一人、傾斜のきつい坂を上り続ける。
 来る前に雨が降っていたせいか、濡れたアスファルト独特のゴムくさい匂いが辺りを漂っている。紫陽花の葉先から水滴がピタリピタリと垂れ、遠くからはひぐらしの鳴き声が鳴り響いていた。六月下旬、少し蒸し暑くなってきたので、日が暮れかけた夕涼みの頃を見計らって、出発した。おかげで、思ったよりも汗をかかずに済みそうだけど、少し息が上がるのは止められなかった。昔から体力がある方じゃなかったけど、こんな坂ぐらいで息が上がるなんて……確実に年を取りつつある証拠だな。
 坂の頂上まで来ると、砂利道に代わる。少し歩いた先に桶と柄杓、そして、水道があった。ひっくり返して置かれている桶を蛇口の下に置き、水を出す。しばらくの間、桶の中に水が満ちる様を見つめていた。一つ、満たされると更にもう一つ桶を取り出して、置く。
 僕は墓参りに来ていた。――今日は……皆の命日だった。
 使う桶も二つじゃ足りないので、更に三つ目を置いたその時だった。

「おい、理樹。お前、桶三つも持てるのか?」
「もてるのー?」
「一つは鈴が持つに決まってるでしょ?」
「何っ! そうなのか? う〜ん、まぁ、いいだろ」

 後ろから、鈴と小さな女の子が手を繋いで現れた。僕が先に来て、水の準備していたのだ。小さな女の子の名前は、直枝理華。勿論、名字からして僕と鈴の娘だ。今は幼稚園の年長組だから、もう六歳になるんだな。来年は小学校……か。早いもんだなぁ。ふと空を見上げる。僕の目に映る空はあの頃と何一つ変っていないように見えるのに、僕らを取り巻く状況はこんなにも変わってしまっていた。

 ――あれから、もう……十二年の時が経っていた。僕と鈴は二十九歳になっていた。




Song for friends
〜黄昏に物思う時〜
Part @

written by ぴえろ




 僕が目覚めた時、つまりは鈴に仮プロポーズ……あくまで言葉だけだったから、仮だけど……をした時には、既に事故から丸一日過ぎていた。体の節々が痛かったが、命に別状はなかったし、後遺症らしきものも残らなかった。あくまで検査入院のようなものだった。事実、この一週間後、僕は五体無事に退院する。
 病院生活というのは人と会う機会がなくて、寂しいものだそうだけど、僕に限ってはそういうことはなかった。色んな人に会った。まず、往診に来た医者に始まり、僕の身を心配しにきた後見人、事故調査のため事情聴取に来た警察。勿論、鈴も毎日僕に会いに来てくれた。いつも面会時間ギリギリまで居てくれたのが、嬉しかった。でも、それ以上に忘れ難い出会いがあった。
 ――リトルバスターズの……遺族との面会だ。
 彼らはせめて、子供が残した思い出を……それがどんな些細なものであろうが、関係なくかき集めたかったのだろう。そんな人たちを突き返すことなんて、できるわけがなかった。

 一度目は恭介と鈴のご両親だった。
 手を握りられ、「ありがとう。本当にありがとう」と涙を零しながら、何度も何度も礼を言われた。子供の時から何度か恭介と鈴の家に行って顔を見たことあるけど、こんな風に泣いている二人は当然見たことがなかった。

 ――我が子を一度に二人も失っていたら、この先、どうしたらいいか分からなくなっていた……。
    君のおかげで、我々はまだ希望が持てる。私たちにできることなら、何でもさせてくれ。

 そう言われた。でも、それは違う。鈴を助けたのは……僕じゃない。――恭介だ。恭介が死に物狂いの決意で助けてくれたんだ。何とか“あの世界”のことを、恭介がどれだけの決意と覚悟と勇気で、僕らを救ってくれたかを伝えたかったけど、信用を得られる程僕は“あの世界”のことを覚えてはいなかった。それがとても歯がゆくて、悲しかった。

 二度目は、小毬さんのお父さんだった。
 小毬さんのお母さんは来ていなかった。精神的に参ってしまって、とても外出できるような状態じゃないらしい。でも、そう言う小毬さんのお父さんも酷い状態だった。元々が細面で優男な感じの人だから、弱った姿は尚のこと、消え入りそうな印象を強めていた。目の下のクマは何日もろくに寝れてないからだろう。艶を失った髪など見ていると生気と共に失われていっているようにさえ感じられた。「あぁ、そうだ」と覇気の無い声と共に小毬さんのお父さんは一冊の本を差し出した。それは小毬さんの……しかも、自作の絵本だった。

 ――これを……君たちに持っていて欲しいんだ。
 ――こんな大事な物、貰えるわけないじゃないですか!
 ――いや、良いんだ。小毬のことなら、写真とかでも思い出せるからねぇ。
 ――でも、だからって……。
 ――時々でいい。これを見て、小毬のこと思い出してやって欲しい。だから渡したいんだ。

 そして、小毬さんのお父さんは突然、両手で顔を覆って言った。

 ――本当にすまないっ! 君たちにとって、早く忘れたい記憶であることは分かっているつもりだ。
    だが、だがな。一人でも多く! 生きていた小毬のことをより鮮明に! できるだけ長く!
    覚えていて欲しい……。拓也を病で失い、小毬まで事故で失った私たちにはもう……!

 半ばから、言葉は嗚咽に代わり、最後まで続かなかった。
 結局、僕は絵本を受け取った。これを持つに最も相応しい鈴に渡そうと思ったが、鈴も既に貰っていた。どうやら、本当に小毬さんを知る同級生全員に配っているようだった。

 三度目は、葉留佳さんのお母さんだった。
 いつもうるさいぐらい騒がしくて、賑やかな葉留佳さんとは打って変わって、静かな人だった。いや、悲しみに暮れて、そうなのか或いは元からなのか。僕には分からなかった。お父さんの方は何やら家の事情に奔走しているらしく来れなかったらしい。

 ――学校での葉留佳は……どうだったでしょうか?
 ――どう……とは?
 ――ご迷惑じゃありませんでしたでしょうか?
 ――迷惑だなんてそんな。確かにはしゃぎ過ぎて、風紀委員に目をつけられてましたけど……。
    でも、そんな葉留佳さんが居たから、僕たちは楽しかったんだと思います。
 ――葉留佳は……学校での葉留佳は笑っていましたか?
 ――えぇ。うるさいぐらいに明るく……。

 それを聞くと、葉留佳さんのお母さんは俯き、何度も涙を拭いてヨレヨレになってしまったハンカチで、また涙を拭い始めた。

 ――あの子は……私たちの家庭の事情に巻き込まれて、幸福とは言い難い環境で育ちました。
    休日には家に帰って、顔を会わすこともありましたが、いつもぎくしゃくしてしまって……。
    どう接すればいいのか、分からなかったんです。私たちはあの子に何もしてやれなかった。
    いえ、何もしなかった。死に物狂いで守るべき時に私たちは指をくわえて見ているだけだった!
    もっと、葉留佳が生きている間にもっと! してやれることがあったんじゃないかって!
    私たちは、あの子を不幸にしかできませんでした。でも、貴方達のおかげで、葉留佳にも……。
    幸せな時間があったことが分かって……良かったです。それがせめてもの救いです。

 ありがとうございました、と肩から長い髪を零しながら、頭を下げ、葉留佳さんのお母さんは去って行った。僕は何か伝えるべきことがあるはずなのに、言葉が思いつかなかった。それはきっと“あの世界”のことだからだろう。それは一体何だったんだろう。結局、僕はただ漫然と見送る以外に何もできなかった。

 四度目は西園さんのお母さんだった。
 西園さんに似て、知性的で物静かな人だった。メガネをしたスーツ姿の大人の女性だったから、余計にそう思ってしまったのかもしれない。彼女が一番、僕たちリトルバスターズと西園さんとの思い出を長く聞いてきた。僕が打ったボールを西園さんのお尻にぶつけてしまったのが、きっかけだったこと。新聞紙ブレードでのちゃんばらごっこ。人形劇。そして、キャプテンチームとの試合。ホットケーキパーティ。彼女は何故かそんな些細な思い出まで、事前に知っていた。その理由は至極簡単だった。

 ――美魚は日記を書いていたんですよ。
 ――日記、ですか? でも、その日記は寮にあるんじゃ?
 ――そうですね。知りませんよね。今、寮は遺品の整理に大騒ぎしているんです。
 ――そんな! まだ三日も経ってないのに……。
 ――事務的で無体なことを、と思いますか? でも、いずれはしなくてはならないことです。
    第一、亡くなったルームメイトの備品を見て、心安く過ごせる生徒がいると思いますか?
    それにこれは我々の親が望んだことでもあります。これから、葬儀の準備もありますし。

 何所を見ているか分からない暗い目と無表情で淡々と話す様に僕はそれ以上何も言えなかった。すべきことがある。今はそれをこなすことで、これからの思考を避けているようでもあった。

 ――何を話していたんでしょう。あぁ、そうでした。美魚は日記を書いておりました。
    それを今朝見ていたんですが、寂しいものです。まるで新聞でも読んでるようでした。
    ですが、ある日を境にどんどん色鮮やかな……普通の日記に変っていきました。
    そう、貴方たちと出会ってからです。その日から、あの娘は書く話題に困らなかったようです。
    それまでは、素気なく一行だけ書いて終わってたりしていたことが多かったのですが。
    美魚は……ちょっと特殊でして。友達など一生できないんじゃないかと、ずっと心配でした。
    でも、違った。そうじゃなかった。それが分かっただけで、随分と救われました。ですが……。

 西園さんのお母さんは俯き、下唇を噛んだ。

 ――美魚自身の口から聞きたかった。夏休みに帰省して来なくて、心配になって電話して……。
    そしたら、『友人と泊まりの旅行に行くので、少し遅れます』と言ってきて……。
    そういった感じで友達がいることを知りたかったですね。こんな……こんな形ではなく。

 零れ落ちた涙は一度メガネのレンズで堰き止められたが、やがて、横に膨らみ、端から再び頬まで伝って行った。やがて、西園さんのお母さんはそれに気づき、メガネを上げてハンカチで拭う。一度だけ鼻を啜り、「すみません、愚痴を言うべき相手を間違えてしまったようで。直枝さん。お体の方、大事になさってください」とそう言って、立ち上がる。扉を開けるともう一度こちらを振り返った。

 ――美魚とお友達になってくれて、本当にありがとう。あの娘は……幸せだったと思います。

 そう言いながら、頭を下げた後、病室を去った。

 五度目は、謙吾のお父さんだった。
 僕は初めて見たけど、謙吾のお父さんだとすぐに分かった。その時は面識のある鈴が病室にいたから分かったというのもあるけど、何より鋭い目つきがそっくりだった。謙吾のお父さんは物静かというよりも、口下手だから無口で通しているような人だった。僕と鈴が話す謙吾の姿を……一緒に馬鹿をすることを楽しんでいる姿を聞く度、怪訝そうに眉を潜めていた。

 ――私が知っているせがれとは随分違って聞こえるな……。
 ――でも、少なくとも、僕たちといる時の謙吾はそんな感じでした。
 ――……そうか。

 言葉を切って、謙吾のお父さんは一度溜息をついた。

 ――包み隠さず言えば、倅とはあまり親子仲が良いわけではなくてな。
 ――仲悪かったのか?

 見知った人だからか、鈴もいつもの調子で話していた。まるで、謙吾と話すような気軽さだった。流石に剣道場の師範をしているだけあって、鈴の慎みを欠いた口調にも腹を立てることはなかった。あるいは口調なんて細かい所に気をやる気力もなかったのだろうか。

 ――いや、親子としての時間そのものをあまり積んでこなかった。師と弟子の関係に近かった。
    古い流派なんでね。私も先代と……親父殿と同じように倅に継がせねばと思っていた。
    倅はきっと私を恨んでいただろうな。あやつの人生の大半を束縛してきたのは私なのだから。
    そんな私に喪主をされるとは……今夜辺り、枕元に立ちそうだな。それはそれで歓迎だが。

 自嘲気味に笑うと、「まぁ、私などが言うのも何だが、倅の分も達者に生きてくれ」と言って、謙吾のお父さんは立ち上がった。去ろうとするその後ろ姿に僕は思わず、声をかけた。

 ――謙吾は恨んでないと思いますよ。おかげで鈴を助けることができたって、そう言うと思います。
 ――そうだな。あいつが守ってくれなかったら、あたしはここにいなかった。だから、ありがとう。
 ――その感謝は倅に言ってやるべきではないのかな。私にではなく……。
 ――いや、合ってる。ただの謙吾じゃあたしは死んでた。鍛えられた謙吾だからあたしは助かった。
    だから、そんな風に謙吾を鍛えてくれた謙吾のお父さんに感謝を言うのは間違いじゃない。
 ――そうか。……そう考えると多少、救われない気がしないでもないな。

 そんな素直じゃない言葉を残して、謙吾のお父さんは去っていった。謙吾のシニカルな思考や天の邪鬼な性格は案外父親譲りだったんじゃなかったんだろうか。それにしても、謙吾を失った宮沢道場はこれから一体どうなるのだろう。でも、それは僕たちが関知できることじゃなかった。

 六度目は真人のお父さんだった。
 謙吾のお父さんが出ていった数分後にやってきたので、再び鈴と応対した。真人を更に巨大化したような人で、病室に入ってくる時、入口の縁につかえて、額を強打するという無駄にインパクトと笑いのある登場をしてきた。

 ――ぐぉぉっ! 日頃から注意してるはずが、今日に限って油断しちまったぁぁぁ〜……!
    あっちゃこっちゃ低過ぎだろ!? もっとデカく作れ! もしくはオレ専用の入口を作れ!
 ――そっちがデカ過ぎるだけだろっ!

 あまりにも言動が真人と似ていたから、鈴は真人を突っ込むような感じでツッコミを入れていた。

 ――おぉっ! まさか、君は鈴ちゃんか!? いやぁ、別嬪さんになったもんだねぇ。
 ――あ、えっと、お久しぶりです。
 ――お、理樹くんも居るのか。いやぁ、君も別嬪さんになったもんだねぇ。
 ――それ、男に言う褒め言葉じゃないだろ。
 ――えぇ? そうかぁ? 理樹くん、女顔だから褒め言葉にならないかぁ?
 ――僕、一応男なんで、別嬪とか言われても嬉しくないんですけど……。
 ――それもそうだな。じゃあ、こうしよう。いやぁ、理樹君。君もすっかり男が板に付いてきたねぇ。
 ――それじゃ、前は女だったみたいになるじゃないですかっ!

 真人のお父さんとの会話は終始そんな感じで、唯一例外的にしんみりとした雰囲気にならなかった。あまりにも、相応しくない雰囲気のような気がして、僕はついつい口に出して聞いてみた。

 ――あの、真人のこと……聞きに来たんじゃないんですか?

 その一言でニカニカ笑ってた真人のお父さんの表情がスッと無くなった。でも、次の瞬間には目を瞑ったまま、フッと小さな笑みを浮かべていた。

 ――出発する前は、んなこと考えてたんだけどよ。ここに来る途中に考え直した。
    どうせ、あいつのことだ。ただ馬鹿みてぇに筋肉筋肉言って君たちと遊んでいたんだろう?
 ――あぁ、大体そんな感じだな。
 ――だと思ったぜ。だったら、あんま聞く意味ねぇなぁと思ってさ。
    でも、せっかくここまで来たんだから、顔ぐらい見てこうと思ってな。
    んでもって、辛気臭い面してたら、何とかして笑かそうと思ったんだが……杞憂だったな。

 真人のお父さんが腰を浮かすと、備え付けられた長椅子がギシリと軋んだ。まるで、労苦から解放された声のようだった。

 ――頑張れよ。辛ぇのはこっからさ。殴られた傷ってのは、時間が経ってから腫れるもんだぜ?

 太く男臭い笑みを見た時、嗚呼、この人は間違いなく真人のお父さんだと思った。真人が持っていた強さはこの人譲りだったんだろう。自分だって息子を失って、辛いはずなのに僕たちのことを気にかけてくれる優しさを持っていた。もしかすると、最初の登場の仕方さえ、僕たちに妙な気を使わせないために、わざとしたことなんじゃないだろうか……。ふと、そんなことを思った。

 七度目は、来ヶ谷さんのお母さんだった。
 スーパーモデルのように奇麗な人だった。化粧の仕方やアクセサリーの選び方、スーツの着こなしまで完璧な……やり手のキャリアウーマン然とした雰囲気を出していて、一挙手一投足に迷いがなかった。きっと来ヶ谷さんが大人になったら、こんな風になってたに違いなかった。アメリカで弁護士をしているけど、今は長期の休みをとって、“被害者の会”の幹事の一人をしているらしい。“被害者の会”とはその名の通り、事故にあったクラスメートの親たちによって、発足された会で、今回の大惨事を起こした交通会社の責任追及や賠償請求をする会だ。

 ――キミは事故のことをどのくらい知ってるんだい?
 ――あ、いえ……実はあまり知りません……。
 ――知りたくはないか? 自分と、友人たちを巻き込んだ事故のことを。
    私なら、興味本位に書き立てる五流マスコミなどより、余程正確な情報を与えられるが?

 新聞でもここ数日一面を賑わしているみたいだし、テレビでだって連日連夜、未曽有の大事故として報道されていて、知る機会はいくらでもあったが、僕は無意識にそれらを避けていた。自分の身に起きたことを信じたくなかったのかもしれない。院内でも奇跡の生還者として見られることもあったが、僕の心情を察してか、興味本位で聞いてくる人もいなかった。でも、いつまでもそうしていられない。いつかは知らなくちゃいけないことだ。それに……事故のことを詳しく知りたいという欲求が僕にあることもまた否定できなかった。僕はお願いした。

 ――まず、原因から話そうか。事故原因は運転手の過失というより、会社の過失だ。
    キミは睡眠時無呼吸症候群という眠りの病を知ってるかな? 運転手はそれを患っていた。

 睡眠、眠りの病。それらのフレーズが出た時、ドキリとした。それは……僕のナルコレプシーを彷彿とさせるものだった。来ヶ谷さんのお母さんの説明によると、運転手はその病で、我知らず熟睡することができず、日中にも強い眠気に襲われることが多かったらしい。しかも、会社はそんな彼に超過勤務を命じていた。どちらもそんな病を患っていることを知らなかったのだ。そして、今回の修学旅行による遠距離バス。高速道路や人気の少ない峠、そういった気が緩みがちな道路を走り、注意が散漫になった結果、彼はスイッチが切れるように無意識のうちに眠りに落ちて――事故が起きた。
 それを聞いた時、僕は不思議と運転手の人を憎む気持ちが湧いてこなかった。恨みはある。彼が自分の異変に気づき、病院にでも行っていれば、僕らはあんな目に遭わなかったのだから。だけど、やっぱり憎む気持ちにはなれなかった。自分の意思に関係なく、突然眠りに落ちる。僕のナルコレプシーと良く似ていたからだった。情けないことに僕はその運転手の人に同情してしまったんだ。何より、彼もまたあの事故で命を失っているのだ。死人を鞭打つようなことはできなかった。ただ一つ、確実に言えることがあるとすれば、僕はもう一生、その交通会社のバスには乗らないだろうということだけだった。

 ――時にキミはご両親がいないそうだね?
 ――え、えぇ……まぁ……。
 ――ならば、お金は幾らでもあった方がいいな。もし、大学受験するつもりなら入り用になるし。
    意地汚いがお金は大事さ。フッ、キミのためにも、奴らから盛大にふんだくって来るとしよう。

 立ち上がり際に見せた来ヶ谷さんのお母さんの顔を見て、僕はゾッとした。

 ――奴らだけは絶対に許さん。奴らは受けるべきだ。私の可愛いリズベスを奪った報いをな……。

 来ヶ谷さんのお母さんはギリっと歯軋りを鳴らしながら、ルージュを引いた唇を歪ませていた。激しい憎悪の笑み。それは理不尽に我が子を奪われた母にしかできない壮絶な笑みだった。美人なだけにより一層醜く見えた。気持ちは想像できる。来ヶ谷さんほど、容姿端麗で才色兼備なら、どんな夢だって叶えられたはずなのだから。そして、来ヶ谷さんのお母さんだって、それを最高に楽しみにしていたはずだ。この世のどんな楽しみよりも……。僕はその時見せた、来ヶ谷さんのお母さんの笑みを生涯忘れられないだろう。

 最後に会ったのはクドのおじいさんだった。
 ノックがしてどうぞと言って、その人が入ってきた時には戸惑った。彫りの深い容貌をした白人が立っていたからだ。見慣れない外国人というのはそれだけで緊張するものだった。L字型のステッキに生地の良さそうなブラウンのスーツ。顔に刻まれた小皺も老樹の年輪のようで、アンティークとしての価値を高める一要素となっている紳士然とした老人。その人がクドのおじいさんであることはすぐに予想がついたけど、果たして日本語が通じるのだろうかと少し焦った。けど、クドのおじいさんは柔和そうな笑みを浮かべると、実に流暢な日本語で挨拶をした。僕は安堵して、クドのおじいさんと色んな事を話した。やはり、話題は主にクドのこと。ひとしきり、話すとクドのおじいさんは肩を落とした。

 ――やはり、クーニャの死もまた神が与えた私に対する罰なのだろうな……。
 ――神の、罰?
 ――そう、祖国を見捨てた罰さ。私は元は軍属でね。軍の宇宙開発部門のスタッフだった。
    だがな……君も歴史の授業で聞いたことぐらいはあるだろう?  1991年、ソ連は崩壊した。
    私はね。その時、祖国を捨てたんだよ。家族と……そして、己の夢のために。
    そして、テヴアで民間企業の一社員として、ロケット打ち上げ事業に尽力した。
    クーニャの両親がスペースシャトルの事故で死んだのも、クーニャが夭折したのも……。
    全ては私が祖国を捨てた神罰なのさ。私の罪はここまで業深いものなのだろうか……。
    私の罪を私本人にではなく、家族に負わせる。これほど辛い罰がこの世にあるだろうか……。

 アイスブルーの瞳が小石を投じられた湖面のように揺らぐ。クドのおじいさんはL字型ステッキの上に手を組み、更にお辞儀するように頭を乗せる。そして、あまりに深く、長い溜め息を一つ吐いた。

 ――もう、疲れてしまったよ。これからは隠居して、娘と孫を弔う日々を過ごすとしよう……。

 ステッキを支えに立ち上がったものの、そこに力強さは微塵もなかった。若輩者の僕がこの哀れな老人に言えることなど何一つなかった。僕は、人生に疲れ果てた男の丸まった背が遠ざかるのをジッと見つめていた。

 こんな風にリトルバスターズの遺族と会って、話しをする度、僕は堪らない気持ちになった。
 それは、嬉しいとか悲しいとか懐かしいとか、そんな幾つもの感情が絡み合って、織成す複雑な気持ちだ。それは決して理性では、割り切れない気持ちで……でも、胸の奥から止め処なく溢れてくる。
 恭介に良く似た、恭介のお母さんの長いまつ毛とか、葉留佳さんのお母さんの顔立ちだとか、小毬さんのお父さんの柔らかそうな感じのする髪とか、西園さんのお母さんの落ち着いた声とか、目を瞑った時の謙吾のお父さんの横顔とか、真人のお父さんが見せた頼りがいのある男臭い笑みとか、来ヶ谷さんのお母さんの艶やか微笑みとか、クドのおじいさんのアイスブルーの瞳とか……そういうのを夜のベッドの上、天井を見ながら思い返す度、僕は涙が零れそうになった。
 皆、似ていた。当然だ。彼らはリトルバスターズの家族なのだから。それぞれ、何所か似ていて当然なんだ。でも、それが、皆を思い出させるそれらが、僕には堪らなかった。
 いっそ、なじってくれた方が僕の心は安まったのかもしれない。『どうして、お前たちだけが助かったんだ!』と、そうなじってくれた方が僕は楽だったのかもしれない。でも、やっぱり遺族の人たちは皆、大人で……悲しみに染まった優しさや穏やかさに触れる度、僕は辛くなった。ああ、そうだ。擦り傷した時と同じだ。擦った時も痛いけど、それが消毒された時の方が傷口に沁みて痛いんだ。
 ――それは僕が予想していなかった“やがて来る過酷”だった……。
 僕はその時になって、ようやく止まっていた時間を動かす、その真の意味を理解した。これからもこんな辛いことがあるのだろう。でも、もう誰もいない。僕と鈴以外には誰もいない。誰も頼れない。なら、僕が強くなるしかない。僕が強くなって、鈴を守るんだ。恭介がそうしてきたように。今度は僕が。


『僕は守る。一人になっても守り続ける』


退院する日の前夜。

僕はいつの日か言った“あの世界”での言葉を思い出し、誓いを更に固くした。

To be continued...

Part2へ続く。   別のを見る。   トップに戻る。

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 ぴえろの後書き

 鈴ENDアフターPart1でした。あの後をガチシリアスに書くなら、このぐらいの鬱展開はあるでしょう。ホントはもっと進めるはずだったんですが、遺族シーンが思いの他長くなったので、ここで切りました。誰か省くことなんてできませんし……。やっぱり、あのENDは死に過ぎだよなぁ……。個人的に一番辛いのは間違いなく、理樹じゃないと思います。その家族、特にクドのおじいさんだと思ってます。ソ連崩壊という歴史の激動の中を生きただけじゃなく、娘とその婿をスペースシャトルの事故で亡くし(と自分は思ってます。少なくとも、鈴エンドでは)、更に孫のクドまで先立たれる。実際、もし自分がこんな不幸に見舞われたら、首括りますね。あ、リトバスメンバーの家族は可能な限り、原作に忠実に書いてるつもりですが、家族描写の少ないキャラ(恭介や真人など)に関しては完全に捏造設定で補完してます。後々、key公式SSが出たら訂正するかもです。(^^;

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