――私は、もうすぐ死ぬのだろう。
 それが実感できた。突き付けられた物体は、きっと死が具現化した姿だ。だからだろう、触れている箇所がこんなにも冷たく感じるのは。引き金を引かれれば、私の命は呆気なく潰える。しかし、不思議と恐怖はない。もうずっと前から……おそらく、こうなることは分かっていたから。激しく感情を昂ぶらせた誰かが、私に向かって何か叫んでいる。その声は、私にはもう正確に聞き取れない。でも、何を言ってるかは大体分かる。思えば、私は彼らに多大な迷惑をかけてしまった。

『ごめんなさい』

 そう口にしたつもりだったけれど、私には、それを伝える力すら残っていない。ただ空しく、気道に息が通ってヒューと鳴っただけに違いない。じっとしていても、痛みの電気信号インパルスが絶え間なく走る。切れかかった電灯が点滅するようだ。その痛みで身じろぎすれば、今度は体中の節々が軋みを上げる。このどうしようもない板挟みから解放されるには、死しかないのだろう。
 碌に見えない目をゆっくりと閉じて、私は死を受け入れる心の準備をした。きっともう、この目が開くことはない。最後にまともに見た物は何だっただろう? ……よく思い出せない。それでも、昔のことを思い出せば、はっきりと瞼の裏に浮かび上がる。

 陽溜まりの様に温かな、あの子……クーニャの笑顔が。




我が子へ
〜Дорогой мой ребенок〜

written by ぴえろ




 初めて、あの子を見た時、意外と小さいなと思った。初体験なのだから、予想とは外れて当たり前だから、気にはならなかった。この子も家族になるのだなとしばらく、揺り籠の中のクーニャを感慨深く見つめていた。覗き込むとクーニャは私を見てキャッキャッと声を上げて笑っていた。とても可愛らしかったけれど、それ以上にアイスブルーの瞳がキラキラと無垢な光を放っていて綺麗だった。私の髪は黒だけど、クーニャは亜麻色だった。色が全然違うけれど、瞳の色は私とそっくりだった。ますます、この子は私の家族なのだと思った。

 クーニャは溌剌な娘になるに違いない。成長するにつれて、私はその確信を強めていった。

 一歳、ハイハイができるようになった頃、家にある物全てが興味深いのか、クーニャはよく部屋を行ったり来たり散策していた。私はなるべく好きにさせていたけど、階段から落ちないようにずっと見守っていた。クーニャの危険を未然に防ぐのも私の仕事だった。

 二歳になると立てるようになった。まだ歩き方が大股でぎこちない。歩けるようになってクーニャの行動範囲は更に広がった。が、それは同時に危険の増大も意味している。
 クーニャは一度、車道に飛び出して轢かれかけたことがある。直前、私が後ろに引っ張ったから無事だったけれど、反動でこけた。すってんころり、と日本の絵本ではそんな擬音をつけるのだろうか。転がった拍子に頭を強かに打ったのか、地べたにペタンと座ったまま、ワンワン大泣きされた。中々泣き止まず、こっちがワンワン泣きたいぐらいだった。

 三歳、まだまだ言葉は拙いが、何を言ってるか十分聞き取れるようになった。ちなみにお転婆ぶりは更に増長している。もう何度寝ている時に、「あそぼっ」と言って上に圧し掛かってこられたか分からない。遊ぶと言っても、正確には“私で遊ぶ”と言った方が正しいような気がする。
 この頃のクーニャは、お馬さんごっこがお気に入りだった。正直、ウンザリすることだってあった。私だって、日頃から子育てと子守りで疲れているのだから、寝ている時ぐらいそっとしておいて欲しい。そんな苛立ちを込めて、睨み付けて声を荒げてしまったこともある。だけど、クーニャが泣きそうになると結局、私の方が折れて、お馬さんと化すわけだけど。まさしく、こういうのを日本では泣く子と地頭には勝てぬと言ったんじゃないだろうか。

 四歳、公園へ遊びに行ったあの日。クーニャ、貴方は世界の残酷さをほんの少し味わってしまったわね。遊びたい。ただただ純粋な欲求のまま、同じ年の瀬の子供に声をかけて……拒絶された。同じ色合いの髪をした子だったけど、日本語を話す貴方とは意思疎通が図れなかった。“お友達”になれなかった。以来、公園へ行っても、他の子が遊び回ってるのを遠目に見つめてることが多かった。
 でも、私は知っている。クーニャ、貴方の小さな勇気を覚えている。貴方は再び勇気を振り絞って、向かって行った。今度は髪の色が黒く、けれど同じ日本語を話している子だった。髪の色が違うから、また遊んでくれないかもしれない。貴方はそう言って、戸惑って……歩き出しても、何度も私の方へ振り返って、不安がっていた。私はあえて遠くから見守る以上のことは何もしなかった。やがて、他の子たちと一緒に走り回る姿を見て安心した。日が暮れるまで、笑いながら走り回る貴方を眺めていた。

 五歳、クーニャ、貴方が初めてお使いに行った日のこと、覚えているかしら?
 小さかったから、きっともう覚えていないでしょうけれど、私はよく覚えてるわ。貴方は子供扱いされるのが嫌で、強がって一人でお使いに行って……日が暮れても帰って来なくて、警察を呼ぶような大騒ぎになったのよ? 私も一生懸命探した。走って、走って、走って。どれだけ息が上がろうと、必死で声を張り上げ続けた。まさか、攫われたのではないのだろうか。やっぱり私もついていくべきだったんだ。何度もそう思った。けれど、全て杞憂に過ぎなかった。いや、杞憂で済んでくれた。
 全く、貴方ときたら、周りがどれだけ心配したかも知らないで、町外れの草原で可愛らしい寝息を立てていたんだもの。見つけた時には、私も疲れ果ててしまって、怒る気力も湧かなかった。叱る役は他の誰かに任せて、私は貴方を負ぶさって、帰るので精一杯だった。お馬さんごっこをした時より、ずっと重たくなっていた。貴方を乗せるのはこれが最後になるかもしれないと思った。

 些細なものも含めれば、数え切れない程、思い出がある。
 それは多分、とても幸せなことなのだろう。命が尽きるこの一瞬一瞬に思い出せることは、あまりに少ないけれど……後は向こう側へ行った後で鑑賞することにしよう。



後はお願いね。――ストレルカ。



クーニャはとても心根の強い子だけれど、不器用な子だから。

貴方がちゃんと守ってあげるのよ。

私がそうであったように、今度は私の子である貴方がそうしてあげなさい。

まずは、そこで泣いてるクーニャを慰めるのが最初の仕事よ。

あんなに大声で泣いて、明日はきっと目が真っ赤になってるわね。

でも、嬉しくもある。それはクーニャにとって、私は大事な存在だったという証だから。

私が最後にできる仕事は、クーニャに“死”を学ばせることなのだろう。


Спокойной  ночиスパーコーイナイ・ノイチー


それは幻聴だったのか。

お休み、と私の主が別れの言葉を述べた気がした。

ワーニャ、貴方がそう言うなら、私は休むことにします。

ごめんなさい、老後の詰まらない面倒など見させて。

そして、ありがとう。あの日私と出会ってくれて。



プシュッと空気が抜ける圧縮音が鳴る。

医師が銃型の注射器ハイジェッターの引き金を引いたのだろう。



嗚呼……死が流れ込んでくる……。

酷く眠たい……死の神タナトス眠りの神ヒュプノスは、やはり兄弟なのね。

だって、こんなにも、よく似ているんだもの……。



私の意識は、心安い闇の中へと落ちていった。

ゆっくりと……ゆっくりと……。


END






 ぴえろの後書き

 かかったな、アホが! 稲妻十字空烈刃!サンダークロススプリットアタック
 とまぁ、のっけからジョジョネタ振って誤魔化しにかかりました。叙述トリックと言う読者をミスリードする手法がありまして、一度でいいからやってみたかったんです。長いのは無理でも、掌編ぐらいならできるかな、と。ちゃんとできたかは不明ですが。最初はストレルカかヴェルカ視点のほのぼのSS書こうと思ってたんですが、路線変更しました。ぶっちゃけ、日向の虎さんトコのチャットが起因でした。

「クドフェス進んでないよー。カゲロウの恋みたいな変な視点でも書けないよー」
「ぴえろさんならストレルカかヴェルカ視点のクドSSを書いてくれるはずだ!」

 バレとるがな。( ゚д゚)
 慣れてない手法を試したんで大変でした。おかげで全然書けませんでしたし。二度とやらねーです。冒頭でクドのママと先入観持った方にはクドガスキー男爵の爵位を贈呈しますですよ。(・∀・)2% クドシナリオよく覚えてる方しか引っかからない叙述トリックですしね。ちなみに「Дорогой мой ребенок」はまんま『我が子へ(英訳:Dear my child)』です。後、クドのおじいちゃん(ワーニャ)はオリでなく、原作遵守です。クドのママが「C・イワノヴナ・ストルガツカヤ」ですから、父称のイワノヴナ=イワン=ワーニャ(愛称)となるわけです。
  inserted by FC2 system