まず、最初は恭介の……棗家乃墓をお参りする。
 恭介は鈴の親族なんだから、一番は妥当な順番だと思う。そう言えば、生きてれば“お義兄さん”と呼ぶべき間柄なんだよね。全然違和感なく呼べそうで、かえって何だか変な感じだ。境界石の内側は特にゴミや雑草などが無かったので、何もしなかった。次に桶の水を柄杓で掬い、墓石の頭から掛ける。流れ落ちる水が、棗家乃墓と彫られた窪みをつらつらとなぞって行く。

「んにゃ! んー! むー! と、届かなぃ〜……」
「いやいや、無理して頭から掛けようとしなくていいからね、理華?」

 理華は柄杓の柄ギリギリの所を右手に持ち、墓石の頭から水をかけようとしていた。左手を墓に添えて転ばないようにしているが、爪先立って背伸びしている姿を見ていると今にもすっ転ぶんじゃないかとハラハラする。しかも、残念なことに柄杓の中の水はほとんど零れ落ちてしまっているので、行為の意味が無くなっている。……しかし、よく自分に水が掛からなかったものだ。

「うーん、もう届くと思ったのになぁ……」
「理華にはまだ無理だ。来年またチャレンジだな」
「うん、そーする。マコトにイカンなことでありますっ」

 何所でそんな言葉覚えてくるんだろう?
 テレビのニュースとかかな? 我が娘ながら全く分からない。変な言葉覚えなきゃいいんだけど。理華は墓石の頭から水が掛けられるようになるかを自身の成長のバロメータにしている。他にも、自販機の一番高い所のボタンを押せるようになるという目標があったりする。以前、カルピス(つめた〜い)を飲もうとジャンプしてチャレンジしたものの、失敗してブラックコーヒー(あたたか〜い)が出てきた。僕が買った100%アップルジュースと交換しようかと申し出たものの、「こ、これが飲みたかったんだもんっ」と意地を張って飲んで以来、理華は大のコーヒー嫌いになった。コーヒー=熱くて苦いもの+失敗の象徴=イヤな飲み物という図式が出来てしまったらしい。軽くトラウマ。
 しかしまぁ、自販機と同レベルの物差し代わりにされちゃ、恭介もいい迷惑だろうなぁ。
 ……それとも、笑って許しているだろうか。

 今度は花立ての花を抜き取り、中の水を捨て、新しい水と入れ換える。本当は花も換えるのが当然なんだけど……多分、数時間前にお義父さんとお義母さんが換えたばかりなんだろう。摘みたてのように瑞々しかったので、僕たちが買ってきた花を付け加えて、差し直した。紫のアリウム、藍色のカキツバタ、黄のグラジオラス。全部、六月の花だ。色合いが随分騒がしくなってしまった気がするけど、皆にはこれぐらい騒がしい色の方が合ってる気がした。四十九日なら、白系統の花で統一するのが作法だけど、十三回忌を迎えた皆には関係のないことだ。

 線香に火をつけ、二人にも分ける。香立ての中にそれぞれ入れると、合掌して目を瞑った。
 理華も同じように続いた。初めてここに連れてきた時は、まだ赤ん坊の時だったから、違うな。幼稚園に入った頃ぐらいのことだったろうか。あの時はきょとんと、僕たちの様子を窺っていた。まぁ、三歳四歳の子供なんだから当然なんだけど。気づいた鈴がやり方を教えて以来、言われなくてもできるようになった。これらの行為に何の意味があるのか、何故するのか、それはこれから知って行くことだ。命の大切さとそれを守る尊さと共に。その頃ぐらいになったら、恭介たちのことをもっと詳しく教えて上げようか。そして、自分の伯父がどれだけ誇れる人か……分かってくれたら、嬉しく思う。
 さて、何を報告しようかな。……ごめん、恭介。月並みなことしか思いつかないや。


僕らは元気にやってるよ。

全部、恭介のおかげだ。

あれからも……色々あったけどね。





Song for friends
〜黄昏に物思う時〜
Part A

written by ぴえろ




 退院した時、バス事故が起こった現実への認識はまだ甘かったと認めざるを得なかった。
 よくドラマなんかで病院の玄関口で、看護師や医者、同室だった入院患者に見送られるシーンとかがあるけど、まさか僕がそのシーンを演じることになるとは思ってもみなかった。でも、僕はわざわざ反骨的な態度を取るような捻くれ者じゃなかった。一週間だけど、間違いなく彼らは僕を看てくれていたのだから、感謝している。……ちょっと入院費が高く付いたなとは思ったけど、その感謝に嘘偽りはない。僕は素直に花束を受け取って、頭を下げて礼を言った。拍手がした。病院関係者と鈴と恭介のお父さん……恭一さんのものだった。二人は今日、わざわざこのためだけに来てくれたのだ。
 僕たちは病院関係者の人たちに見送られながら、駐車場へ向かった。――その時だった。

「直枝くん、退院おめでとうございます! 今の気分どうですか?」
「亡くなったクラスメートたちに何か伝えたいことはありますか?」
「全国から励ましのお手紙が届いていますが、それについてどう思いますか?」

 どこから現れたのか、彼ら……マスコミはあっと言う間に僕たちを取り囲んだ。浴びせられる質問の数々に僕は完全に戸惑ってしまって、「え? え?」と言葉を漏らすだけだった。

「理樹! こっちだ!」
「すみません、彼はまだ事故のショックから立ち直れておりませんので、質問はご遠慮ください」

 右腕を強い力で引かれた。鈴だった。
 恭一さんがマスコミを押し退けて作った道を、僕は鈴に引っ張られながら走った。それは記憶中枢を刺激する光景で……僕の中にある古くて懐かしい記憶が一瞬蘇った。一番辛かったあの日、恭介が僕の手を引いて連れ出してくれた日のことだった。僅かな郷愁感を抱きながら、駐車場まで走る。恭一さんの車に乗ってもまだマスコミはひっついてきた。恭一さんが轢かないように、クラクションを鳴らしながらゆっくり前進し始めて、ようやく彼らは諦めた。

「何だったんですか……」
「見ての通り、マスコミさ」
「それは分かりますけど……」

 バス事故は一週間も前の話だ。それでもまだ記憶に新しい方だが、ニュースとしての鮮度はもう殆どないだろう。彼らの執拗さに少し納得できなかった。

「君はもう少し自分の立場っていうものを理解した方がいいな。いいかい、直枝君? 君はあのバス事故における奇跡の生還者の内の一人なんだよ? 奴らが一番コメント欲しい人間は間違いなく君と鈴だ。しかし、今までは片や病院で静養中、片や校内で治外法権。両方とも、手が出せずじまいだった。が、それが今日出てくる。全く、何所から聞きつけてきたんだか、分からんがな。一週間も経っているから、もう大丈夫だろうと高を括っていたが、念のため来ておいて良かったな。退院おめでとうございますと言って舌の根も乾かぬ内に、今の気分はどうですかと言ってくるような無神経どもさ。それなりのことを言っておけば、奴らは勝手に満足するのさ」

 そう言って、恭一さんはルームミラー越しにマスコミたちを蔑視する。
 確かに今、こんな暢気な会話ができるのは車に乗っているからだ。もし、歩いて寮まで帰ろうとしていたら、その間ずっとマスコミに付き纏われていたかもしれないわけで……想像するだけで、煩わしさに眉間に皺が寄った。そして、同時に気づく。

「鈴は今まで大丈夫だったの?」

 鈴は今まで何度となく病院に足を運んできている。その時、マスコミに付き纏われたことはないのだろうか?

「大丈夫だった。ネコイヌ連合軍がボディーガードについてたからな」
「ネコイヌ連合軍?」
「あたしのネコたちとヴェルカだ。最強のボディーガード集団だったぞ」
「って、え? ヴェルカ、まだ日本にいるの?」

 ヴェルカとストレルカ、この二匹の犬は元々、クドの犬だ。正確にはクドのおじいさんの犬だから、クドがもういない以上、日本にまだいると考える方が不自然な気がした。てっきり、僕は二匹ともクドのおじいさんと一緒に帰国したものだと思っていた。

「うん、まだいるぞ。何かよー分からんが、風紀委員が貸してくれる言うから借りた」
「ストレルカは?」
「ん? そう言えば、ストレルカは最近見てないな」
「……もしかすると、国に帰っちゃったんじゃないかな」
「何ぃっ、そうだったのか……別れの挨拶も何もしてない」
「しなかったんじゃないかな。辛くなるだけだからって」

 話からするにヴェルカは日本に、ストレルカは帰国したようだ。
 それは……小毬さんのお父さんがしていたような、形見分けなのかも知れない。

「さて、葬儀も終わったし、直枝君の退院も済んだし、これで私にできることはもう殆どないな」
「……すみません」
「ん? 何がだい?」
「その、恭介の葬式に出られなくて……」

 僕が病院で静養している一週間の間に皆の葬儀は終わっていた。
 仮通夜は事故の翌日、現地で行われたけど、そんな十派一絡げな送り方で満足できる家族なんていやしない。多分、全ての家族が改めて、通夜を行なったんじゃないかと思う。鈴は皆の――といってもスケジュール的にクラスメート全員は無理だったから、リトルバスターズの皆の分だけだけど――告別式に全て出ていた。親族である恭介に限っては、通夜の番として、夜明けまで灯明や線香の火を絶やさないようにしていたらしい。無論、僕もできるなら鈴に付き合いたかったけど、体が動かないんじゃどうしようもなかった。

「フッ、気にすることはないさ。あぁ、そうだ。それでもマスコミ連中には気を付けておいた方がいい。連中もそう暇じゃないし、その内、ほとぼりも冷めるだろうが、しばらくの間は注意することだ。鈴に対する単独取材だなんだと学校に申込みの電話がかかってきたことがあったそうだが、無理して引き受ける必要もない。……直枝君自身、何か世間に言いたいことがあるのなら別だが」

 助手席に座っていた僕は恭一さんの横顔を盗み見た。
 僕だって馬鹿じゃない。僕たちが病院内で静かに暮せていたのはこの人のおかげであることぐらい、この時には気付いていた。それでも遅いぐらいだ。生還者である僕たちの言葉が聞けないなら、次にマスコミはどこに向かう? そうだ。恭一さんだ。息子を失うという不幸と、娘が助かるという幸運。双方を体験しているこの人は、僕たちに次いで格好の話題になる人だ。この人がマスコミの相手をしてくれていたからこそ、僕たちへの追及も弱かったんだ。そこまで想像がつくと、恭一さんのマスコミに対する憎々しげな視線にも合点がいった。

「ありがとう……ございます」

 それらを含めて、僕は礼を述べた。僕の真意を察してか、恭一さんはフッと小さく微笑んだ。

「だから、気にすることはないって言ってるだろう? 君が私たちにしてくれたことに比べればな。このぐらいのことはさせてくれ」

 まるで何事もないように言う恭一さんの横顔を見て、僕は思う。

 ――僕は……まだ守られている側なんだな。

 それは仕方がないことだ。人は強くなろうと思っても、急には強くなれない生き物だ。
 まだ守ってもらう必要がある。頭では分かっていたが、心に湧く悔しさは払拭できなかった。
 早く大人になりたい。なるべく早く。今の僕じゃ……まだ鈴を守れきれそうにないから。

◆  ◆  ◆

 僕たちを校門前まで送ると恭一さんは仕事に戻った。
 今日が偶然、休みだったわけじゃない。昼休みの時間をわざわざ僕たちの見送りのために割いてくれたんだ。戻ってきて、僕と鈴はまず校長室へ向かった。あらかじめ、退院したら、そこへ向かうよう言われていた。校長室には三人の先生がいた。校長先生と教頭先生と……新しい担任の先生。バス一台が事故に遭ったということは、一クラス丸ごと事故に遭ったということだ。あの事故で亡くなった人の中には僕たちの担任も含まれていた。
 挨拶やお悔やみの言葉、そういった礼儀上の義務を果たすと本題に入った。やはり、僕は新しいクラスに入ることになるそうだ。鈴と一緒のクラスだったのは、学校側の配慮だろう。他に寮の話もあった。僕の部屋をそのまま使うか、別の部屋にするかというものだ。わざわざ移るために荷物をまとめるのも面倒だったから、僕はそのままの部屋を使うことを選んだ。

「これから大変だろうが、頑張ってくれ」

 と校長先生はそう言ったが、それは自分に言い聞かせてるようにも見えた。
 校長先生は今回の事件で、人生初めての記者会見を行なった。厳しい追及の声は主に交通会社に向けられていたが、生徒の身命を預かる学校の長が何の会見もしないわけにはいかなかった。僕は見てないけど、さぞかし、緊張したことだろう。全校生徒に対して行う朝礼とは格が違う。
 それに心残りはそれだけじゃない。
 今回のことで、来年の入学志望者はグンと減るだろう。学校に責がなかろうと関係ない。人は危険な場所には本能的に近寄りたがらないものだからだ。これは私立高校としては相当の痛手だ。加えて、まだ事後処理の方もまだ終わって無い。例えば、カウンセラーの件だ。今回の事故で何人もの友人を一度に失くし、強いショックを受けた生徒も少なくはない。鈴から聞いた所、これに対して、県の教育委員会でスクールカウンセラーが数名派遣されることが決まったらしい。
 進学校としては一刻も早く、生徒が受験に臨める環境になるよう腐心しなくてはならない。
 学校側がやるべきことは恐ろしいほど山積していた。


 でも、僕はそれほど同情はしなかった。
 同僚が一人死んでショックには違いないが、大人なんだから、放っておいても自己解決するだろう。
 ……いや、それも真実じゃない。正しくは先生達なんてどうでも良かったんだ。――鈴に比べれば。


 雑務を済ませた後、僕と鈴は昼食を取りに学食へ向かった。
 授業は五時間目から参加するつもりだった。一応、授業そのものは事故の翌日からもやっていたが、生徒はおろか先生までも無気力で、大して進んでいないらしい。
 学食に入る。相変わらず、すし詰め状態だった。朝と夜は寮生だけが使用することが多いが、昼は自宅通いの生徒も混じるのでその数は数倍に跳ね上がる。おそらく、事故当日は静謐とも陰気とも取れる重苦しい雰囲気が漂っていたんだろう。けれども、一週間も経つと全体的には立ち直っている者の割合の方が多くなり、学食はいつもの喧噪を取り戻していた。そんな中で、僕たちは空白の一点を見つける。
 ――僕たち五人の指定席は相変わらず空いていた。
 もう座る者などほとんど欠けてしまっているというのに。それでも、空いてたんだ。だから……僕と鈴はそこに座るしかない。座らなければならないと周囲から無言の圧力が加わっているようだった。確かに彼らにしてみても、指定席に座る者がいなくなったからといって、はいそうですかと座れるものではない。むしろ、そこは皆が生きていた頃以上の独占力を発揮して、更に座り辛くなっているに違いなかった。……まるで呪いのように。

「いつもここで食べてたんだ……」

 指定席に隣り合うように座って、数分後。喧噪にかき消されそうなほど小さな声で鈴が呟いた。

「この一週間、皆優しかった。あたしが列に並ぼうすると前に入れてくれて、並んでる奴らも一人分遅れるのにを誰も文句を言わないんだ。頼んでもいないのに、学食のおばちゃんが毎日カップゼリーのおまけをつけてくれるんだ。嬉しいはずなのに全然嬉しくなかった」

 鈴が俯く。前髪に隠れて、表情が見えなくなる。

「だって、ここに座るとあたしは独りぼっちだって気づくんだ。きょーすけも、真人も、謙吾もいなくて、理樹も病院にいて、ここにいなくて……こまりちゃんも、はるかも、クドも、くるがやも、みおも誰も話しかけてこなくて……あたしは独りぼっちだって気づくんだ」

 隣でヒッと息を飲む音が聞こえた。

「食事の度に気付くんだ。何度も何度も気付かされるんだ。――皆とは、もう……お喋りしながら食べられないんだって……」

 ヒッヒッと幼い子供のようにひきつけを起こし、ポロポロと涙を零していた。
 僕は奇妙な昂揚感に包まれた。鈴も僕と同じ痛みを感じていたんだと、それを知った時、僕の心の中に憐れみと愛しさが湧いた。それは大事な人をこれまで以上にもっと大事にしようという気持ちだ。僕は居た堪れなくなって、隣にいる少女を……鈴を無性に抱きしめたくなった。けど、衆目のせいで、できるのは手を握ることぐらいだった。気恥しさも何もなく、そうできたことに僕自身が驚いた。

「今まで独りにしてごめんね。これからは僕がいるから……ずっと鈴の傍にいるから」
「当たり前じゃボケぇ……いなくなったら、追っかけ回すぞボケぇ……」

 そして、僕たちは指を絡ませ合った。二度と離れないように固く。

◆  ◆  ◆

 五時間目に使う教科書とノートを取ってくるため、僕は一旦自室に戻った。
 入った瞬間、違和感があった。その違和感は即座に見当がついた。――真人の荷物が一切合財無くなっていた。僕は西園さんのお母さんが言っていたことを思い出した。ルームメイトと親の心情を考慮して、数日前に遺品の整理が行われたのだと彼女は言っていた。部屋が急に広くなったような気がした。二人部屋を一人で使ってるんだから当然なんだけど……心情的には三人部屋か四人部屋にでもなったようだった。真人はそれだけ大きかったし、筋トレグッズに場所を占拠されていたということなんだろう。

 授業を受け、放課後になり、夕食を食べ、部屋に戻る。
 鈴はできる限り、僕の部屋にいようとしていた。僕もまた鈴の傍にいたかった。何もしていないよりは……という低次元な理由から、とりあえず、鈴に今までの授業の分を教わった。意外にも鈴はしっかりノートを取っていたし、授業も聞いていた。

「後で理樹が困ると思ったから、頑張ってみた」

 そう言われて、嬉しかった。たとえ傍にいなくても、鈴は僕のことを想ってくれていた。
 授業の進み具合も分かり、ノートも写し終えるとまた何もすることがなくなる。僕も鈴もそんなに話が上手いわけじゃない。やがて、話題は尽きて……奇妙な沈黙が舞い降りた。
 部屋は酷く静かなのに、僕の心は落ち着くことを知らなかった。
 心の通い合う男女が一つの部屋にいると妙な気分になってくるものだと悟った。思春期特有の気分なのかは分からないけど、僕は幼馴染が傍にいる安心感と異性と同室にいる緊張感を同時に味わうことになった。基本的には安心するんだけど、鈴が女性なんだということを意識した瞬間……例えば、隣に座って勉強を教えてもらっている時、頭一つ分ぐらい違うことに気づいたりだとか、髪から僕が使ってるシャンプーとは違う香りが漂ってきたりだとか、そんな瞬間が訪れる度に、僕の心は糸の上のヤジロベーのようにグラついた。触れ合う肩から心臓の高鳴りが伝わるんじゃないかと、無用の心配までしてしまった。
 どうするべきなのか、全く分からず、僕はただ漫然と時を過ごした。

「帰る。そろそろ風紀委員が女子寮見回る時間だからな」

 鈴が突然立ち上がった。

「え……あ、うん、気を付けてね」
「うっさい! 死ねボケー!」

 暴言を残して、鈴は強風を巻き起こしながら、扉を閉めた。
 鈴が怒った理由は何となしに気付いてはいたけど……僕はどうするべきだったんだろう? 若さに任せて、鈴を僕のモノにしてしまえばよかったのだろうか。でも、それは違う気がした。確かに早く大人になりたいと僕は願った。けど、それは断じて安っぽい意味でなんかじゃない。

 もっと尊い意味で……僕は“大人”になりたいんだ。

 その夜、僕はベッドに寝転びながら、思考の海を漂っていた。
 天井が近い。当たり前だ。病院のベッドと違って、このベッドは二段ベッドで……僕は下の方を使ってるんだから。あぁ、でも、これじゃ天井じゃなくて、上のベッドの底が近いって言った方が正確だ。木目が歪んだ人の顔に見えてくる。ムンクの叫びみたいだ。こういう風に見えるってことは僕の精神状態もあんまり宜しくないってことなんだろう。
 ぼぅっとしていると男子寮の生徒なら、誰でも持っている思い出が蘇ってきた。ルームメイト同士で二段ベッドの上下どちらを使うか決めるという……些細な思い出だ。

 ――おい、理樹。上はお前が使え、下はオレが使うからよ。
 ――え? 勝手に決めないでよ。僕も下が良いんだけど?
 ――いやな。オレもこの部屋がもちっと広けりゃ、それでも構わねぇんだけどよ。
    もし、オレが上を使ったとしたらだ。っと、実際にやった方が分かりやすいな。よっこらしょっと。
    で、だ。オレが上だと毎朝起きて、背伸びする度に……ほれ、天井殴ることになるんだぜ?
 ――うわっ、ホントだ。高一なのに既にデカ過ぎるよ、真人。
 ――へっ、ありがとよ。
 ――いや、誉めてないよ。う〜ん、でも、これじゃ僕が上使うしかないかなぁ。ん? ちょっと待って。
    それだと今度は僕が毎朝、真人が起きる度に、下から突き上げられることにならない?
 ――ハハっ、何言ってんだ! オレが理樹より早起きするとでも思ってんのかよぅ!
    オレが遅刻しないように頼むぜ、理樹! オレの出席日数はお前の手に委ねられた!
 ――えーっ、それって毎朝を起こせってこと!? 出席日数とか、そんな大事なこと委ねないでよ!
    っていうか、もっとよく考えたら、上なら天井、下ならベッドの底が破壊されるじゃないか!
 ――あっ、そうか! オレ、ベッド使えねぇのかよ! ちくしょう、オレだけ外でサバイバーかよ。
    分かったよ。今日から、雨の日も風の日も外でサバイバーするよ。
    でも、夜寝る前には忘れず、「お休みサバイバー」って声かけてくれよな……。
 ――いやいやいや、寮生なのにサバイバーとか意味不明だから。



不意に胸が詰まった。



嗚呼、どうして、この部屋を出ていかなかったんだろう。

変じゃないか。

真人のイビキと歯軋りが聞こえないなんて、変じゃないか!

聞きなれた雑音が聞こえないとかえって、寝付けないよ……。



目の裏がジンと熱を持ち始めているのが分かった。

何だ。まだ泣くのか、僕は。

こんな弱さを抱えていて、鈴を守っていけるのだろうか。



何度か堪えようと努力してみたけど、無理みたいだった。

抑え付ける努力を放棄して、僕は溢れそうなものを溢れるがままにした。

涙、鼻水、嗚咽。



垂れ流しながら、思った。

これらは、心の傷から出る膿のようなものなんじゃないのだろうか。

だとしたら……膿は出さないと、治りが悪くなる。

だから、僕はそうしてしばらくの間、泣き続けた。



ふと、窓の方へと目をやる。

カーテンの隙間から、柔らかな月の光が射し込んでいた。



To be continued...

Part3へ続く(未)。   別のを見る。   トップに戻る。

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 ぴえろの後書き

 ふぅ、一時はスクラップHTMLになるという事態になりましたが、再完成しました。つ、疲れました。例えるなら、一度書いた夏休みの読書感想文をもう一度思い出しながら書く感じ。内容は大して変わらないけど、何か違う?って感じです。大きく出遅れてしまったなぁ。読んでくれてる方を待たせて申し訳ないです。ただでさえ遅筆なのにトラブルとかマジで勘弁してほしいです。しかも、思ったより進まねぇ! まだまだ書きたいシーンとかあるのに! でも、こういうシーンは抜かしちゃダメだろとか思う人なので。もちっと長くなりますが、どうかお付き合いをば。と言いますか、あれですね。これもう中編じゃない(ぉぃ 後でリトバスSSリンクの訂正しておきます。

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