パーキング・サイクリング

written by ぴえろ




 今日、ウチの娘が大人に近づくための通過儀礼を行うことになる。
 と言えば、何やらいかがわしいものを想像してしまいそうだけど、勿論違う。……でも、いずれは本当にそういうことしちゃうんだろうなぁ。僕と鈴がそうだったように。それが正常で、そのことに対して、拒絶反応が出そうになる僕の方が異常なんだってことは分かってるけど、心に浮かぶ嫌悪感は誤魔化せない。「一緒にお風呂入る?」と聞くと「入るー!」と答えるような娘が、男女の恋愛をすること自体が想像し難い。都市伝説ではないのかと疑った辺りで、自分が相当親馬鹿と化していることに近頃気がついた。まぁ、それはいいさ。遠い未来の話だ。今は捨て置こう。
 昨晩、家族全員でテレビを見てる時に娘の理華が、ふとこんなことを言ってきた。

「ねぇ、パパぁー。やっぱり、自転車に補助輪ついてるとカッコ悪いのかなぁ?」

 隣に座る理華が小首をかしげながら、僕を見上げる。僕は玉石のようにキラキラと輝く穢れない瞳を見返しながら、問い返す。

「そんなことないと思うけど……どうして?」
「今日ね。皆で遊びに行ったら、補助輪ついてるのあたしだけだったの。皆から子供っぽいって言われちゃった」

 ソファーに座って足をプラプラさせながら、理華は唇を尖らせた。しょげているようだった。子供っぽいねぇ……確かに補助輪をつけてるのは子供っぽいだろうけど、それは当たり前な気がした。理華はまだ子供なのだから。その程度のことで悩んでること自体が子供らしく、また可愛らしい。が、それは大人の見方だ。当人は真剣に悩んでいるのだから、それをそのまま突き付けるのはあまりに思いやりがない。

「それじゃ――」
「よし、じゃあ、今度の休みに補助輪無しで乗れるように練習しよう。あたしが教えてやる」

 番組がCMに入った瞬間、テーブルの向こう側に座っていた鈴が振り向き、言った。

「ホント! やったー。わーい、ママ大好きー!」

 理華はピョンと飛びあがるように万歳して立ち上がると、タッタとテーブルを迂回し、鈴に体当たり、もとい抱きついた。グリグリと鈴のお腹に自分の頭を擦り付けてる姿は、どことなく自分の匂いをマーキングする猫みたいだった。「うわわ、突然なんだ! びっくりするだろ!」とか最初は驚いたものの、鈴は慈愛に目尻を緩めると髪を梳くように撫で始めた。ああ、何と微笑ましい母子のワンシーンだろう。
 ……でもさ、今のは微笑ましい父子のシーンになるはずだったんじゃないのかな、とかちょっと思った。うん、母子じゃなくて父子ね。ここ大事、すごく大事。

「あのさ、鈴。それ、今、僕が言おうとしてたよね?」

 語気から、ちょっとは父親らしいことさせてくれてもいいんじゃないかというニュアンスが伝わっただろう。しかし、鈴はキョトンとした面持ちで切り返す。

「ん? だって、お前、自転車乗れないだろ?」
「ちょっ、乗れるよ。自転車ぐらい!」
「でも、あたしはお前が自転車に乗ってるの見たことがないぞ?」
「いやいやいや、何年の付き合いだと思ってんのさ。鈴が忘れてるだけで、一回ぐらいあるでしょ?」
「いや、ない。小中高、大学と合わせてない。確実にな」

 あんまり自信満々に言うもんだから、自分でも振り返ってみる。……確かに、ない。いや、ないかもしれない。

「でも、乗れるよ、僕? 鈴が知らないだけで」
「嘘だな。小学校の時分、皆で自転車でどっか行く時、お前いつも誰かの後ろに乗せて貰ってたじゃないか」
「うっ……いや、そうだけどさ」

 それにはちゃんと理由がある。僕たちが出会った時、僕は既にナルコレプシーという病にかかっていた。いつ発症して、突然意識を失うとも知れないこの病のせいで、僕は自転車に乗ることができなくなってしまった。単純に危ないから。だから、皆で自転車でどこかに行く時は、恭介や謙吾、真人の自転車に二人乗りする必要があった。しかも、荷を括るゴム紐で結んで固定する必要があったから、恥ずかしかったのを覚えている。中学以降、皆で遠出する時はバスに乗ったり、電車に乗ったりと公共の移動手段を利用するようになったから、そういう経験もなくなったけど。

「理華はどうだ? 自称、自転車に乗れるパパと確実に自転車に乗れるママ、どっちに教えてもらいたい?」

 ちょっと、何さ。その泥船と大船みたいな例え。そんなこと言ったら……。

「ママがいいなぁー」

 ですよねー。誰だってそーする。僕だってそーする。

「じゃあ、もしパパもホントに乗れるとしたら、理華はどっちに教えてもらいたい?」
「んー、それでもママかな」

 ……僕はここにいてもいいのだろうか。
 鈴はいつだってそうなんだ。流石に安月給だなんだとあからさまに理華の前で僕を貶めるようなことはしないけど、別段、立てることもない。気がついたら、貶めてたってことが多い。まぁ、僕も鈴にそんな細やかな配慮は期待してない。共同生活には妥協と我慢が必要なのだということを高校での寮生活、というか、真人の図々しさが教えてくれた。
 嗚呼、それにしても羨ましいなぁ。僕も娘と和気あいあいと戯れたい。こっちは理華が生娘になる頃には中年オヤジになってて、気持ち悪いだなんだ言われて、洗濯機で一緒に下着を洗わせてくれないかも知れないんだから、今の内に目一杯戯れさせてくれたっていいじゃないか、全く。
 そんな不満があったせいか、その夜、僕は鈴に対してちょっぴり意地悪だった。



 そして、次の日の日曜日。
 戦隊シリーズと仮面ライダー、プリキュアという子供向け番組三連ちゃんを朝ごはんと共に娘と視聴した後、僕たちは補助輪を外したピンクの自転車を持って、近場の駐車場へ向かった。そこは普段、クリニックの来客駐車場として利用されているけど、今日はそのクリニックの休業日なので一台の車もない。あまり広くはないが、子供が自転車の練習をする分には十分だ。

「別に家でゆっくりしてても良かったんだぞ?」

 その一言を「お前邪魔だから家で寝てろ」と解釈するのは邪推が過ぎる所だろう。昨日夫婦の営みを仕事の疲れを理由に中断したから、多分、それを思っての発言だったと信じたい。

「いや、大丈夫だよ。ほとんど見てるだけだろうしね」

 そう言って、僕は車輪止めのコンクリート塊に腰掛けた。
 実の所、ちょっとだけ疲れてた。仕事の疲れは寝たら取れたけど、朝の子供向け番組の後、理華のプリキュアごっこに付き合った結果だった。勿論、僕が敵役で一方的にやられるだけなんだけど、最近、理華の攻撃が……特にキックが鈴を彷彿させるような鋭いものになってきて、敵役を演じるのが辛くなってきていた。掛け声こそ「てーい!」というような可愛らしいものなんだけど、その攻撃たるや、全盛期のアーネスト・ホーストの如き鋭い蹴りを膝裏に的確に叩きこんでくるというものだ。「ふんぐっ!」とかなり本気目の苦悶の声が上がってしまったことも一回や二回じゃなかった。娘の成長をこういう形で知るというのは、喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、ちょっと反応に困る。
 本当に家で休んでても良かったけど、どうせ、家に居ても無趣味だし、退屈を持て余すに決まってるのでついてきた。別に、僕の知らない所で二人がさらに仲良くなってるかと思うと、悔しかったり、寂しかったりするからじゃない。うん、断じてない。

「よし、じゃあ、いつもみたいに乗ってみろ。最初はあたしが後ろを持っててやる」
「うん、分かった」

 鈴がちゃんと荷台の部分を持ってるのを見た後、理華は自転車に跨った。その時点でオタオタしてたけど、漕ぎ出すと更にブレが酷くなる。不安に駆られて理華は下を向いたまま、何度も後ろの鈴に呼びかけていた。

「持ってる!? ママ、ちゃんと持ってる!?」
「持ってる。ちゃんと持ってるぞ」

 と同じやり取りを三回ほどやった後、鈴は手を放し、腕を組んだ。相変わらず、理華は後ろに呼びかけているが、必死のためかそれに気付かない。二、三メートル進んだ辺りで、臨界を迎えて横倒しになった。ガシャンと派手に自転車が倒れる音と娘の悲鳴がセットで響く。イタタと呻きながら、理華が身を起こす。

「あれぇ? おかしいなぁ。ねぇ、ママ、ホントにちゃんと持って――」

 振り向いた時の理華の表情を、僕は一生忘れないような気がする。あれこそ心の底から信頼していた人に裏切られた人間がする表情なのだろう。くりくりと円らな瞳をこれ以上ないくらい理華は広げていた。自分から離れた場所にいる鈴、その意味する所を察したのだろう。目の端にうるっと涙を浮かべると、理華は口をへの字に曲げた。

「ママが放したー! 持つって言ったのに放したぁ―!!」
「い、いや、放さないと意味無いだろ。それに最初はってちゃんと言っただろ」
「だったら、放した時に言ってよぉー! 理華、ずっとママが持ってると思ってたのにぃー!!」
「いや、放したって言ったら、その時点で倒れそうだったし……」
「うっさい言い訳すんなボケー! アホー! 嘘吐きー!」
「お前な! 母親になんて口聞いとるんじゃボケー! それでもあたしの娘か!」
「いやいやいや、口の悪さは間違いなく母親譲りなんじゃない?」
「そういう意味じゃなくて、ガッツの無さを言ってるんだ!」

 ふかー!と何故か僕が威嚇された。しまった。藪蛇だったか。時に自分のツッコミ属性が恨めしい。

「子供と同じレベルで話ができる鈴は凄いよ。けど、時には親として全てを受け入れた上で、導かないとダメなんじゃない?」
「ん? うーむ、なるほどな。そうかもしれん」

 微妙に貶してんだか誉めてんだか分からない発言だったけど、鈴はそれで納得したらしい。鈴は何やら腕を組んで悩んだ後、ポンっと手を打った。

「――理華、人はこうやって他人を疑うことを覚えていくんだぞ」
「いやいや、そういう導き方はちょっとやめて欲しいんだけど……」

 せめて、獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすとか、そういうこと言って欲しかった。

「もういい! ママなんか嫌い! パパに教えてもらうもん!」

 プリプリとふくれっ面で土を払うと、倒れた自転車を起こして、僕の方へやって来る。傍まで来るとスタンドを立てて、僕の腰元に抱きつく。

「何ぃ!? ちょっと失敗しただけで、もう鞍替えか! 色々納得できんぞ!」
「だって、ママ教えるの下手だもん。パパなら、もっと優しく教えてくれるでしょ? ね、パパ?」

 何とも頷きにくい同意を求めてくるなぁ。しかし、理華の言も一理ある。鈴は性格は不器用ながらも運動系に限っては所謂、天才型で学ぶ気になれば、割と何でもそつなくこなす。そういうセンスのある人間は、逆にできない人間に教えるのが往々にして下手だ。できない、ということが理解できないせいだろう。……まぁ、鈴の場合、理解できても、教えるの下手そうなんだけどね。

「まぁまぁ、鈴もそんな怒らなくったっても。理華のことなんだから、理華のしたいようにさせてあげるが一番いいんじゃない?」

 腰元を握り締める理華の手を包み込みながら、擁護する。それほど大きいわけでもない僕の手でも、十分包み込めるような小さい手だった。若干、庇うように理華を後ろに隠すようになってしまったのは致し方がない。今の鈴はちょっと理華には恐いだろうし。

「……おい、理樹。お前、何かやけに嬉しそうだな」
「え、そりゃ娘に好かれて嬉しくない父親なんていないでしょ?」
「いや、そーゆー笑い方じゃないな。何かこう、ざまーみろって感じの嫌な笑い方だ」
「ハハ、そんなことないって。やだなー、変な言い掛かりしないで欲しいよね〜?」
「ね〜?」

 理華は僕と同じように首を傾げた。ホント可愛いなぁ。地上に舞い降りた天使だよ、この子は。

「何だお前ら! 仲良しなのはいいが、あたしも混ぜろやコラー!」
「キャー! ママ恐ーい!」
「恐い恐ーい! ほら、理華。アッチで練習しよ、アッチ!」

 ふざけ半分に騒ぎながら、鈴から離れて、再び僕たちは練習を再開した。
 鈴の失敗は初っ端から手を放したことだ。もっと補助輪無しで進むという感覚に慣れてから放せば、理華の愛を失わずに済んだに違いない。僕は同じ轍を踏まぬよう、駐車場の端から端までを三往復ほど僕が後ろを持ったまま慣れさせた。

「じゃ、そろそろ、一人でやってみようか? 最初は持ってあげるけどね」
「うーん、ホントにあたし一人で大丈夫かなぁ?」
「大丈夫大丈夫、理華ならすぐに乗れるよ。パパが保障する」
「えー、ホントかなぁ? 不安だなぁ……」

 で、結果どうなったかっていうと。

 ガッシャン!

 また倒れた。

「所詮、人間など信用ならぬ生き物よ……」

 いきなり娘が倒れた姿勢のまま、そんなことをのたまった。多分、アニメの悪役か何かが言ってたセリフだろう。ウチの娘に限って、悪魔がとり付いたとか実は腹黒だとかそんなのありえない。

「まぁ、何だ。くちゃくちゃ無様な結果に終わったが、理樹。お前にしては良く頑張ったとあたしは思う」

 慰められてるはずなのに何か無性に腹が立つ。ぶんなぐっちゃうぞ♪ このあま〜☆ と、ちょっとムカっときたけど、僕はほがらかに微笑み返すことに成功した。



 父と母、両方の信頼を失くし、また上手くいかないことにすっかり不貞腐れてしまった理華は僕たちから離れた車輪止めに座っていた。さて、どうしたものかと思っていたら、鈴が「お前何か言ってやれ。父親だろ」と背中を押してきた。いやぁ、こういう時に限って、出番を譲ってくれるなんて、僕の奥さんはなんて心優しいんだろ。逆らうと、今日の食事が危ぶまれるので、僕は理華の傍へ赴いた。
 僕が近づくと、理華は木の実をくわえたリスのようにほっぺたを膨らませたまま、プイっとあらぬ方へ体ごと向いた。割り込むように理華と同じ車輪止めに座る。少々狭いが、文句はないので、そのまま語りかける。

「ねぇ、理華。ちょっと話があるんだけど」
「……」
「人の話を聞く時は、相手の目を見ろって、ママに言われなかった?」
「……」

 我が家のお姫様は、思った以上にご機嫌斜めでいらっしゃいます。不貞腐れても可愛さは全く損なわれていない。ちょっとした悪戯心がむくりと鎌首をもたげる。トントンと指先で理華の肩を叩く。二度三度と理華が振り向くまで続けた。根負けした理華がついに振り向く。

 ポヒュっ

 人差し指が理華の頬に刺さり、膨らんだ頬から空気が漏れた。

「あはは、引っ掛かった引っ掛かった!」
「……」

 その後、ゴガっと重々しい音が鳴った。理華のミドルキックが僕の顎を捉えた音だった。あまりの痛さに思わず可愛い奥さんの元に駆け寄る。

「蹴られた。すごく痛かった。ミドルキックって中年のメタボな腹を蹴るから、そう名付けられたんだ。つまり、ダブルミーイングだったんだよ!と哲学的に考えさせられるぐらい痛かった」
「知るか。自業自得だ。もっかい行ってこい」

 ゲシリと尻を蹴られ、突撃を再度命令される。もし、鈴が世の一般的な男性と結婚していたら、その人を尻に轢いたに違いない。幸い、僕は性格が非常にお淑やかなので、尻を蹴られる程度済んでいる。どっちが幸せか言うまでもない。勿論、僕だ。鈴に尻を蹴られることで便秘が解消がされるからだ。んなわけないよ、バーカ。……ごめん、家族に冷たくされて、ちょっとヤサぐれた。これからは強く生きる。もしくは浮気する。
 佳奈多さん、近くに住んでるけどまだ独身だったよねとか思いつつ、僕はもう一度、理華の元へ赴いた。

「ごめんね、理華。さっきのはパパが悪かったよ。でも、理華に伝えたいことがあるんだ。聞いて欲しい」

 言ってから、まるでライブで歌手が次の曲を紹介するようだなと思った。

「理華もママとキャッチボールしたことあるでしょ?」

 こういう部分でも鈴は父親ポジションを華麗に攫っていく。男の子が生まれたら、譲るというけど、家族旅行でレンタルカー借りた時もナルコレプシーの既往歴を理由に運転席を強奪した鈴が、果たしてホントに守るかどうか怪しい所だ。思い出したら、何かまたちょっと腹立ってきた。やっぱりここは、佳奈多さんとイラブるしかないかもしれない。ちなみにイラブるってのは、イチャイチャラブラブするの略称だ。僕が決めた。今年の直枝家流行語大賞はこれで取る。取れなかったら、もっと強く生きる。もしくは浮気する。

「キャッチボール? うん、あるよ?」
「今じゃ、ママも理華の所に優しく放り投げるなんて器用な真似ができてるけど、昔は酷かったもんだよ。猿が投げた方がまだ上手く投げるんじゃないのってぐらい下手っぴだったんだ。けれども、何度も練習して少しずつ上手くなっていったんだ」
「ふーん、そーなんだー」

 ハッ、しまった。何やら理華が鈴を尊敬の眼差しで見ている。下がった僕の株を上げるつもりが、鈴の株を上げてしまった。もう不必要なぐらい高まってんだから、ちょっと父親として落ち目な僕の株が上がってもいいじゃないか。

「ちなみに僕も高校生の頃、恭介……理華の伯父ちゃんが唐突に始めた野球のメンバー探しを頑張ったんだよ。意味不明な時期に始めたもんだから、全然集まらなくって、結局、僕が足りない人数全員揃えたんだ」
「あ、それ知ってるよ。ママが言ってた。パパは凄いって」
「え、そうなの?」

 ちょっと鈴のことを見直した。

「連れてきた人が全員女の人で、凄い女ったらしだったって」

 見直して損した。印鑑持ってこ〜い。離婚じゃ〜離婚祭りじゃ〜。これからは佳奈多さんとイラブる。もしくは浮気する。あ、意味一緒だった。
 どうしようもなく凹んでいたら、パッパーと車のクラクションが鳴った。顔を上げると駐車場手前の道路で、一台の車が止まっていた。位置的に丁度、僕たちが進行の邪魔をしているとも取れる。今日、クリニックが休みだということ知らないで来た患者さんなのだろうか。わざわざ言いに行くのも面倒だけど、今日の駐車場は理華の自転車練習のためにある。お引き取り願うべく、腰を上げた。

「あ、そうだ。理華、座る時は足閉じないとダメだよ。正面からだと、パンツ見えちゃうからね」

 忠告すると慌てて、膝を閉じた。「むーっ」と唸りながら、気付いてたんなら早く言えとばかりに睨まれるけど、別に見てたわけじゃないし、気づいたのはついさっきだ。理華は可愛らしい少女なので、色々と心配だ。疚しい変態ロリータが今も何所かで虎視眈眈と狙っているかもしれない。
 パワーウインドウが下がり、運転手がそこをひじ掛けにして顔を覗かせる。

「よぉ、お前らこんな所で何やってるんだ?」

 あ、変態ロリータ……じゃなくって、運転手は僕の義理の兄となった棗恭介だった。



 事情を説明すると恭介は「ちょっと待ってな」と一言残して去っていった。再び現れて、駐車場に車を止めると、降りてくる。その手には錆付いた工具箱のようなものが握られていた。

「何だ。理華の自転車にジェットエンジンでも付けるのか?」
「付ける付けられない云々の前に付ける意味が分からんな。これは理華が自転車に乗れるようになるための工夫さ」
「恭介伯父ちゃん、何するの?」
「まぁ、任せときなって。伯父ちゃんが理華を自転車乗れるようにしてやっから」

 いつもの子供っぽい笑みを浮かべながら、理華の頭をポンポンと叩くと、くすぐったそうに目を細めた。未だ未婚のロリコンめ、人の娘に気安く触るな。理華の伯父じゃなかったら、その場でドロップキックの刑に処している所だ。
 一体何をするのかと見守っていると、恭介はペダルを外し、サドルを少し下げた。これが恭介の言う所の工夫らしい。

「よし、理華。ちょっと、これで乗ってみな」
「でも、これペダルないよ? 伯父ちゃん?」
「あぁ、だから、地面を蹴って進むんだ。三輪車に乗ってた時はそんな風に乗ってたじゃないか」
「あたし、そんな子供じゃないもん!」
「ハハ、伯父ちゃんから見たら、理華なんてまだまだ子供さ。ま、ともあれ、足がすぐに着けられるんだ。恐いことなんて何もないだろ?」

 実際、それで乗ってみると大して怖がってるようには見えなかった。最初は同じようにフラついていたけど、恭介が「もっと強く蹴れ!」と呼びかけると勇気を出して、アスファルトを蹴り、勢いをつけた。すると、何かしらコツを掴んだのか、スイスイと進み始めた。いつものように補助輪がつけたまま走ってるのと相違ない姿だった。

「一番大切なのはスピードが出れば、安定するってことを体験的に理解することさ」

 そう言った恭介はまるで種明かしをするマジシャンのようだった。一往復して帰って来た理華も何だか興奮気味だった。

「見てた、ねぇ、見てた!? 今、あたし、自転車に乗ってたよ!」
「あぁ、見てた見てた。じゃ、今度は外したペダル戻して乗ってみよう」
「えー、ペダルついたらまた乗れなくなっちゃうよ……」
「大丈夫だ。理華ならすぐに乗れる。伯父ちゃんが言うんだから間違いない」
「うん、そうだよね!」

 あれー? 僕ん時と似たような会話なのに、何か反応が違うぞー? 騙されちゃいけないぞ、理華。そいつの正体はただの変態ロリータなんだ。長年、一緒にいる僕が言うんだ。間違いない。

「ふん、調子に乗ってるがまた失敗するに違いない。何故なら恭介だからだ」
「いや、全くそうだね。恭介だもんね」

 いつの間にか、蚊帳の外としてしまった僕と鈴は肩を揃えてそんなことを言っていた。現実を考えれば、成功しそうだなという考えが脳裏を過ぎらないでもないけど、やはり、成功するわけがないと結論する。何故なら、おかしいからだ。理華の両親である僕たちがカカシのように突っ立っているというのに、その伯父が自転車の練習に付き合い、乗せることに成功するなんてこと――。

「やったー! 見て見てー! 理華、自転車に乗ってるよー!」

 ひぃぃぃ〜! 何か乗ってるぅぅぅ〜! 思いの他、あっさり成功してるぅぅぅ〜。

「乗れるとは思ってたが、こんなに早く乗れるとはな……。運動神経バツグンじゃないか」

 その運動神経バツグンの娘を指導するのに四苦八苦してた両親は何なんだろう……。自転車の乗り方一つ満足に教えられない親に意味はあるのだろうか……。

「フッ、流石だな、馬鹿兄貴。このあたしが直々に見守ってやったとはいえ、こうもあっさり理華を自転車に乗せられるようにするとは」
「全くだね。両親である僕たちが見守っていたとはいえ、流石だよ、恭介」

 さりげなく自分の功を主張する辺り、鈴は天才だと思った。僕も便乗する。

「何か釈然としないモンがあるが、喜んどくよ。ありがとう」
「所で今日は理華が自転車に乗れるようになった記念日にしたいんだが、何か良いお菓子を持ってないか?」
「いや、持ってないが。買いに行けばいいだろ? 何なら乗せてってやるけど」
「そうか、是非そうさせて貰おう。いや、しかし、こまりちゃん家から朝帰りしてきたお前なら何か持ってると思ったんだが」

 ……空気が凍てついた。チャリンチャリーンと理華が鳴らしたであろう自転車のベルが嫌に大きく聞こえた。

「何を言ってるんだ。我が妹よ。兄はさっぱり理解できんぞ?」
「いや、さっき暇だったから、こまりちゃんとメールしてたら、そんなことを言ってたからな」
「何ぃっ、あいつ言ったのか!? お前に!?」
「いや、言ってなかったが」
「え? じゃあ……ハッ!?」

 鈴は鎌なんてかけてこない。そう思ってた時期が僕にもありました。

「へぇ、小毬さん家から朝帰りついでに姪を自転車に乗れるようにするなんて、やっぱり恭介は凄いなぁ」
「当たり前だろ、理樹。こいつはあたしの兄だぞ。こまりちゃん家から朝帰りついでに理華を自転車に乗れるようにするなんて、朝飯前だ」
「あはは、朝飯前に小毬さんも食べてたりして?」
「そんなオヤジみたいなこと言ってるとホントにオヤジになるぞ。いくら、こまりちゃん家から朝帰りついでに理華を自転車に乗れるようにしたとはいえ、そんなことをする馬鹿兄貴じゃない」
「うぉぉぉぉぉー! 何だお前ら、イジメか! 兄貴イジメてそんなに楽しいか!?」

 絶叫する恭介を余所に、遠くから理華が「伯父ちゃん、ありがとねー!」と自転車に乗りながら、叫んでいた。

 今日も世界は平和である。


END



別のを見る。





 ぴえろの後書き

 第11回リトバス草SS大会、テーマ『嫉妬』にて出展させて頂きました。

 そして、何とMVPに選ばれました!ヽ(≧Д≦)ノ

 マジか! マジなのか!? 流石に他の方々の間隙を突いただけなんでしょうが、これは嬉しいなぁ。一回くらい取ってやるぜぃ、とか考えてたけど、ホントに取れるとは……。過分な名誉、ありがとうございました。
 嫉妬って聞くと刃傷沙汰も辞さないような、ドロドロしたのを想像してしまうんですが、自分そういうの苦手なんで、こういった可愛い、平和な嫉妬にしました。本気になれば、ドロドロしたのも書けそうな気がします(あくまで気がするだけです)が、何か気が乗らなかったんだろうなぁ。さりげにやってますが、自分も恭介x小毬はアリだと思ってる人です。
 ……理樹が変なのは、きっとmarlhollo氏(通称:マーさん)のせいです。拍手はこちらで受け付けますが、苦情はそちらへ寄せて下さい。(ぇ 変理樹の教祖みたいな人ですからー。あぁ、後、草の方じゃ理樹と鈴の娘が“理恵”となってますが、あれは知己の方が拙作を見た時の作者バレを防ぐためなので、こちらではsffで登場した“理華”に直しております。
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