「と、止まるなぁっ! 進めぇぇぇっ!」

 座席を降り、運転手のオッサンを包丁で脅迫する坊主。
 それを見聞きしても、俺を除く乗客全員は呆然としていた。……というか、頭の整理ができてねぇみてぇだ。
 誰が見ても、バスジャックだ。俺たちの乗る高速バスはたった今、バスジャックされた。
 全員、それぐらい分からねぇ程馬鹿じゃねぇ。だが、余りにも現実感の無い現実だ。
 誰もが最も近しい者――家族や恋人に事の是非を聞き回り、車内がザワザワと騒がしくなってきやがった。
 まぁ、気持ちは分からなくもねぇ。自分の乗るバスが事件に巻き込まれると想定して、旅行に出かける奴なんていねぇ。
 もし居たら、そいつは間違いなく、アホに違いねぇしな。

「ほら、やっぱバスジャックされたじゃないかっ! だから、武器として僕のエアガン持って来た方が良いって言ったのに!!」
「お前の場合は、ただ単にそれで遊びたかっただけだろがっ!」

  ゴズッ!!

「うげっ! 三度もブッた! 酷いや、親父にもブタれたことないのにぃ〜」
「馬鹿野郎っ! それは赤の他人にブタれた時に使えって言っただろっ!」

 あ、ヤベェ。あのスーパーアホな若造の息子も負けず劣らずのアホだ。
 これからは、あのガキのことはJr.アホと呼称しよう。

「な、何なんだ、これは? これはドラマの撮影か何かじゃないのかね、君?」

 乗客の一人、中年男性が坊主に問いかける。
 オッサンもきっと本心では分かってはいるんだろう。ただ信じられねぇんだ。
 だから、戸惑いながら、冗談であることを望んで、馬鹿な問いかけをしている。

「う、うるさいっ! うるさいうるさいうるさいうるさいうるさぁぁぁぁいっ!!!
 僕は本気だっ! たった今から、このバスは僕の言うことを聞いて貰う!
 あなたたちのバスはバスジャックされたんだ! これは演習でもドラマ撮影でもないっ!!」

 包丁をめちゃくちゃに振り回しながら、坊主が叫ぶ。
 目の下の濃いクマと少し充血し目で、荒い息を吐く顔はかなり迫力がある。
 最後はまるで軍曹のような一言だが、坊主の鬼気迫る物言いにツッコミを忘れちまった。

「い、いや、しかし、こんな馬鹿な――」
「僕は馬鹿じゃないっ! 本気だって言ってるだろっ!?」

  ブンッ!

 坊主は叫んで、横殴りに包丁を振るう。
 カインッと鉄製の支柱と包丁がぶつかり、甲高い悲鳴が上がった。

 ………………
 …………
 ……

 一瞬だけ、水を打ったような静寂が舞い降りる。
 他の連中が事態をマジで理解するまでの間だった。

「「「「うわぁああぁぁあぁぁーっ!!」」」

 そして、バスの車内は阿鼻叫喚に包まれた。ようやくのこと、事態の急変さを理解したらしいな。
 良しっ! 敢えて、もう一度繰り返してやろう!



 ――俺たちの乗る高速バスはたった今、バスジャックされたぜ!



 ってこれじゃ、まるで俺がハプニングを楽しんでるみてぇじゃねぇか!
 ……実際、楽しんでるか楽しんでねぇか、どっちだって訊かれると楽しんでるがな。




とあるパン屋とバスジャック少年

第三話

「The frist servise area」

written by ぴえろ




「(さて、これからどうすっかな……)」

 腕を組み、俺は考えた。
 俺たち乗客全員はバスの後ろの方に詰められていた。思わぬ反逆に警戒してだろう。
 乗客たちも素直なモンで、後ろに下がれと坊主に言われた途端、我先にと下がっていきやがった。
 人気シートは四人座れる最後尾だ。……歌手のライブとは真逆の現象といっていいだろうぜ。
 俺様は沈着冷静だったからな。ノソノソとダルそうしてた。だから、少年に一番近いトコに座ってる。
 かっ、座席は予約指定なのによっ! 好き放題並べ替えやがって、今に見ていやがれっ!
 と、心の中でだけ言っておく。勿論、心の中だけじゃなく、実際に何かする気満々だけどな。

 だが、今は現状を把握しねぇとな。
 無鉄砲に突っ込んで、怪我するなんてアホな子がすることだ。

 前方、運転手の傍に包丁を持った坊主がいる。
 走っているバスの中を歩くのが危険であることなんざ、子供でも知っている。
 だから、坊主も常に片手で自分を支え、もう片方の手で包丁持ち、運転手に突きつけていた。
 しかし、その視線は常にこちらに向けられており、ジロジロと油断無く俺たちを監視している。
 そして、何度も包丁を持ち替え、手を服に擦り付けていた。手汗を拭っているのだろう。

 そりゃそうだ。誰だって、初めてのことは緊張する。
 俺も舞台俳優やってた頃の初舞台は緊張してんのか、興奮してんのかワケ分かんねぇ高揚感に襲われたモンだ。
 ましてや、坊主がやってることは間違いようの無い犯罪行為だ。
 失敗すりゃ、社会的制裁。法の裁きが待っている。……内心じゃ、きっと泡食ってんだろう。

「(一足飛びじゃ流石に無理だな……)」

 後ろの席に詰められた俺たちと坊主の距離はイス三、四席分は空いていた。
 いくら俺様でもこの距離じゃ、ダッと行って、バッと打ち、サッと包丁奪うことは無理だ。
 ミスターみてぇな言い方だが、まぁ、ニュアンスは伝わるだろう。
 他に情報を収集すべく、耳を澄ませば……ってか、そこまでしなくても分かるぜ。

『おいぃぃぃーっ! 止まれっつってんだろーがぁぁーっ!! 聞こえてねぇのかぁぁぁーっ!?
 日本警察舐めてんじゃねぇぞ、くおぉらぁぁーっ!!!
 てめぇ、逮捕したらブタ箱ブチ込んで、銭形警部の如く高笑いしてやるからなぁぁぁーっ!!!』

 サイレンをピーポピーポ鳴らしながら、パトカーがケツに尾いて来てるのがな。
 後、刑事のオッサンのブチ切れ具合と声がステキに野太いこともだ。
 だがな……頼むから、あんまし坊主を刺激しねぇでくれ。危険になるのは俺たちなんだぜ?
 ま、気持ちも分かる。このバス既に何度、法律を破っているか分からねぇし。
 危険な車両追い越しの連続に始まり、ETCの開閉バーをブチ壊し、市街内での赤信号無視。
 何時からか、サイレンの音が二三ダブって聞こえる。ケツに尾くパトカーの数はエライことになってるだろう。

「(かなり大ゴトになってきやがったなぁ……)」

 窓の外を見る。
 風景が半端じゃねぇ猛スピードで過ぎって行く。何となく、F1を見る感覚に近い。
 流石にF1ほど速くはねぇが、一つの物体を首振って目で追いかけても、碌に確認できねぇ。
 ま、山とかデカくて遠い奴なら、余裕で確認できるが、それも数十分となるとサヨナラだ。
 ただ、そんな中でも、間違いなく確認できる物体があった。さっきから……三十分以上前からずっとだ。
 パトカーじゃねぇぜ? 俺の位置は最後尾じゃねぇから見えねぇしな。

 ――ヘリだ。

 坊主の奴にバスジャックされてから、もうかれこれ一、二時間ぐらいは既に経っている。
 ヘリから人間が乗り出している姿が見える。

 危ねぇーな、あいつ。しかも、何か黒っぽいバズーカみたいなモン担いで……。
 はっ! まさか、カメラかっ!? 今、ライヴ中継されてんのかっ!?
 俺は身だしなみを整えて、こっそりヘリに向かって、ピースサインを作った。
 これはアピールチャンスだ! ここでちょっとでも映ってると後々、いい宣伝になるぜ!

「ねぇねぇ! あれってもしかして、この前バスジャックに乗ってた人じゃなぁ〜い?」
「あ、ホントだぁ〜! パン屋なんてしてるんだぁ〜! せっかくだから、何か買ってこっか!」
「そうねっ! あ、このレインボーなパンとか超カワイクなぁ〜い?」


 クックック、聞こえる! 聞こえるぜ!
 古河パン屋、収益アップの調……女子高生の噂話がっ!!
 さぁ、ヘリよっ! 思う存分撮りやがれっ!
 この俺を! 元舞台俳優にして自営業、古河パン屋経営者、古河秋生の町一番のオットコ前な面構えをなぁっ!
 そして、古河パン屋にうなぎ上り、右肩上がりの経済効果の祝福をぉぉぉっ!

「うぐぅっ!? 何こんな時にヘリにピースサインなんかしてるの!」
「お母さん! これはチャンスよっ! これがキッカケで、アイドルデビューの道が開けるかも!」
「む、無理だよぉ! 小学三年生がアイドルだなんて……」
「何言ってんのよ、お母さん! 今やアイドル低年齢化時代よっ! 私なら“打って走って守れる歌手”になれるわっ!」
「それ、歌手の要素どこにもないよっ!」

 やっぱ、あいつらアホアホ家族だ。あの娘はJr.アホ娘と呼称してやろう。
 ん、待てよ? げっ! まさか俺の発想は小学三年生レベルってことかよっ!
 流石にそりゃ、ちょっと凹むぜ……。





 一方その頃、古河家では……もとい、古河家前の公園では。

   カキィィィーン!

「うわぁぁぁーっ! またようしゃナシだぁぁぁーっ!」
「うわっはっはっはっはっ! 何だ何だぁ! この俺を三振させる猛者はおらんのかぁっ!」
「よぉし! 次は僕の番だ!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄ぁぁっ!」

   カキィィィーン!

「うわぁぁっ! 僕のボールがぁぁっ!」
「Ya−Ha−っ! 俺様の名を呼んでみろぉぉぉっ!」
「今度こそ! 僕が三振させてやるぅ!」
「お前たちに足りないのは情熱、思想、理想、思考、気品、優雅さ、勤勉さ!
 そして何より、こんな長台詞が言えるほど“球速”が足りなぁぁぁーいっ!」

   カキィィィーン!
         バリィィンっ!

「「「「「「あっ」」」」」」

「くぉぉらぁぁっ! やったのはどこのガキだぁぁぁっ!」

「よしっ、そろそろ遅いから、お前たち帰ろうな」
「まだ昼だよ! それにちゃんと取ってきてよっ!!」
「「「「「そうだそうだぁっ!」」」」」

 平和だった。ひたすら、平和な一時を過ごしていた。






 正直、俺は動くべきかどうか迷っていた。下手に刺激しねぇ方がいいんじゃねぇのか、と。
 バスの後ろからピーポピーポとサイレンが鳴って追い掛け回されてるだけでも、かなりのプレッシャーだろう。
 俺が妙なことをした結果、暴発して周りの連中に切り付けられでもしたら、洒落にもなんねぇ。
 第一、俺はパン屋であって、警察じゃねぇ。餅は餅屋っつーしよぉ。
 やっぱ、事件に関してはその道のプロに任せるべきなんじゃねぇか、と考えていたわけだ。
 それに幸い、坊主は脅しの包丁で誰一人切り付けていない。……とりあえず、今は運転手を脅してるだけだ。
 そんなせいもあってか、車内の雰囲気は然程切迫していなかった。

「これから、どうなるのだろうか……」
「嗚呼、せっかく立てた旅行計画が台無しじゃないか!」
「どうして、私がこんな目に……」
「旅館の予約どうしよう……キャンセル料高いんだよなぁ、あそこ」

 乗客全員、こんな言葉が出てくるくれぇの余裕はあった。
 不安には違ぇねぇが、身が凍りついて、言葉一つ漏らせない程の危機感を抱いちゃいなかった。
 窓から飛び降りて、バスから逃げ出そうってヤツもいなかった。
 高速で動くコンクリの地面にダイブするのと少年への恐怖心を比べると、決意には程遠かったんだろうな。
 だから、俺も放っておいて、警察に任せようと考えていた。……そんためにあんだろう、警察ってのはよ?

 ――だが、そう悠長に構えているワケにゃいかなくなった。

「ぐぅうっ!!!」

 突然だった。
 突然、俺の後ろに座っている乗客の一人……爺さんが呻き出した。

「どうした、爺さんっ!?」

 俺は駆け寄り、通路にしゃがみ込んで、様子を窺う。
 前屈みに座っている爺さんの眉間には険しいシワがあり、口は下唇を噛んで震えていた。
 顔中冷や汗でびっしょりにし、Yシャツがクシャクシャになる程強く握り締めていた。
 その位置は胸の中心からほんの少し左にズレた所――心臓かっ!!?

「オ、オイっ! 動くなって言っただ――」
「黙れっ! クソガキっ!!」

 一喝して黙らせる。
 当たり前だ! こちとら人の生き死にがかかってんのかも知んねぇんだぞっ!
 ガキの戯言なんざ付き合っていられるかっ!

「く、薬を……」
「薬っ!? どこだ! どこにあるんだっ!?」
「こ、こ、この中にっ」

 爺さんの隣に座っていた爺さんの奥さんと思しき人が、小さなバッグを取り出す。。
 チャックを開こうとするが、パニックなのか動揺なのか、指先が酷く震えて開けないようだった。

「悪ぃ、借りるぜっ! ……って、どれなんだっ!?」

 半ば奪うようにして、チャックを開いたはいいが、中身には常備薬も入っていて、俺には見分けがつきやがらねぇっ!

「……こ、小瓶の」
「これかっ!」

 小瓶タイプの物を取り出す。中には碁石のような白い錠剤が入っていた。

「水はっ!? 水筒はっ!?」
「そ、それがトランクルームの荷物の中に。バスに乗る前に飲んだのにどうして……」

 今は、原因の究明なんざ、どうでもいい! 爺さんに薬を飲ませるのが最優先だ!
 くそっ、何で、水筒とか車内に持ち込んでいねぇんだよっ!

「おいっ! 誰か水持ってねぇのかっ!?」
「オッサン、これっ!」

 アホな若造の声。反応して首を向ける。何時の間にか若造が俺の傍に居やがった。
 そこにあったのは突き出された紙コップ。中身は水だ。

 ――サービスコーナーかっ!

 って、俺はアホかっ! 普通に忘れてたぜ。このバスが高速バスだってことを!
 水くらいわざわざ水筒とか車内に持ってこなくても、サービスコーナーがあったじゃねぇかっ!
 まぁ、俺がアホだろうと構わねぇ! 兎も角、これで薬が飲める。しかも、水だから、成分に影響は無いだろう。
 この若造のファインプレーに助けられたぜ!

「サンキュー、トラ○クスっ!」
「おぉ、巧ぇなっ! って、状況が合い過ぎて洒落になってねぇぞ、オッサン!」

 おぅ、確かに下らねぇギャグかましてる時じゃなかった。

「爺さん、自力で飲めるかっ!?」

 俺の問いに爺さんは小さく頷いた。

「え、え〜と……くそっ、何錠なんだよっ!?」

 目を細めて見るが……文字が小っさ過ぎるだろうがっ!
 この製薬会社、後でクレームかけてやろうかっ!? 小一時間クレームかけ続けてやろうかぁぁっ!!?

「さ、ささ、三錠っ」

 奥さんの方がパニクりながら、教えてくれる。

「おぅ、三錠だなっ!」

 三錠出す。勢い余って、余計に出た分は小瓶の中へ回収した。
 そして、まずは錠剤を爺さんに渡し、口に含むのを確認した後、今度はコップを渡した。
 爺さんが上体を逸らし、水を呷り尽くす。
 すると、落ち着いたのか。溜息と共にシートに深く身を沈めた。

「ありがとう、若いの。命拾いした……」

 爺さんは安らいだ表情で、微笑んだ。

「おぉ〜、良かった良かった」
「いやぁ、アンタたち大したモンだ」

  パチパチパチパチパチ

 あん? 何で、拍手が起こってんだ?
 大したコトやってねぇだろうが? 爺さんの薬飲むを手伝っただけだろ?
 賞みてぇな栄光っぽいモンでも取ったなら分かるんだが……。

「(まぁいい。それよりも、だ)」

 それがキッカケだった。俺は決意した。

 爺さんが発作を引き起こした原因は多分、ストレスだ。
 ストレスがキッカケで発作の周期が早まっちまったんだろう。俺は医者じゃねぇから詳しく分からねぇがな。
 皆が皆、俺様みてぇに心臓に毛が生えてるわけじゃねぇだろうしな。
 立ち上がると、俺は坊主の方へ向き直った。

「おい、オッサン。アンタ、まさかあのガキと交渉でもするつもりか?」

 二児持ちのアホな若造が訊ねてきた。
 ……どうやら、ただの面白いアホってわけでもねぇな。

「あぁ、せめて、女子供とお年寄りは降ろす」

 俺は若造にだけ聞こえるよう、小声で言った。

「……できんのか、アンタに? 相手、刃物持ってんだぞ?
 しかも、あの目の下のクマ……ありゃ、ヤってんじゃねぇのか?」

 若造は腕に注射を打つ素振りをした。勿論、坊主には見えねぇ死角でだ。
 だが、それに関しては俺なりに勝算……いや、勝つワケじゃねぇから、勝算じゃねぇか。
 正確には推察っていうのか? まぁ、兎も角、考えはあった。

「任せろ。俺はパンを焼く真下正義と呼ばれた男だ」
「……そりゃ、微妙に頼りねぇぞ?」

 しまったぁ! 人選、間違えちまったぁっ!
 俺を見る若造の目がスゲェ不信感に積もった目になってる! ドブみてぇに濁った目だっ!

「アンタたちっ! 僕を無視するんじゃないっ! 動くなって言ってるだろっ!?」

 包丁を突き出した姿勢のまま、坊主が悲痛に叫ぶ。その両手は震えていた。
 何に震えているのかまでは分かってねぇが、感情が高ぶっていることには違いねぇ。

「とりあえず、オペレーション:『おれにまかせろ』だ。
 家族と来てんだろ? てめぇは戻ってそいつらの安全だけ考えていやがれ」
「アンタは勇者か! ……いや、案外、的外れでもないか」

 言って、若造は一旦家族の元に帰り、一言二言交わす。
 嫁の方がえらく驚いてたが、若造はJr.アホとJr.アホ娘の頭を乱暴に撫でた後、こっちに戻ってくる。
 ニカニカして歩み寄ってくる若造とは対照的に残されたJr.アホの顔が妙に真剣だったのが印象的だった。
 そして、若造は俺の隣の席にどかっと座り込んだ。

「何、戻ってきてんだよ、てめぇ。家族はほったらかしかっ!」
「あぁ、そりゃ、俺のガキに任せた。もう、そんくらいできる年頃だろ?」

 かっ、やっぱスーパーアホだコイツ。戻れっつったのによ……カッコつけやがって。
 まぁ、いい。俺は俺のしたいようにするだけだ。いつも通りなっ!

 俺は坊主に向き直り、普通に声の届く所まで近づく。
 坊主は少し警戒して、後ろに後退るが、構わず俺は問いかける。

「おい、坊主。俺の提案、聞いてみねぇか?」
「提案? 取引じゃないのか?」

 相変わらず、包丁を突き出したまま、訊ね返す坊主。
 俺はその目を見て、やはり違和感を覚えずにはいられなかった。
 だが、今はそのことは言及しねぇでおこう。今は女子供とお年寄りを降ろすコトが最優先だしな。

「そうだ、提案だ。取引たって、俺にゃ渡すモンが何も無いからな。
 だから、提案だ。聞くだけ聞いて、無駄だと思うなら、無視してくれりゃいい」
「……どんな提案ですか?」

 人間ってのはタダで貰えるモンは大概貰うもんだからな。要らんモンでも無い限り。

「女子供とお年寄りは降ろさねぇか? 俺だったら、そうするぜ?」

 おどけた口調で問いかける。他にもっと上手いやり方があるとばかりの口調だ。

「……何故ですか?」
「決まってるだろ? 邪魔だからだ。考えても見ろ。お前、一人で他に仲間いねぇだろ?
 たった一人でこの人数を完璧に監視しきるのは不可能だ。絶対に見落としができる。
 だったら、どうする? 簡単だ。人質の人数を減らせばいい。自分が把握できるぐらいまでな」
「…………」
「それにさっきもてめぇも見たろ? あの爺さんをよ。
 てめぇがやってるコトはバスジャックだ。やられる側にしてみりゃ、ストレスが半端じゃねぇ。
 そのストレスが強すぎて、またさっきみたいに発作が起こって死なれたらどうする?
 てめぇのせいで人が死ぬんだぞ、人が! てめぇ、人殺しになりてぇのか!」
「人……殺し? ……ボク、が?」

 坊主は驚きに目を見張った。

 そして、俺は坊主の様子に確信した。……こいつは追い込まれているだけなんだ、と。
 社会的にじゃねぇ。身体的にでもねぇ。――“心”が、だ。

 目の下のクマ……若造は“ヤってんじゃねぇのか?”と言った。麻薬中毒者じゃないか、と。
 だが、違う。答えはそんな複雑なモンじゃねぇ。……ただ単純に寝てねぇんだ。
 そもそも、麻薬中毒者でラリってる奴が、人殺しの一言で動揺するワケがねぇ。
 まだ原因が何なのかは分からねぇが、何か眠れねぇほどの恐怖に晒されている。……おそらく、今も。

 自分のことで手一杯なんだ。
 だから、他人の恐怖に気付かねぇ。いや、気付けねぇと言った方が正しいだろうな。
 しかし、気付かなかっただけで、気付けば、話は別だ。

 ――まだこの坊主には良心がある。

 ただ異常な状況に精神が晒されて、眠っちまってるだけだ。そいつを呼び起こせば……!

「周りの連中の面をよく見てみろよ、てめぇ。一人でも笑ってるヤツがいるか?
 バスジャックされてサイコーって顔した馬鹿野郎がな……」

 クイッと顎で後ろを指すと、坊主は乗客一人ひとりを見渡し始めた。俺も同じく見渡す。
 ある者は睨み返し、ある者は目を逸らす。また、どこか哀れみか悲しみの篭った視線を返す者もいた。
 子供は坊主と目が合うと泣き出し、親に抱きつく。あのJr.アホ&Jr.アホ娘は例外だがな。
 好意的な反応など何処にもありゃしねぇ。

 ――そこに笑顔なんざ、あるワケがなかった。

「なぁ、頼むよ。せめて、女子供とお年寄りだけでも解放してやってくれ」

 しばらくの間沈黙が続いた。
 聞こえるのは、後ろから五月蝿いサイレンと刑事の怒声。
 そして、高速バスが道路を走るタイヤの摩擦音と唸るエンジン音。
 それ以外には、何も聞こえなかった。

「……分かりました。その提案、聞き入れます」

 良かった。心底、そう思った。二重の意味で、だ。
 一つは勿論、女子供とお年寄りの安全が確保されたこと。

 ――もう一つは、この坊主はまだ戻れるトコにいることが分かったことだ。

「誰か、携帯電話持ってる奴いねぇかっ!? 持ってたら、手上げてくれっ!」

 俺の言葉に車内の乗客がザワめき出すが、声が上がる気配が無い。

「こ、この辺の警察署の番号なら知ってますが……」
「おぉ、忘れてたぜ。そっちも教えてくれぃ!」

 最寄の警察署の電話番号が書かれたメモを貰う。が、携帯電話の方は芳しくない。
 かっ、あんまし普及してねぇからなぁ……携帯電話。まだ持ってる奴の方が珍しいか。
 参ったな……どうやって、外と連絡すりゃいいんだ?

 ガシガシと頭を掻く。

 これじゃ、交渉が成立しても意味がねぇじゃねぇか!
 こいつぁ、警察とか外部との連携が必須だってのによっ!
 ケツに尾いてる後ろの警察はピーポピーポ、うっさいだけじゃねぇかっ!
 ……いや、車内に人質いるから慎重になって下手な手が打てねぇのは分かるんだがな。

「おい、オッサンっ! 使えっ!」

 また若造の声。放り投げられた長方形の黒い物体を受け取る。

「おぉっ! こいつはまさか、携帯電話かっ!?
 俺の手の大きさにジャストフィットなデカさ! まさに俺様専用携帯電話かっ!?」
「いや、俺の俺の。勝手に自分のモンにすんな、八百屋の息子かてめぇは。
 大きいのはまだ改良途中で無駄にデカいだけだから」
「良しっ、今日から、てめぇのあだ名は“ド○えもん”だ」
「呼ぶな! 呼ばすか! 呼ばせるか!」
「……何の三段活用だよ、てめぇ」

 ちっ、いいあだ名だと思ったんだがな。そんなに気に入らねぇのか? ド○えもん?
 何処までが片仮名で、何処からが平仮名なのかが分からねぇのがチャームポイントなんだがな。

 まぁ、そんなオフザケはこっち置いてといて、っと。

 あん? どうやるんだ、コレ? このまま、数字押せば良いのか?
 ……鳴らねぇ。あ、この受話器が外れてるボタンが怪しいぜ!
 こいつかぁ、ポチっとな。やっぱ、この言葉はあらゆるボタン操作の基本だろ?

  トゥルルル トゥルルル ガチャっ

「おぅ、俺、今バスジャックされてる被害者の一人なんだけどよ」
『は? ここは精神病院ではありません。お引取りを』

  ガチャ ツーツーツー

 ………………
 …………
 ……

  ピっポっパっポっピっ トゥルルル トゥルルル ガチャっ

「てめぇ! 俺のどこがオカシイってんだよ! 奥歯ガタガタ言わすぞ、この野郎!」
『言動全てです。それと私は女です。野郎ではありません』

  ガチャ ツーツーツー

 ………………
 …………
 ……

  ピっポっパっポっピっ トゥルルル トゥルルル ガチャっ

「てめ――」

  ガチャ ツーツーツー

 ………………
 …………
 ……

  ピっポっパっポっピっ トゥルルル トゥルルル ガチャっ

「すまん、俺が全面的に悪かった。事情はちゃんと話すから話聞いて下さい。お願いします」
『……一応、伺いましょう』

 そして、俺は警察と警察を経由して病院に連絡を着けた。
 長い長い……戦いだった。勿論、あの姉ちゃんとの電話のことだぜ?







そして、バスはサービスエリアへ停車した。

女子供とお年寄りが降車する。

予め、病院にも連絡したため、白衣を着た看護婦が数名駆けつけて来る。

幸い、あの爺さんもあれ以来、発作はなかったので看護婦の出番はなかった。

けどな、万が一に越したこたぁ、ねぇだろ?

ま、何にせよ。これで女子供とお年寄りが怪我するこたぁなくなった。

安堵していいだろう。



だが、問題はまだ解決したわけじゃねぇ。

むしろ、お遊びはおしまい。

こっからが本番だ。



今から、あの坊主を自首させなきゃいけねぇんだからなっ!



別のを見る。

 ぴえろの後書き

 どうも、読了ご苦労様です。読者の皆様方。
 今回はオールシリアスに書こうと思ったのですが、やっぱり無理でした。
 作品って生き物で、全然予定通り進まないものですねぇ。本当は刺されるトコまで行く予定でした。
 オペレーション:『おれにまかせろ』も実はもっと大きなネタだったんですがねぇ。
 本来はKey歴代主人公たちとアッキーが協力して実行する予定でした。勿論、成功しません(笑)
 お互い協調性が無く、我の強さ故に作戦の中心(主人公)を全員が“俺かっ!”と勘違いし、自爆する。
 そういうネタだったんです。……あぁ、実にやりたかった。幻のネタとなってしまいました。
 「てめぇら、揃いも揃ってアホな子かっ!?」とアッキーにツッコミを入れさせる予定だったのに……。
 しかし、書き分けの困難さと物語に支障が出そうだったため、Kanonの彼(青年成長後)だけ出演させてます。
 ギャグにシリアスにと、多方面に良いポジションに立ってくれて、意外に重宝してますね。
 ちなみに最後まで名前出ません。暗黙の共通理解の下、彼の出番は終了します。

 さて、次の話ではついにアッキーは刺されるのか!? それとも、やっぱり予定が狂うのかっ!?
 ぴえろ自身も分かりませんが、お暇なら閲覧して下さい。ではでは!(^^)/


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