサギのような毛皮が装飾しているのは共通点だ。

 しかし、杏のサンタ服は、まるで防寒機能がなっちゃいなかった。
 ミニスカートの長さは、一体、膝上何cmなのだろうか?
 軽く足を上げただけで、男の欲望の三角形がチラ見しそうで、朋也はドキドキしそうだった。
 そのスカートの短さをカバーするためか、足には太ももまで覆う艶冶な光沢を放つ赤のレザーブーツ。
 お前は危ない系統の女王様か、と思わずツッコミを入れそうだった。
 左胸には、ショートケーキなどに付いてそうな柊の形を模したアクセサリーが添えられていた。

 智代の方も、それは本当にサンタ服か、と朋也はツッコミたかった。
 真っ赤な生地や白の毛皮の部分は確かにサンタ服のそれ。
 しかし、その形式はカンフー映画でしか見たことがない、俗にチャイナドレスと呼ばれる物。
 肩の所から、バッサリと長袖がなくなっているので、実に寒そうだった。
 それだけではなく、風が吹くとチャイナドレスたる象徴――スリットが靡き、脚線美が垣間見える。
 俺を悩殺するつもりか!? ウヒャヒャ、よし、悩殺されてやろう! と朋也は理性が春原の如く外れかけた。

 もはや、肩に大きなサンタ袋を担ぐよりも、マイクでも握った方が様になるような格好だった。

「う、うっさいわねぇ! あんましジロジロ見るんじゃないわよ! 寒いに決まってるでしょ!」

 杏は、あまり丈の長くないスカートを伸ばして、膝を隠そうとするが無駄なことだった。
 だが、想い人に目の保養になると言われて、悪い気がしないのも、確かだった。

「確かに防寒機能はまるで無いが、動き易い所は気に入っているぞ」

  ヴォンッ!

 動き易さを確かめるように鋭い弧を描くハイキックを繰り出す智代。
 その技の冴えを、真剣な表情で朋也は目を凝らす。
 風を切る白い足、広がるスリット、そして……。

  ドスッ!

「っ痛ぇ!?」

 不意に脇から衝撃を感じ、朋也が呻いた。

「何すんだ、杏ッ!?」
「あんた今、智代のパンツ見るのに全神経注いでたでしょ!」
「ち、違う! 俺は智代のあまりの技のキレをだなぁ!」
「嘘ね」

 慌てふためく朋也に、杏は断言した。悲しきかな、朋也もまた一人の健康男児だった。

「お、良かったぁ。間に合ったみたいだね、岡崎」

 聞き覚えのある声に振り向くとそこには春原が立っていた。

「春原? 一体、どこから沸いて出たんだ?」
「勿論、そこの排水溝から……って、僕は地虫っスかッ!?」
「いや、羽虫だろ。夜の自販機とかに群がるタイプな」
「あんまし変わってねぇッ!?」

 二人は、出会い頭からいつもの漫才を始めた。

「で? ホントのところは、何しに来たんだ?」
「え、いや、杏に“来い”言われたから来たんだけど?」

 お前は犬かと思いながら、杏の方に目をくわす。

「だって、私たちが春原よりも長い間寒い思いするのって、不公平じゃない? 東北出身者の癖に」
「なるほど!」
「つか、僕ってそんな理由で呼ばれたの!?」

 部落差別チックな理由だった。

「まぁ、兎も角、中に入るか」

 朋也は高橋邸に目をやった。

 高橋邸では、塀代わりなのか、背の高い植木によって、他の家と仕切られている。
 しかも、その横幅はただごとではない。軽く中流家庭の家が二件入っていける程に広い。
 精緻な門柱からは、観音開きの鉄柵の門が伸び、朋也たちの前で堅くその身を閉ざしている。
 そこから先には、赤茶のレンガの敷かれた歩道が真っ直ぐ引かれ、その左右には入植されたと思しき並木があった。
 その先にもう一つ門があり、高橋邸の本邸はその先にあった。

 朋也たちは、観音開きの鉄柵の門を開けようと、近寄る。

「げっ!? 鍵掛かってんじゃねぇかッ!?」

 近寄ると、観音開きの中間点、そこには鎖が巻かれ、更に南京錠で固定されていた。
 てっきりそういった類の物は事前に高橋が外してくれるものと考えていた朋也は、そこまで明確に打ち合わせていなかったことに後悔した。

「まずったなぁ……鍵とか貰ってないぞ、俺……」

 ことみへのプレゼント、“上海太郎舞踏公司Bの“交響曲第5番『朝ごはん』”と云うふざけたCDは、高橋から事前に速達で家に届いていたのだが、鍵などの類を朋也は預かっていなかった。
 どうやら、お互いのミスがコンビネーションしてしまったらしい。

「ははんっ。随分、お困りじゃんかよ、岡崎?」
「あぁ、困った。春原のボンバヘッのMDを消すか上書きするか、選んだ時ぐらい困ってる」
「おいぃぃ! あの犯人、お前かぁぁッ! 入れ直すのスゲェ大変だったんだぞッ!?」
「安心しろ、もう時効だ」
「お前が忘れても、俺は忘れはしないぞ!」
「フッ、分からんでもない」

 怒る春原に、不敵な笑みを返す朋也。

「で、そこまで言うなら、何か策があるんだろうな?」
「ふふん、僕を誰だと思ってんのさ?」

 ヘタレだろ?と朋也は思ったが、その場は黙っていた。
 春原はゴソゴソと懐を弄り、細い金属製の何かを取り出した。

「こんなのヘヤピン一本あれば、楽勝だね」
「ちなみにそれ、ピッキングって云う犯罪な」

 朋也のツッコミを気にせず、グニグニとヘヤピンを変形させていく春原。
 南京錠を手に取り、ヘヤピンを突っ込み、調子が異なるとまた抜いて、グニグニと型を合わせていく。
 不思議と手馴れている動作に、杏が訊ねる。

「……まさか、あんた今までの家、全部それで侵入してないわよね?」
「ははっ、するわけないでしょ。奥義ってのはそんなにホイホイ出すもんじゃないぜ」
「……最低の奥義だな」

 春原の奥義を智代はそう評した。
 悪評を述べながらも、成功しそうな雰囲気に、三名は見守っていたが、

  ペキッ!

 何か、軽い音がした。

 ………………
 …………
 ……

「ははっ、ごめんごめん。鍵詰まったみたい」
「「「ごめんごめんで済むかぁぁぁッ!!」」」

  どすっ!

 杏の拳が春原の鼻っ柱を砕き、

      がっ!

 朋也の肘鉄が延髄に入り、

         どぐしっ!

 智代のハイキックに頬を打ち抜かれた。

「ぶべらッ!?」

 春原は錐揉み回転で宙を舞い、地面にもんどりうって倒れた。
 路地の街頭が伏臥した春原を、燃え尽きた矢吹ジョーの如く照らしていた。
 そんな春原を放置しておいて、三人は思案を巡らせる。

「どうする? のっけから、春原のせいで難易度がアップしたぞ」
「乗り越えるとか?」
「乗り越えるねぇ……」

 朋也は鉄柵の門を見上げる。2mぐらいの高さで、所々足を掛けれそうなので、できないことはない。
 だが、鉄柵の先は、銛のように鋭く尖っているため、越える際に危険だった。

「いや、危険過ぎるからパス」
「じゃあ、どうすんのよ?」
「…………」

 智代は暫し、静観していたが、

「仕方がない。あまりこういうのは気が進まないんだが……」

 気重なため息を吐きながら、南京錠に指を掛ける智代。
 何をするのだろうか?と朋也が訝しげに伺っていると……

「破ッ!!」

  バギンッ!!

「何ぃッ!?」

 力技だった。紛う事無く力技だった。――まさに技を超える限りないパワー。
 南京錠のU字型の部分が、獣に食い破られたように根元から千切られ、長方形の部分と強制的に分離されていた。

「あ、そっか。そうすれば良いのよね」
「えぇっ!? 何、その自分もできる的な発言ッ!?」

 頤に手を当て、得心顔の杏に朋也は一驚した。

「ともあれ、活路は開けたんだ。先を急ごう」
「それもそうね」

 巻きつく鎖を外し、観音開きの鉄柵の門を開け、スタスタと杏と智代は足を向けた。

 ………………
 …………
 ……

「あいつら、実は人間じゃないんじゃあ……?」
「きっと、人の形をしたモノなんだよ」

 朋也は、いつの間にか復活した春原と、昨今の逞しい女性に肩身の狭くなる思いだった。





「ふぅ……」

 品の良い眼鏡を掛けた中年男性――高橋がシートに深々と身を沈めた。
 席がファーストクラスなだけに、よく沈む。
 今、高橋は本人も言った通り、機上の人となっていた。

「(さて、今頃、朋也君は来ているだろうか……)」

 頤に手を当て、ほくそ笑む高橋。
 クリスマスが来るまでの間、できうる限りの障害は用意した。
 尤も、三日四日で用意できる物など程度が知れている。
 努力次第で乗り越えられるだろう。しかし、それで良い。
 程よく困難で、程よく突破出来る物でなければならないのだから。

 ――そう、恋とは障害あって、初めて愛へと昇華されるものなのだ。

 その障害が、高過ぎて潰れてしまってもダメ、低過ぎて余裕しゃくしゃくでもダメ。
 ことみにも、“今年、サンタさんは起きていることみ君に会いたいそうだ”と言ってきてある。
 純粋なことみに対し、嘘を吐くのは高橋自身後ろめたいが、これも彼女のためだと割り切った。

「朋也君。――君は、生き延びることができるか?」

 意味深な言葉を吐いた高橋だったが、

「……生き延びてくれよ、いや、ホントに」

 自ら仕掛けた罠に、年甲斐も無く少し張り切りすぎたような気がする高橋だった。





 赤茶けたレンガを敷き詰めて作られた歩道を、朋也たちは歩いていた。
 特にそこを歩けと言われたワケでもない。ただ他人の家で、そんな歩道があるとその上を歩かねばならないような気がしたのだ。

 ――そして、半分ほどその行程が済んだ瞬間だった。

  ガサッ!!

 右前方と左前方の二つの茂みから、何かが現れる。

「――ッ! 避けろッ!」

 智代が叫び、後方に跳ぶ。その声に反射的に朋也と杏も後方へ跳んだ。

「へっ?」

 理解できぬまま、春原一人がすっ呆けたように残され、

  パパパパッ!!

 乾いた炸裂音が響いた。飛来する無数の丸い物体。

「あででででッ!?」

 春原は頭を抱え、節分の日に豆で追い出される鬼のように、後方に下がった三人の下へゴロゴロと地面を転がる。

「な、なな、なん――銃声ッ!? ここ法治国家、日本ですよねぇッ!?」

 痛みと驚きで、目を白黒させる春原。
 鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、尻餅着きながら、ズレたサンタ帽子を直す姿は相当情けない。

「いや、銃声にしちゃ、軽い過ぎるだろ。第一、これ……」

 言いながら、しゃがみ込み、弾を拾う朋也。

「BB弾だ。しかも、何か強化コーティングされてる」
「BB弾ッ!? 何でんなモンが襲ってくるワケッ!?」
「ん〜、防犯システムじゃないか?」

 ウィンウィンと機械音を鳴らしながら、茂みの中に収まっていく自動機関銃を見やる。
 どうやら、玄関から数十m以内に近寄るモノに対して、攻撃を仕掛けるらしく、下がった朋也たちに対しては、弾を吐き出すことはしないようだ。

「しかし、庭の自然環境を破壊してでも、防衛しようたぁ、奴さんはマジみたいだね!」
「ちなみに、最近のBB弾は土に還るからな」

 へへっと顎の汗を拭う春原に朋也が豆知識をもって、ツッコミを入れた。

「でも、防犯システムにしちゃ、何っていうか……間抜け?」
「もし、これほどの家が、本格的に防犯を心がけるなら、赤外線が張られていたり、警備会社と連携を取ると思うのだが……?」

 程度の低い防犯システムに杏と智代は、小首を傾げた。
 それもそのはず、これこそが、一ノ瀬夫妻の友人――高橋の仕掛けた“障害”なのだ。
 まさか、本格的な防犯システムを仕掛けるワケもない。しかし――

「……念のため、確かめておこう」

 智代が呟き、肩に担いだ何も入っていないサンタ袋を地面に下ろす。
 レンガ歩道のレンガを一つ剥がして拝借し、

「フッ!」

 短い呼気と共に、二つある自動機関銃の内、一つの隠れている辺りに目掛けて、投擲する。

  ガサッ!

 すぐさま、自動機関銃が姿を現し、

      パパパパッ!!

 再び、二つの自動機関銃が、ガス圧縮音の二重奏を奏でる。
 自動機関銃は、空を切るレンガに対し、寸分の狂いもない狙いで以って、強化BB弾の洗礼を惜しげもなく贈る。見る見る内に、赤茶けたレンガは無数の強化BB弾によって、その身を抉られ、削られ、自動機関銃に五分の一も届かず、完全に塵と化していた。自動機関銃は標的の消失を認識し、首を振って、他の標的が無いこと確認すると、再び茂みの中へとその身を潜めた。

 ………………
 …………
 ……

「てか、春原。お前、よく無事だったな……」
「え? 何が?」

 さりげなく、人外の防御力と回復力を見せ付けていた春原。
 自動機関銃の強化BB弾の硬度と威力は、数秒で石をも砕く程のモノだった。

 ――もはや、BB弾と思わない方が良さそうだ。

 おそらく、喰らえば、たとえ一発でも、痣が簡単にできるだろう。

「で? どうすんのよ、あれ?」
「……まずはできるだけ、情報収集するか」

 幸いにも、一定距離を保っていると、攻撃してこないため、作戦を練る時間には困りそうも無い。
 朋也の言葉に一同は賛成し、サンタ袋を地面に放置し、できるうる限りの情報収集を行った。

 ――レンガを山なりに投げる。……問題なく撃破。どうやら、射角に制限は無いらしい。
 ――レンガを一箇所に集中して連続投擲。……もう一丁が補佐することで破壊スピードを上昇、撃破し続けた。
 ――レンガを二箇所同時に投擲。……それぞれ、一丁ずつ相手をされ、撃破。
 ――レンガを二箇所同時に連続で投擲。……カプセル状の強化ガラスが自動機関銃を覆い、防御。
 ――強化ガラスが覆った後にレンガを本邸に投擲。……問題なく撃破。どうやら、覆われても射撃できるらしい。

 ………………
 …………
 ……

「……結構、難攻不落じゃない」
「……あぁ、少々、侮っていたようだ」

 嘆息を吐く杏と智代。手を替え品を替えてみたものの、突破口が見出せないでいた。
 もはや、レンガ歩道は拝借し過ぎて、レンガ歩道とは表現できない状態にあった。
 素肌の地面が、あちこちに剥き出しになっている。

「何で弾切れないんだろ、あれ?」
「沈んだ時に補給してるか、ガトリング砲みてぇに大量の弾が入ったタンクと繋がって、補給しながら打ってるかのどっちかだな」
「いや、おそらく前者だ。あれには、弾倉と連結していると思しき所がない」

 思案する朋也に智代が告げた。

「てか、そこまで見えんのか、智代ッ!? 目、良すぎだろッ!?」

 朋也は驚愕した。
 今は夜。そして、自動機関銃のある箇所までは数十mはある。要するに暗く、そして、遠いのだ。
 にも拘らず、智代にはそんな細部まで見えているようだった。

「ははっ、ホント、アフリカのマサイ族みた――」

  どぐしっ!

「――げへぶッ!?」

 言い切る前に春原は智代の蹴りで、宙を舞った。

「要するに、アレに弾切れさせ、その隙に本邸に駆けつければ良いというワケだな」
「加えるなら、自動機関銃を抜けても、打ってくるかもしれないから、壊しちゃった方がいいわね」
「壊すって……軽く言うけどなぁ、壊せんのか? アレ?」
「あたしたちなら、できるでしょ。近付ければね」

 杏の何気なく言った一言に、何故だか朋也は、果てしない説得力を感じた。

「それは兎も角、どうやって、弾切れさせんだ?
 全員で弾切れるまで、レンガ投げ続けたら、それで疲れ切って動けないぞ?」

 それでは弾切れを起し、一時の安全時間を生み出しても、意味が無い。
 布石の時点で全力を振り絞っては本末転倒だった。

「第一、投げるためのレンガも、多分足りないしなぁ……」

 三人が思惟に耽っていると、

「ついに僕の出番みたいだね……」

 サンタ服に着いた土をパッパと払いながら、春原が言った。智代の一撃から復活したらしい。
 ……そして、



「僕が弾全部、受け切ってやるよ。――皆のために」



 親指を立てた握り拳で、自らを指差し、言った。

「春原、お前……実は春原じゃないなッ!? 春原がそんなカッコいいことを言うワケがないッ!」
「待てぇッ! 僕がカッコいいこと言ったら、ダメなんすかねぇッ!?」

 ビシィッ!と指差してくる朋也に、春原が抗議の叫びを上げる。

「当たり前だろうが! いいか!? 俺が知っている春原はなぁ!
 ヘタレでニートで穀潰しで、親からの仕送りを全てボンバヘッに注ぎ込むような男だぞ!?
 いつも毎夜毎夜、「ボンバヘッって、萌え萌えだよぉ〜ハァハァ♪」って息荒くするような男だぞ!?」
「それは言い過ぎだろッ!? つか、ボンバヘッに萌えるってどんな奴ですかぁぁッ!?」

 ダンダン!と地団太を踏む春原。疑心暗鬼に陥り始めた朋也に杏が言う。

「待って、朋也! そいつは間違いなく春原よ!」
「杏、お前まで何を言っているんだ!? 春原だぞ、春原陽平だぞ!? あいつにそんな勇気が――」
「見てっ!」

 と、杏が指差すその先を見る朋也。その先は、春原の足。

  ブルブルブルブル!

 携帯電話のバイブレーションの如く震えていた。
 それを見て、朋也が春原の肩に手を置き、謝罪する。

「……すまない、春原。まさか、俺がお前を疑うなんて……どうかしてたよ」
「足の震えで、確信っスかっ!?」

 何だか謝られても嬉しくない春原だった。

  ※

「良し。じゃあ、手筈通りに行くぜ」

 最後方に位置する朋也が言った。
 四人の陣形は菱形。
 春原が先頭に立ち、その右後方、左後方に杏と智代、最後方に朋也となっている。
 春原が防御し、弾切れを誘発。杏と智代がレンガ歩道の両脇にある二つの自動機銃を撃破。
 そして、朋也が本邸に突入すると云う算段だ。

 もはや、全員、サンタ袋は邪魔なだけなので打ち捨てた。
 ただし、ことみのCDだけは朋也の懐の内ポケットに仕舞い込まれている。

「作戦名『聖夜に散れ、春原陽平! お前は捨て駒だ!大作戦』開始ッ!」
「えぇッ!? そんな作戦名なのッ!? ちょっと変更を要求――」
「「つべこべ言わずに行けっ!」」

 ゲシッ!とそのケツを蹴り飛ばす杏と智代。それにより、春原は無理やり前進させられた。

  ガサッ!

 茂みより現れる自動機銃。そして、

      パパパパッ!

 数多に襲い掛かってくる強化BB弾。
 それはどこかしら、巣を突かれ、怒髪天を衝いた蜂の群を彷彿とさせた。

「ひぃぃぃぃ!」

 流石の春原と言えど、目に直撃を食らうとヤバイため、目を腕で隠しつつ、にじり寄るように前進する。
 多少でも、動いていないと標的と見なされない可能性があるからだ。

  ダダダダダダダダッ!

 ――分厚いサンタ服を貫いて、僕へのダメージ!?
 ――BB弾、一発一発がなんて威力だ!

「ガハッ!」

 春原が吐血しそうな勢いで、肺の空気を押し出した。
 津波の如く怒涛に押し寄せてくる痛覚の波。五秒が三十秒。十秒が一分にすら感じられる。
 衝撃が肉を透徹し、骨を超え、内臓に突き刺さるような感触。
 幾多の弾が、春原の体を嬲り、サンタ服を荒々しく削って、ただのボロへと変えていく。
 何故か包丁で、身を叩かれ、解されるまな板の上の魚の心境を理解する春原。

「(嗚呼……マズ……あっ……ちょ……マジで……コレは……)」

 激痛のあまり、春原の意識が遠のき始める。
 ガードする腕が痺れ、感覚が無くなり、しっかりと上げられているのかも分からない。

 春原の膝が地に着きそうになったその時。

  カタカタカタ!

 ――漸く、自動機銃の弾が切れた。

「行くわよッ!」
「言われなくてもッ!」

 杏と智代が駆け出す。そんな二人を見やりながら、朋也は仰臥する春原に駆け寄った。

「お、岡崎……」

 春原は震える手を伸ばし、朋也はその手を掴んだ。

「大丈夫か、春原ッ!?」
「岡崎……。僕のことは良いからさ。早く行けよ……」
「あぁ、そうだな。お前なら大丈夫だな、じゃッ!」

 ポイッ!と春原を捨て、駆け出した杏と智代の背を追うように朋也も走り出した。



「お前、ことみちゃんにクリスマスプレゼント渡すんだろ?
 お前、そのために今、サンタやってるんだろ? だったら、早く……。
 大丈夫さ、こんなの杏の辞典攻撃や智代の空中殺法に比べれば、大したモンじゃないよ。
 岡崎……僕、普段はギャグキャラみたいな位置に立ってるけど、最期ぐらいまともだったよね?
 僕はもう満足さ。だから、早く……。――って! 最期ぐらいちゃんと聞いてくれませんかぁぁッ!?」



 去っていく面々の背中に手を伸ばし、懇願する春原。しかし、

「愛が足りないぜ……勿論、僕への」

 力尽きたようにパタリと手を落とした。
 やっぱり、春原は最期まで春原だった。

  ※

 自分が風を切っているのが分かる。
 一瞬、ふと隣を横目で伺うと、自分と同じ速度で、自動機銃に向かう女――杏の姿が映る。

「(速いものだな……)」

 まさか、自分と同速度で走ることのできる女がいるとは、思わず少し驚く。
 少なくとも、体力測定の時には、誰一人並ぶ者はいなかった。

「余裕ね。余所見なんて」
「あなたもな」

 杏と目が合い、視線を元に戻す。
 自動機銃が、緑葉を散らし、茂みの中へと身を沈めた。――弾を補給されたようだ。

「次、出た瞬間、叩くぞッ!」
「当たり前よッ!」

 言い合い、二手に分かれる。
 再び現れる自動機銃。その長いあぎとを上に向ける。
 杏と智代は跳躍し、天を舞っていた。

「「遅いッ!!」」

 二人して、加速度を十分に蓄えられた飛び蹴りを放つ。――が、

  ガコンッ!

 刹那早く、カプセル状の強化ガラスが覆い、

       ベキッ!

 二人の蹴撃は強化ガラスに蜘蛛の巣のようなヒビを入れるも、撃破には至らなかった。

「「ちっ!」」

 蹴りの反動で、自動機銃から離れた二人は、素早くレンガ歩道の脇にある並木の後ろに隠れた。
 その背を追っていた強化BB弾の射線が、防御壁代わりにした並木の幹を次々に穿つ。
 二人の姿が消えたことで、強化BB弾の銃撃が止む。

 ――しかし、それで困るのは、二人の後を追っている朋也だ。

「おぉいッ!? 壊せてねぇじゃねぇかッ!?」

 思わず急停止する朋也。だが、杏が叫ぶ。

「朋也、そのまま行ってッ!」

 半瞬、「何故!?」と叫びかけたが、その意図を察して、

「来いやぁぁぁ!」

 そのまま再突入する。何処かしら、鉄砲玉のヤクザのような掛け声だった。
 杏が智代に目配せすると、智代は頷き返した。
 二つの自動機銃が最も近しい標的――朋也の方を向き、それを見た朋也の頬が一瞬引きつる。
 しかし、同時に、

「こっちも忘れないで欲しいわね!」

 杏と智代が木の影から、同時に飛び出した。
 自動機銃が一瞬、逡巡する。

 ――杏と智代の一組と朋也。どちらの方が近いか?

 接近してくる三者に、そこまで流暢な論語を用いて、思考したワケではない。
 単にどちらが近いかだけを算出しただけだ。
 その結果、驚異的な速度で接近する杏と智代への迎撃を決定した。
 自動機銃の思考ルーチンが、そこまでの計算に掛けた時間は、一秒やあるか否や。
 だが、杏と智代にそれだけの時間差タイムラグは致命的だった。
 射口を向けた時には、彼女たちは既に眼前に迫っていた。

「だから!」
「遅いのよッ!」

 杏と智代が、必殺の右ストレートを強化ガラスのヒビ割れた部分に向かって繰り出す。

  バギャギンッ!

 二つの破砕音が混ざった混成音が二つ。強化ガラスと自動機銃、双方が諸共、一撃で粉砕された。
 それらを耳にしながら、朋也は本邸への門を潜るべく、全速力を維持し続けていた。

 ――しかし、それで全ての“障害”が消えたワケではなかった。

  ガサッ!

 朋也の十時方向と二時方向から、それぞれ一つずつ。二つの影が茂みの中から現れた。

「「「――っ!?」」」

 朋也のみならず、三名全員の表情が驚愕に染まる。――自動機銃は合計四つあったのだ。
 残る二つが、朋也の方を向いていた。

 ――止まったら、られるッ!

「くっ!!」

 全速力で走っていた朋也は不随的に思考し、前方の本邸の門内へ、地を蹴り、身を投げた。
 鉄砲水のような強化BB弾の群が、容赦なく、間を抜けようとする朋也を狙い撃ち、

  ダダダッ!

「ぐがっ!?」

 朋也の呻き声が上がった。何処に何度ヒットしたのかなど考えられない程の激痛だった。
 そのままゴロゴロと何度か地面を転がる朋也。痛みに顔を顰めながらも、思考は続けていた。
 銃撃が止んだ。と云うことは、やはり、本邸内は射程外と設定されているのだろう。
 一応は、自身の身の安全は確保されたと考えていい。

「ふ、二人は……?」

 上半身を起し、本邸の門の内側から見る形で、来た道を振り返る。
 朋也を標的から除外した自動機銃は、今度は杏と智代の両名に強化BB弾を吐き出していた。
 二人はまた並木に身を隠して、やり過ごしているようだった。
 時折、木の陰からこちらを様子を見、その度に狙われ、また身を隠すといった具合だ。

「朋也ッ!? あんた、大丈夫!?」
「あ、あぁ……一応な」
「一応って何よ、一応ってッ!?」

 杏は思わず、顔を出してしまい、自動機銃に狙われ、再び並木に身を隠した。

「ま、待ってろ! 今、何とかして――ぐッ!」

 朋也は立ち上がろうとして、失敗した。
 その時になって、漸く、自分が左足の膝から下、特にふくらはぎを傷めているに気がついた。
 おそらく、飛び込んだ際、最後尾にあったために、負傷したのだろう。

「やはり、何処かケガをしたのかッ!?」

 今度は智代の声。やはり木の陰から聞こえる。

「あぁ、左足をヤラれたみてぇだ!」
「だったら、こちらはもういい! 先を急げ!」
「け、けどよぉ!」

 食い下がる朋也。
 いくら強かろうが、女を置いていくと云うのは、朋也の男としての矜持が許せなかった。



「――今、お前に何ができるッ!?
 その足で私たちが助けられるか!? 答えは否だ!
 だったら、先を急ぐことだけ考えるんだ!」



 決定的な一言に朋也はぐぅの音さえ上げられなかった。
 朋也は歯を食いしばり、逡巡したが、

「分かった! 何とか無事でいろよッ!」

 そう言い残して、朋也は負傷した左足を引きずりながら、先を急いだ。

「……随分、勝手なこと言ってくれたわね」
「何がだ? 妥当な判断だと思ったのだが?」
「別にいいわよ、もう……」

 はぁ……と鬱屈とした溜め息を杏は漏らした。
 純粋に手伝いに来た智代と違い、当初の杏の思惑は、“ことみと二人っきりにしないこと”だったのだ。
 それが今ではどうだ。本当にただの手伝いと化してしまった。
 どうにか、急ぎたい所だが、この自動機銃の存在が鬱陶しい。
 それに先程の智代の発言により、“弾が切れるまで待って貰う”と云う案も潰えてしまった。
 いや、そもそも、この自動機銃が先程と同種の物とは限らないので、弾切れがあるかも分からない。

「やれやれ、それにしても大変なクリスマスになってしまったものだ」
「……あんた、まだ一年あるじゃない。あたし、高校最後のクリスマスがこんなよ? 正直、泣けてくるわ」

 もう一度、今度は先程以上大きな溜め息が、杏の口から漏れた。
 本当はしたかったあれやこれやが頭に湧いて出てくる。
 まさに、後悔先に立たず。しかし、それ故に決意する。

 ――そうよ! バレンタインはチョコ! 卒業式は第二ボタン! まだチャンスはあるんだわ!

「負けてらんないのよ、あんたたち何かにぃッ!」
「(な、何故、あっちじゃなくて、こっちを見るんだ?)」

 何やら敵意にも似た、固い決意の篭った瞳でギロリと見られ、智代は戸惑った。

  ※

「くっそ、熱持ち始めたな……」

 朋也の左足のふくらはぎはジンワリと熱を帯び始めていた。ジンジンと脈打つのに合わせるように痛みが襲ってくる。冷やすなり何なり応急処置を施すべきなのだろうが、朋也は構わず、高橋邸の正面横にある物置を目指していた。
 その目に映る、物置の横にある脚立。
 高橋との打ち合わせでは、それを使って、本邸正面の二階――ことみの部屋へ“お邪魔”する予定だ。
 脚立に近付き、間に腕を通し、肩に担いで、本邸正面へ移動する朋也。

「(ぐぬぅっ、こいつは思ったより重労働だな……)」

 左足を傷めていることも手伝って、結構辛い作業だった。

「(もう少しだからな、ことみ……)」

 空いている手で、懐をまさぐる朋也。服越しにCDの正方形を感じ取る。
 本邸の正面で、脚立の高さを高目に調節する。そして、朋也はそれに足を掛けていった。
 カンカンと鉄板を踏み、脚立ならではの不安定さを少し不安に思いながら、上へ上へと上っていく。
 ベランダの手すりを掴かもうと手を伸ばそうとしたその時、

  バギャギンッ!

 何処かで聞いたことのある破砕音が耳に入る。
 振り返りつつ、朋也が下を見下ろすと、杏と智代が手を振っていた。
 朋也もそれに応じるように親指を立てた手を突き出す。

 どうやら、自動機銃の破壊に成功したようだ。
 ……相変わらず、人間離れした実力を持っている。

「(後は、ことみにCDを渡したら、それで終わりだな)」

 気楽に考えながら、ベランダを跨ぐため、その手すりを右手で掴んだ。
 勿論、自分の右手が肩より上に上がらないことは承知している。
 だからこそ、脚立を高目に設定したのだ。おかげで、今、腹当りに手すりがある。
 手すりに掛けた手を支点に、朋也が跨ぐために足を上げたその時、

  パパパパッ!!

「がっ!?」

 ガス圧縮音の銃声が響き、朋也の右足に激痛が疾った。



 ――そして、朋也は……。

 ――脚立から、足を……。

 ――踏み外した……。



「ぐぁぁぁあぁぁぁああぁああぁッ!!!」



 朋也の絶叫が、防音設備の整った閑静な高級住宅街に轟いた。

  ※

「――ッ!? 往生際の悪いッ!」

 朋也に対し、射撃した自動機銃を智代が今度こそ粉砕する。

「何故、こいつは朋也を……!?」
「知らないわよ! 壊れたんでしょ!」

 言い得て妙だが、杏の言葉は的を得ていた。
 しかし、完全に機能を停止したワケではなく、標的の設定・・・・・が壊れたのだ。

「朋也は何故、あんなにも痛がっているんだ!?」

 夜目の利く智代には、朋也の右足――太ももの裏側が打たれたのが見えていた。
 しかし、それが、絶叫した理由には智代は思えなかった。そして、彼女は知らなかった。

「朋也、右手が肩より上に上がんないのよッ!」

 悲鳴にも似た杏の一言に智代は、慄然と顔を青褪めた。そして、それは当然の反応だった。
 今、朋也はベランダの手すりに右手だけで掴まっている。



 ――即ち、朋也は今、“上がらない右手を上げさせられている・・・・・・・・・・・・・・・・”のだ……。



  ※

 ――右肩……洒落になんねぇぐらい痛ぇ……。
 ――てか……手の力が抜けてきた……。
 ――離したら……楽になんのかな……?
 ――そもそも……俺……何でこんな痛い目にあってるんだろ……?
 ――何でこんな……馬鹿みたいなこと……やってんだろ……?
 ――サンタだってよ……馬鹿臭ぇ……。
 ――そりゃ、自分で決めたことだけどよ……。
 ――けどさ……知らなかったんだよ……。
 ――こんな痛い思いするなんてさ……話が違うじゃねぇかよ……。
 ――……ボランティアだぜ? ボランティア……。
 ――金も貰えねぇのに……何でこんな痛い目に進んであわなきゃいけねぇんだよ……。
 ――もう……やめよっかなぁ……。

 朋也は俯き、朦朧とする意識の中、思う。
 ベランダの手すりを握る力が、静かに弱まり出した。と、その時――。

「……てめぇ等には、ねぇのか?」

 ――男の声が脳裏に甦った。



「決して、てめぇのためじゃねぇ……だが、完全に誰かのためでもねぇ……。
 てめぇのためでもあり、そして、誰かのためでもある。
 そんな“気持ち”がよ……――てめぇ等には、ねぇのか?」



 それは誰が言ったか?
 何処までも子供で、その癖、何処までも大人の男――秋生。



「――でも、今年はサンタさん来ないから、手に入らないと思うの……」



 それは誰が言ったか?
 図書館でいつも一人で本を読んでいる、人一倍寂しがり屋な少女――ことみ。



「ことみ……サンタは必ず来る。――だから、信じて待っていてくれ」



 それは誰が言ったか?
 そう、自分だ。自分が言ったことだ。それは一人の少女のために言った言葉だったはず。
 にも関らず、今、自分は何を思ったのか? 今、何をしようとしたのか?



 ………………
 …………
 ……



「……てめぇ等にはねぇのか、だと?
 てめぇのためでもあり、そして、誰かのためでもある……そんな気持ちがねぇのか、だと?
 ――そんなモンあるに決まってんだろうがッ!!!」



 再び、朋也の瞳に生気が宿る。不倶戴天の仇でも見るような目でベランダを見上げる。
 踏み外した時に掴み損なった左手で、ベランダの手すりを掴む。
 脚立は踏み外した時に蹴り倒してしまった。なので、そのまま懸垂でもするかのように、体を持ち上げる。
 右手は殆ど力が入らなかったが、左手だけでは体は持ち上がらないので、無理を承知で右手に命じる。
 朋也の意思に沿って、忠実に命令を実行しようと右手は奮闘してくれるが、今一歩足りない。

「こんのぉおおぉぉおぉぉおぉ!!」

 朋也はベランダの外壁に片足を掛け、その不安定極まりない足場を頼りに、半ばよじ登るようにして、ベランダの内側へと身を投げ込んだ。
 落下途中でぐるりと回り、ベランダの床で仰向けに倒れこむ。

「はぁっ! はぁっ! はぁっ!」

 朋也は胸に手を当て、荒々しい青息吐息を吐き出していた。白い湯気のような息が夜空に上る。
 暫くそうしていると、息が整った。朋也は身を起そうとしたが、

「あだっ! あ痛ててッ……」

 上半身を起す際、走った痛覚に朋也は顔を歪めた。反射的に右肩を左手で押さえた。

「(しかし、えらく手間取ったモンだな……)」

 あちらこちらが痛い。脂汗が背中や顔に滲み出てるのが分かる。
 自動機銃の強化BB弾で負傷した左足のふくらはぎと右足の太もも裏。
 そして、上げてはならないのにも関らず、上げてしまった右手。これが一番酷い。
 ジンジンと明滅する電球のように、負傷の事実をしつこく主張してくるのが、鬱陶しかった。

 きっと、ベランダに登るだけでここまでケガをした人間も珍しいだろう。

「(……そもそも、ベランダに登る人間そのものが珍しいだろうな)」

 一人ツッコミながら、ベランダの縁を頼りに立ち上がる朋也。……やはり、両足も痛い。
 だが、立っていられない程のものでもない。辛うじて、立つことはできた。
 朋也は、目の前の大きな窓の取っ手に手を掛ける。
 二階のことみの部屋に通ずる窓だ。当然、カーテンを閉めているので、部屋の様子は分からない。
 高橋との打ち合わせで、そこ窓の鍵が空いていることになっていたが……。

「……サンタさん?」
「――っ!?」

 聞き覚えのある少女の声がし、朋也は吐胸を突かれた。

「(な、何でことみ、起き……――っ! 図ったな、高橋さん!)」

 漸くのこと、ここまでの展開が高橋に演出されたモノであることを朋也は悟った。
 何故からともなく、「ハッハッハ、君のお父上がイケないのだよ」と云う声が聞こえた気がした。
 慌ててオロオロと周囲を見渡すが、隠れるような場所は、小さな換気扇らしき物体の裏しかない。

 ――そんなトコに隠れて意味あるかッ!? いや、或いはことみなら案外……。

 朋也が自問自答している内に、

  シャッ!
    ガラガラ

 カーテンと窓が開く。朋也は開き直りにも似た決意で以って、迎えることにした。

「???」

 純白のネグリジェの上から、黒のカーディガンを羽織ったことみが顔を出す。
 髪飾りを着けておらず、黒髪を真っ直ぐ下ろしていたため、一瞬別人と朋也は見紛ってしまった。
 しかし、その疑問符を浮かべて、小首を傾げる姿は間違いなく、ことみだった。

「よ、よぉ、ことみ……」

 居心地悪く、おずおずと左手を挙げて、挨拶する朋也。

「朋也くん?」
「あ、あぁ、そう、俺……」

 サンタ帽は既に落としたため、素顔がモロバレだった。

「サンタさんが朋也くんで、朋也くんがサンタさん?」
「え、い、いやまぁ、その、きょ、今日はサンタさんの代行でな……」

 毎年やっていると誤解されるのも、何なので、真実でない事実を述べる朋也。

「と、兎も角だ! ことみ!」

 自らを鼓舞するように声を張りながら、朋也は懐の内ポケットから、プレゼントのCDを取り出そうとするが、上手くいかない。左の内ポケットに入っているのだが、右手が使い物にならないため、左手で左の内ポケットを出さねばならなかった。……出しにくいことこの上ない。
 焦りながらも、朋也は何とかCDを取り出した。
 緑と赤のストライプ柄の包装紙に包まれ、赤いリボンが端に備えられていたCDだ。

「喜べ! これぞ、念願のクリスマスプレゼントだ!」

 何処ぞの御三家の印籠のように突きつける朋也。自分が買ったワケでもないのに誇らしげだった。
 ことみの表情がパァ……っと明るくなり、朋也の手から割れ物でも貰うようにそっと手に取る。

「朋也くんからのプレゼント……」

 そして、ことみは包装紙に包まれたCDを胸の中で抱きしめた。
 懐に入れていたせいだろう。まだ朋也の体温がCDに残っていた。
 目を瞑り、頬を少し紅潮させることみは、実に嬉しそうだった。
 朋也もそんなことみを見て、目尻を緩めた。その姿だけで、ケガを負った価値があったような気さえした。

「(ん? 俺からの・・・・プレゼント?)」

 微妙に重大な勘違いをされているような気がしたが、深く考えるのも恐ろしいので止めておいた。

「……開けてもいい?」

 遠慮がちに上目遣いに訊ねることみ。
 気恥ずかしげに頬を掻きながら、そっぽを向き、朋也も「あぁ」とだけ答えた。
 けして、その上目遣いはわざとではないのだろう。しかしまぁ、この仕草の何と云う威力か。
 陳腐だが、その威力故に多用され、陳腐と評される女のハメ技だった。

 ことみは、ペリペリと……セロハンテープ一枚一枚でさえ、大切とばかりに慎重に剥がしていく。
 包装紙も破ることなく取っていき、徐々にその姿が露になっていく。
 中身を知ったら、もっと喜ぶのではないだろうかと秘かに期待していた朋也だったが、

「あ……」

 ことみは悲しげに眉を寄せた。朋也は何事かと覗いてみる。

「げっ!?」

 CDのケースは稲妻で書いたように歪な「入」の字にヒビ割れていた。

 ………………
 …………
 ……

「ま、まぁ、CDなんて仕舞えればいいんだから、ヒビなんて気にするなよ」

 ことみはコクリと頷いて、CDのケースを開け、

「あ……」
「げげっ!?」

 ことみはもう一度、悲しげに眉を寄せ、朋也も驚いた。
 今度はケースが開いた。いや、当然だが、半円を描かず、真っ直ぐに上がって、二つに分離した。
 明け透けに言えば、蝶つがいの部分が壊れていた。

 ………………
 …………
 ……

 ことみは、ウルウルと涙目でジーと朋也を見上げる。

「……朋也くん、イジメっ子?」

 裏切られたと心の底から思っている目だった。

「ち、違う! 断じて違う! 俺は春原以外は絶対イジメない!
 そ、その、ケケ、ケースなんて所詮、飾りだ!
 大事なのは、中身――CDだ! 聴ければ、それで十分機能は果たされる!」

 妥協しまくったフォロー……もとい、言い訳を述べる朋也。
 痛覚による脂汗とは別種の冷や汗がドバッと出てくる。
 ことみもコクコクと頷いて、CDをケースから取り出した。

  カラン
     ポトッ

 ――見事に半分となったCDを。残り半分が床に落ちる。

「…………」
「…………」

 ………………
 …………
 ……

 絶句だった。もはや、弁明の余地すら許されない壊れっぷりだった。
 二度あることは三度ある。三度目の正直。三段オチ……あらゆる言葉が朋也の脳裏を掠める。
 どうやら、ここに来るまでのポジティブでアグレッシブな動きが齎した結果のようだった。
 思えば、ベランダに転がり込んだ時にも、「ベキッ」と無機質な悲鳴が上がったような気がする朋也。
 自身の体の痛みに気を回すので精一杯だったようだ。

「ス、スマン! ことみ! 弁償すっから、許してくれ!」

 合掌し、頭を下げる朋也。

「ううん、いいの」

 言外に“期待しないから、もういい”と言われた気がした朋也は尚も食い下がる。

「いや、そうはいかん! そ、そうだ! 今日は24日でイヴだ!
 明日の25日こそが真のクリスマス、本番だ! だから、そん時にもう一度――」

 アタフタと無茶を言い始めた朋也に、ことみは何も言わず、すっと半分になったCDを差し出す。

「弁償はいいから、朋也くんもコレ持ってて欲しいの」
「? あ、あぁいや、それは構わんが、CDが聴けないことには変わりないぞ?」

 意味をよく掴めないまま、朋也はCDの半分を受け取った。
 ことみは、もう一つの半分に欠けたCDを床から拾い上げると、



「朋也くんと半分こなら――これがいいの」



 胸に置いて、言った。

「あ……あぁ、いや、ことみがそう言うなら、俺は、まぁ、それでも……」

 モゴモゴと最後の方は、口篭るようにして、食い下がるのを止めた。
 顎をくすぐられたネコのような……何とも言えないムズムズしたくすぐったい喜び。
 悪いことをしたのに、嬉しがっていることみの表情を、朋也は直視できなかった。
 というより、ことみの顔を見ていると嬉しさで、情けないくらい頬が緩みそうだった。
 だから、朋也はくるりと背を向け、照れ隠しにガシガシと頭を掻いた。

 ふと上を見上げると、満点の星空と満月が浮かんでいた。
 ホワイトクリスマスとはならずも、それはそれで妙趣な佳景だった。

「ほら、見てみろよ、ことみ……今日は、夜空が綺麗だぜ」

 空を見ていた朋也は気づかなかったが、言った瞬間、ことみの肩がビクッと震えた。

 ――空。
 それはことみにとっては“地獄”か“魔界”に等しい世界だった。
 空と云うフレーズは、“飛行機”と云う名の物体を彷彿とさせるからだ。
 両親の命を奪ったその名を……彷彿とさせるからだ。
 幼い頃のことみから、この世界で最も大好きな存在を永遠に取り上げた存在。
 それがことみの知っている“飛行機”であり、まさに“悪魔”だった。

 ことみは空が見えないように俯き、胸に置いている手を縋るようにギュッと握り締めた。

  チクッ

 何か尖った物を握ってしまったような痛みが走った。まるで、存在の主張するような痛み。

「(あ……)」

 その手にある物に目を落とす。
 半分に欠けたCD。もう聴けなくなってしまったCD。――だが、朋也から贈られたCD。
 ことみはもう一度、胸に置いている手を握った。ただし、今度はCDを包み込むように……。
 早くも寒夜で冷え切り、そこにもはや、朋也の体温は宿っていない。
 しかし、それでもことみは、陽だまりの中にいるような気持ちになれた。

 ――それは、“朋也の暖かさ”だった。
 ――それは、“人間の温もり”だった。






今はまだ……無理かもしれない。

パパとママがいなくなった事を……思い出したら、泣いてしまうかもしれない。

今だって、ほら……少し涙が出そうになっているの。

でもね、パパママ……今なら、今だけなら……



「お月さま……とても綺麗なの」



少女は、聖なる夜に空を見上げることができた。

何年振りになるかも分からない空を……

一人の少年と共に見ることができた。












その夜。

この町の聖夜に、サンタは現れた。

彼らは皆、決して、白い髭を蓄えていなかった。

彼らは皆、決して、煙突から入ってこなかった。

彼らは皆、決して、トナカイに乗ってこなかった。

もしかすると、彼らは“サンタ”を名乗る別物に過ぎなかったのかもしれない。

だが、何者も否定し得ない真実がある。




――彼らの行動は、常に“誰か”のためだった――



それだけは、何者も否定しえない真実だった。





END

別のを見る。

 ぴえろの後書き

 ぴえろの処女作品。今見ると何て酷さ!
 「消してぇ〜!リライトしてぇ〜!」と何所ぞのアニメOP曲を口ずさみたい所。
 祭りに出すような長さじゃないなぁ。最初から長文癖で、未だに治ってない……。


 

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